らば~そうる “IN MY LIFE”

旅、音楽、そしてスポーツのこと。過去、現在、そして未来のこと・・・「考えるブログ」。

371.本田美奈子.さんのチャレンジ

2006-11-11 | 11.Music
 10日の夜、テレビ東京系列の番組『たけしの誰でもピカソ』で、
本田美奈子.さんが取り上げられていました。

 本田美奈子.さんは、1967年東京都葛飾区で生まれ、1985年の17歳
の時「殺意のバカンス」でデビューしました。番組ではデビューから
亡くなる直前までの彼女の「姿」を、2004年05月14日にその番組自体
に出演した彼女の映像とともに紹介していました。

1.アイドルでデビュー

 用意されたデビュー曲を「替えてくれ」と主張できるアイドルは、
何人いるのでしょうか。デビュー当時の本田美奈子.さんは、生意気
でわがまま。「自分のために地球は回っている」と彼女自身思ってい
たそうです。1986年リリースの「1986年のマリリン」では「ヘソ出し
ルック」でブレイク。ソフト路線が多かった当時のアイドルの中では
異質の存在でした。「刺激を受けた」と森口博子さんは、当時を振り
返り感慨深げに語ります。

 そんな中、本田美奈子.さんは「アイドルからアーティストへ」と
宣言するのでした。しかし、彼女に対する世間は冷たく、必然の成り
行きのように、「カベ」にぶつかりました。

2.ミュージカルへの情熱

 「自分の歌を歌いたい」と本田美奈子さん.は思い、『ミス・サイ
ゴン』に挑戦します。しかし、アイドルとしての経歴は役を勝ち取る
ための特権になりませんでした。一般公募として多くの受験生ととも
に、彼女は挑戦したのです。「所詮、広告塔だ」「アイドルにいった
い何ができる」「どうせ、客寄せパンダだろ」。彼女に対する陰口が
ささやかれます。しかし、彼女は「負けるものか」という一心で努力
し、見事に主役の「キム役」を勝ち取るのです。その情熱ぶりを共演
した岸田敏史氏が熱く語ります。

 ロングランとなった『ミス・サイゴン』が成功する中、彼女は舞台
での事故で右足の親指を骨折してしまいます。全治3ヶ月の重症です。
「常人ならば、舞台を休んでしまうだろう。ましてや舞台で歌を歌う
のだから」と番組に出演していた森公美子さんは語ります。「舞台へ
の執念」。彼女は3週間でケガを克服してしまいます。

3.「10小節のロングトーン」~脅威の歌声~

 「つばさ」という楽曲で、本田美奈子.さんは「10小節のロング
トーン」を披露しました。その映像を観ましたが、衝撃的どころか、
ただただ感激でした。「あの小さな体から、どうしてこんなにもすば
らしい歌声が生まれてくるのだろう」と涙してしまいます。

 本田美奈子.さんの「つばさ」は、彼女と公私ともども仲のよかっ
た岩崎宏美さんが引き継いで歌っています。番組でも涙ながらに歌っ
ていました。岩崎宏美さんは歌い終わると「早く美奈子のように歌え
るよう頑張りたい」と語ります。

4.ミュージカルからクラシックへ

 『屋根の上のヴァイオリン弾き』『レ・ミゼラブル』『十二夜』と
ミュージカルで次から次へと活躍する本田美奈子.さん。ミュージカ
ルに挑戦した頃の「陰口」を言う人は、もはや誰もいません。彼女は
自分をさらに磨きます。それは「3オクターヴの歌声」。彼女はヴォ
イストレーニングで音域とともに表現の領域をさらに拡張させます。
森公美子さんは語ります。「普通は、地声からファルセットへの境目
として<チェンジ>があるのに、彼女には<チェンジ>がないのよ」。
岩崎宏美さんは語ります。「ファルセットは弱くなるのに、彼女には
それがないし低音もとても響くんです」。当時ヴォイス・トレーナー
だった岡崎亮子さんは、「背筋がしっかりしていた」と彼女の常識ハ
ズレのトレーニングぶりとともに、述懐します。

 クラシックを歌う彼女の映像。瞳は大きく見開き、輝いています。

5.クラシックを日本語で

 本田美奈子.さんは、日本語の美しさを岩谷時子先生から学んだと
いうことです。クラシックを原語で歌う人はたくさんいます。しかし
彼女は「クラシックに美しい日本語の歌詞をつけて歌いたい」と考え
ました。アルバムを製作する際に彼女はこう言いました。

 「私はこのアルバムに命をかけています」。

 アルバムを製作する前に、MDに100曲以上もの「デモ」を準備
した本田美奈子.さん。その情熱を感じ取ったプロデューサーの岡野
博行氏は「彼女の生き方を一言で表すとすれば、<チャレンジ>です」
と失敗できない当時の引き締まる思いを語ります。

◇◆◇

 ・・・そして、病魔が本田美奈子.さんを襲います。デビューから
20年目の年。病名は、急性骨髄性白血病です。入院生活の中、38歳の
誕生日は自宅で過ごすことができたそうです。そして、彼女は病院で
看護婦に対して「アメイジング・グレイス」をライヴで歌ったのでし
た。もう涙なしでは語れません。これは、彼女が本当に歌を愛し続け
情熱を注ぎ込んだことの証ではないでしょうか。

 2005年11月06日、急逝・・・。

 きっと、天国でも大好きな歌を歌い続けていることでしょう。

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