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風地蔵徒然日記

ギャラリーカフェ風地蔵の毎日を
お届けいたします。

さあ、開演です。

2006年10月06日 15時19分26秒 | 映画・本
10映画行列.jpg

行列ができました!!

そして番号が呼ばれます。3番!4番!
1,2番の方はいなかったので、1番に入場。うれしい。

でも席は一番後ろに座りますが。

今回は立ち見のお客さんはなかったけれど、
補助椅子は出てました。
大入り満員です。

行列のできる映画館。

2006年10月06日 15時05分22秒 | 映画・本
10整理券.jpg

太陽の時は確か47番でしたっけ?
しかも、席が47しかないのに
どんどん詰め込む。

立ち見もいる。

今回は平日の夜。
でも、きのうの朝、全国放送で
ディア・ピョンヤンをやってたし、
買い物もあったので
昼間 整理券をもらいに行きました。

やった!!
3番と4番!
好きなところに座れるぞ。

お気に入りの映画館。

2006年10月06日 14時58分12秒 | 映画・本
10開場30分前.jpg


ディア・ピョンヤンは熱くなってしまいました。

そのあやしい映画館とは?
大垣駅から名古屋までJRで30分。

名古屋駅の新幹線口からでてすぐの
ちっちゃな映画館です。

この日上演は夜の8時でした。

15分前には来てくださいといわれ、
30分前にはついた私たち。

何でも早めに行かないと、
落ち着かない性分なのです。

ディア・ピョンヤン

2006年10月06日 12時11分17秒 | 映画・本
10ディア・ピョンヤン.jpg


笑った 笑った 笑いころげた
そして最後はすべての思いが心に突き刺さり、泣きに泣けた!!

ピョンヤンにまんぎょんぼんごう(あってる?)に乗って行ってきた。
もちろん映画の中で。
漢字で書くと 万景峰号。
その船内は?
北へ帰るとき、地図ではすぐそばの国なのに、
船と飛行機と車で3日もかかるそうだ。
老人にはこたえるだろう。

アボジ(お父さん)はみていても、からだがえらそう(大変しんどそう)だった。
北へ向かう、祖国へ帰る船内のアナウンスも
セレモニーも
ちょっと前のテレビボケした私なら、
「やっぱり。北朝鮮は怖い。
こんなところから洗脳してる。」
なんて、思っただろう。

アボジ(父)もオモニ(母)も、
ただただ最愛の息子や孫に逢える喜びの表情だけが
印象的だった。

そんな北朝鮮のアナウンスを
変だと思う娘(監督)。
今回はじめて、自分の感情のなかで
大きく変わったものがあった。

北朝鮮という国を、学校のクラスの中に置き換えてみた。
まったく持ってけしからん話かもしれないが、
何をしでかす国かわからないなんて、
報道されるより、それは真実かどうか、
自分に近いところで
考えてみることにした。

いや、見てるときはそんなこと考えもしなかったけれど、
なぜ私がそう思ったのかの説明に、今考えている
と言ったほうが正しいかな。

北朝鮮が、どこでも、いつでも
なんだか、そう言ってなければいられないような
のは、怖い国だからだろうか。

拉致の報道のように、人が言うように、なにをするかわからん
国で、すべてがそんな人たちなのだろうか?

この映画ですくなくても、個人的なすべての
人が、怖いわけではないと、違うことがわかった。

国としてのやり方は、まちがっていると思う。
それを人民に強制していることが
とってもおかしなことだと思う。

どうすれば一番いいかを、考えられないような
大きな世界の国々と言う、集団の環境が
そうさせてしまっているのだとも思う。

自由に生きられない国。
気を許せばやられてしまうから。
そんなことを思うのは私だけだろうか。

いつも、世界に向かって
意地を張ってなければ、
弱いものいじめをする相手にいつでも攻め殺されるような
危機感、緊張感が抜けないから
一致団結のポーズをとり、
威嚇しているんだと
感じた。

テレビで見る北朝鮮とはまったく違った。
同じような映像もあったし、
マスゲームのように綺麗に整列して歩く団体もあったけど、
日本人がその映像に解説をつけるような、
そんなものではないことを確信した。


好きでやってる人はいないだろうし、
それがいいとも思っていない。
洗脳なんてされていない。
そんな自由はない。
ただ、個人的に意見がいえない、人命に関わる状況であることだけの
現実の中で、大事に思う人のできた、親は
従わなければならないようなシステムに
なってるように思う。

ただ、とことん信じて疑わないことが、
生きる道だと教えられた、子どもたちにとって、
この大人の選択はただしいのだろうか。

もちろん自分の眼で確かめたわけじゃないけど、
長年朝鮮総連の幹部であった父の
勲章をいっぱいつけてスピーチした、内容と、心の中を
見比べた時、「それ」ははっきり感じた。
アボジ(お父さん)から感じた「それ」はまちがいないだろう。
と、私は思いたい。

「それ」とは、心の中までは支配できないと言うことだ。


私はこのお父さんの「仕事」すなわち将軍様に
忠誠を誓うのは生きるため、それも自分だけの問題ではなくて、
ピョンヤンで暮らす息子、孫、親戚総勢4、50人ほどいる
家族がその土地で幸せに暮らせるように願う親心だったと思う。
そして、それはいつでも死を意味する
命がけのことなだけに。

真実の声は、家族と人前で見せる、まったく違う表情のなかにあると思う。
それも、やっと今になって、
安心したわが家の部屋の布団の上でのみ。

病床に伏せっておいでだけど娘と最愛なるオモニ(お母さん)にだけ、
最後にみせる真実を。

その一番の理由は守らなければならない娘は立派に成長した。
父に、違う思想をぶつけて
反発するうちは、心配だったろうが、
今こうして、自分の意思を貫けた、
しかも世界にアピールできた娘が、目の前にいるからだろう。

社会から自分が守る必要がなくなったと確信できたからであろう。
そして、そのことがすごく嬉しいんだと思う。

からだをはってこどもたちを守る。生き続けるために。
もちろん、はじめっから、そう思っていたわけではないと思うが、
気付き始めた時からはずっと。

最愛の娘にいくら思想が違うと、反感をかわれても
心のうちは娘だからこそ 愛しているからこそ
かたくなに守りとおしたんだろう。

その深意を娘は、知らないうちにうけつぎ映画にしたのだと感じた。
もう気がついたのだろうか。
ちかすぎて見えない本物の愛のかたちがここにある。

もちろん人間としての。国籍!!
人の心までも奪われる。
人間の一生を支配する。
国とはどうあるべきなのか。

マスコミがさわぐような簡単な問題ではないことが、
アボジが一生をかけて問うてくれたような気がする。

知らないくせに、簡単に勝手なことをいうなと言われそうだけど
知らないからこそ 見えることがあるのかも知れません。


駅に向かう歩道で後ろから、スーツの男の人の声が飛び込んできた
「・・でもやっぱり、韓国と北朝鮮は嫌やな!」はっとして振り返る。
さっき同じ映画館にいた黒いスーツのカップルだ。

りおんに今のセリフを教えた。
「同じ人間なのに、なんで国で線をひくんや!」
あの映画をみても見方、感じかたは違うんだ。

そう思ってたら、
りおん「信じられんな。りおんはライオンキング作ったひともすごいと思うわ。
だって言うやんか。
争いはやめて!わたしたち同じライオンじゃない!!って。
それとおんなじことやろう」

そうや。
だいたい在日って言葉もおかしいと思う。
日本で生まれ日本で育ったのに。いや、それも変かもしれない。

無理矢理名前まで日本名をつけさせられ、国籍はそのまま。
外国人登録証を持ち歩かなければ逮捕される日本で生まれ、
育った外国人っていったいなぜ!なんのために!!

日本はそんなに人の一生を簡単に決めれるほど、偉いのか。
よそもの、自分とチガウモノ(なにが)を排除するのはおてのもの。

「同じ感情を持つ 人間同士なのに」

いつも身分の下のものをさげすみ、優越感をもたなければならない
愚かな考え。身分制度はそうして生まれた。
だから同じ国籍同士でも、差別は生まれる。
だれかよりも、少しでも上にいたいから。
平等を善しとしない、昔からの競争社会。
誰のために?
お国のため?

つまり、つらすぎる社会がつくりだす背景に
まんまと引っ掛かってる私たち。

でも、そればかりだろうか。
国や社会のせいにしていても、
何も変わらない。
おかしいと思ったら、先ず声に出し、闘はなければいけないと
最近はつくづく感じる。

私たちが暮らす国も、近い将来、
アボジが闘った手段を、とらなければならない日が来るかもしれない。


真実は、もっとみじかなところにあるのかもしれない。
自分自身の心のなかとかね。
闘わなければならないのは自分自身の目先の欲なのかもしれない。
そんな意味でも、形は違えど、自分の魂ををなげうって
誠実な無償の愛を持てるアボジを私は心から尊敬する。

誰か、気がついて。
なんとかして。
愛するものが目の前にいる。

なにわのおっちゃんの病床で、上げた声は
私の中にいつまでもこだまする。