(3年前 スタッフといった時の長崎レポート)
水をください
孔子廟、グラバー園をあとにして、長崎の最終目的地の平和公園と
原爆資料館を訪れました。
私は帰るたびに必ず行くコースですが、平和の泉まではなかなか行かず、
きょうは行くことが出来てとても新鮮です。
祈念碑には子どもの字でこう書かれています。
「・・のどが渇いてたまりませんでした
水には油のようなものが一面に浮いていました
どうしても水が欲しくて とうとうあぶらの浮いたまま
飲みました」
永井隆さんの本、「原始雲の下に生きて」の中に編集されている、
当時4歳から12歳の子どもたち37人の手記の中の、
9歳の少女の文の一節なのです。
同じ年の我が子は、
「何で水が欲しいの?」
「何で川の水を飲むの?」
と言います。
焼け野原でも、水道や、電気はあると思っているのですね。
想像ができないのです。
小説ではなく、現実の歴史を生きた当時の子どもたちと、
今の子どもたちの人間としての心の構図は違うのでしょうか。
そんなことはないですよね。
真実を知らないだけで。
手記の中の、子どもたちの言葉に「おどおどする」がよくでてきます。
戦時中、長崎だけでなく、日本中の子どもたちが、
平和とは無縁の希望のない、想像もつかない恐怖を
感じながら生きていたのですね。
なのになぜ、今再び繰り返されようとしているのでしょうか。
母よ
かけがえのない「いのち」を産む母たちよ。
どうか我が子だと思ってみてください。
子どもの頃はただ怖いだけだった原爆資料館も
母親になって見方が変わりました。
自分のことのように想像できるのは、
この世に命という文化を誕生させる
母親だと思うのです。
子どもを産むことがいいことのような
こういう言い方だと、かなりの反感をかうでしょうが、
いいたいことは違います。
この世に存在する、すべての人は
母体から生まれました。
どうか、自分の母親を思ってください。
子どもを産む瞬間は、命がけの力が要るんです。
たいていの人の場合、
「もう、どうなってもいい」と、
最後の力を振り絞らないと
子どもは出てこないのです。
これもまた想像を超えているからこそ、
どの出産にもドラマがあります。
私は出産直後、この世のすべての母親を
尊敬しようと、心に誓ったことを覚えています。
そして同時に、苦しみを乗り越えて生まれてきた
わが子を尊敬しました。
平和といのちは力を振り絞って、生み出すものだと思っています。
計算できない、究極の無償の愛が、そこから生まれるのだと思います。
もちろん母親だけでなく、生み出されたがわも愛をもらいます。
愛には理由は要らないのです。
同じ「人間」を生んだ母親よ!いのちの尊さを我が子に伝えて
あげてください。
誰ひとりとして、殺していい人間はいないのだと。
当たり前のことを忘れて大きくなった子どもたちに。
何も、特別の人が平和を考えるのではないのです。
私たちを生み出した母親よ!
どうかいのちの大切さを忘れている人々に、
生きて欲しいと願う希望を、立ち上がり広げていってください。
たくさんの観光客
平和祈念像の「祈」が「記」ではないこと、
天を指す右手は原爆の怖さを、
水平に伸ばす左手は恒久平和を、
立てた左足は、恐怖を体験した長崎市民が
世界へ向けて立ち上がろう!と言うものだそうです。
そして、平和の泉に書かれた子どもの字は
風地蔵のカフェの障子に大きく書かれた書道家、
岩瀬桃谷先生の師匠の字なのです。
そんなさまざまな思いを重ね、
人の目をまったく気にしない、
私たちおやこは、ガイドの説明に聞き入る大勢の
ツアー観光客のまん前で、祈念碑の下を流れる
絶やさない水を、ひざをつき、手ですくいあげ、
水をくださいと言って死んでいった
この世に生きた同じ人々を思いながら、
両側から丁寧に、何度も何度も
水をかけささげました。
私たちの後ろで、
入れ替わり、次から次に足早に過ぎ去る、
たくさんのツアーのざわめきが
しばらく静かになったような気がして、
そのまま振り向くと、いつのまにか
私たちおやこは、いくつもの団体大勢に注目されていました。
そして、そのなかのガイドの一人の方が、
「さあ、皆さんも水をたっぷりかけてあげてください。」
とよびかけてくださったのです。
限られた時間で、スケジュールを大きく狂わせたことは、
私たちの後ろにならんだ長蛇の列を見れば一目瞭然です。
きっと、旅行の途中で立ち寄っただけかもしれない、
平和の泉で、ひざまづかないとすくえない水を、
きれいなよそ行きの服が汚れるのもかまわず、
何人もの人が、私たちのあとに続いてくれた光景に、
未来を見ました。
その日の長崎の天気のようにまぶしすぎて
涙がでました。
空へ
搭乗手続きもすべりこみでぎりぎりだったせいで、
スタッフ4人は二人づつ前方と後方に離れてしまい、
雲もないのにかなり揺れる機内に、初めてのった飛行機の
前の二人が気になります。
私たちおやこは、特別席のように一番後ろに
ぽつんと2席だけある、秘密の場所のような座席で、
わくわくです。
それにしてもいつまでも続く、これまでにないような
揺れに、不安になったらしい娘は、そわそわしはじめました。
「その、壁の向こうにでーんと座ったベテランそうな
客室乗務員の顔を覗いてごらん。
普通の顔しとったら、落ちへんよ。」
とささやきます。
そのとき、わたしはというと、九州の落陽のなごりを
上空よりうっとりと眺めていました。
陽は落ちているのだけれど、西の水平線の向こう側が
ぼんやり明るく、絵の具をこぼしたような
なんともいえない色で美しいのです。
なんだか自分が、夜を駆ける穏やかな
風になったようでした。
見上げると夜空には満天の星です。
機体が大きく傾くと優しい顔をした三日月と目があいました。
思わず微笑んで、軽く会釈をしました。
毎日こうして風になって、地球の一日をみれるといいなあ。
海は果てしなく広がり、山は深く続き、町は天の川のように
明かりを灯して輝きます。
星たちはきっと、自分たちの仲間が地球上にいると
信じているのだと思います。
天空と地上の星を、日本の西の果ての大地から、
真ん中まで見続けられる贅沢さに心躍ります。
そういえば、クリスマスにも同じ時間、九州より、仕事で
とんぼ返りした日の機内で、日本列島半分の壮大な
日本と言う町の家々の灯による
イルミネーションのクリスマスツリーを
こっそり見せていただいたことを思い出します。
クリスマスの晩、この小さなやわらかい灯の下の、
笑い声や、ケンカの声など、数えきれない幸せを、
思い浮かべていたことを。
そしてすべての愛を独り占めさせてもらったかのように
感動し、涙したことを。
今夜の桜舞う季節の灯の下にはどんなドラマがあるのでしょう。
いろんな生き方を想像しただけで幸せになってしまいます。
今夜も、地上の天の川からいろんな声が聴こえてきそうです。
感激を悟られぬよう、大きく静かに息をつき、
いつのまにか眠ってしまった
となりにいる娘のまだ小さな手を
そっと握り締めました。
このたくさんの灯が
永遠に消えないようにと 深く願って。
水をください
孔子廟、グラバー園をあとにして、長崎の最終目的地の平和公園と
原爆資料館を訪れました。
私は帰るたびに必ず行くコースですが、平和の泉まではなかなか行かず、
きょうは行くことが出来てとても新鮮です。
祈念碑には子どもの字でこう書かれています。
「・・のどが渇いてたまりませんでした
水には油のようなものが一面に浮いていました
どうしても水が欲しくて とうとうあぶらの浮いたまま
飲みました」
永井隆さんの本、「原始雲の下に生きて」の中に編集されている、
当時4歳から12歳の子どもたち37人の手記の中の、
9歳の少女の文の一節なのです。
同じ年の我が子は、
「何で水が欲しいの?」
「何で川の水を飲むの?」
と言います。
焼け野原でも、水道や、電気はあると思っているのですね。
想像ができないのです。
小説ではなく、現実の歴史を生きた当時の子どもたちと、
今の子どもたちの人間としての心の構図は違うのでしょうか。
そんなことはないですよね。
真実を知らないだけで。
手記の中の、子どもたちの言葉に「おどおどする」がよくでてきます。
戦時中、長崎だけでなく、日本中の子どもたちが、
平和とは無縁の希望のない、想像もつかない恐怖を
感じながら生きていたのですね。
なのになぜ、今再び繰り返されようとしているのでしょうか。
母よ
かけがえのない「いのち」を産む母たちよ。
どうか我が子だと思ってみてください。
子どもの頃はただ怖いだけだった原爆資料館も
母親になって見方が変わりました。
自分のことのように想像できるのは、
この世に命という文化を誕生させる
母親だと思うのです。
子どもを産むことがいいことのような
こういう言い方だと、かなりの反感をかうでしょうが、
いいたいことは違います。
この世に存在する、すべての人は
母体から生まれました。
どうか、自分の母親を思ってください。
子どもを産む瞬間は、命がけの力が要るんです。
たいていの人の場合、
「もう、どうなってもいい」と、
最後の力を振り絞らないと
子どもは出てこないのです。
これもまた想像を超えているからこそ、
どの出産にもドラマがあります。
私は出産直後、この世のすべての母親を
尊敬しようと、心に誓ったことを覚えています。
そして同時に、苦しみを乗り越えて生まれてきた
わが子を尊敬しました。
平和といのちは力を振り絞って、生み出すものだと思っています。
計算できない、究極の無償の愛が、そこから生まれるのだと思います。
もちろん母親だけでなく、生み出されたがわも愛をもらいます。
愛には理由は要らないのです。
同じ「人間」を生んだ母親よ!いのちの尊さを我が子に伝えて
あげてください。
誰ひとりとして、殺していい人間はいないのだと。
当たり前のことを忘れて大きくなった子どもたちに。
何も、特別の人が平和を考えるのではないのです。
私たちを生み出した母親よ!
どうかいのちの大切さを忘れている人々に、
生きて欲しいと願う希望を、立ち上がり広げていってください。
たくさんの観光客
平和祈念像の「祈」が「記」ではないこと、
天を指す右手は原爆の怖さを、
水平に伸ばす左手は恒久平和を、
立てた左足は、恐怖を体験した長崎市民が
世界へ向けて立ち上がろう!と言うものだそうです。
そして、平和の泉に書かれた子どもの字は
風地蔵のカフェの障子に大きく書かれた書道家、
岩瀬桃谷先生の師匠の字なのです。
そんなさまざまな思いを重ね、
人の目をまったく気にしない、
私たちおやこは、ガイドの説明に聞き入る大勢の
ツアー観光客のまん前で、祈念碑の下を流れる
絶やさない水を、ひざをつき、手ですくいあげ、
水をくださいと言って死んでいった
この世に生きた同じ人々を思いながら、
両側から丁寧に、何度も何度も
水をかけささげました。
私たちの後ろで、
入れ替わり、次から次に足早に過ぎ去る、
たくさんのツアーのざわめきが
しばらく静かになったような気がして、
そのまま振り向くと、いつのまにか
私たちおやこは、いくつもの団体大勢に注目されていました。
そして、そのなかのガイドの一人の方が、
「さあ、皆さんも水をたっぷりかけてあげてください。」
とよびかけてくださったのです。
限られた時間で、スケジュールを大きく狂わせたことは、
私たちの後ろにならんだ長蛇の列を見れば一目瞭然です。
きっと、旅行の途中で立ち寄っただけかもしれない、
平和の泉で、ひざまづかないとすくえない水を、
きれいなよそ行きの服が汚れるのもかまわず、
何人もの人が、私たちのあとに続いてくれた光景に、
未来を見ました。
その日の長崎の天気のようにまぶしすぎて
涙がでました。
空へ
搭乗手続きもすべりこみでぎりぎりだったせいで、
スタッフ4人は二人づつ前方と後方に離れてしまい、
雲もないのにかなり揺れる機内に、初めてのった飛行機の
前の二人が気になります。
私たちおやこは、特別席のように一番後ろに
ぽつんと2席だけある、秘密の場所のような座席で、
わくわくです。
それにしてもいつまでも続く、これまでにないような
揺れに、不安になったらしい娘は、そわそわしはじめました。
「その、壁の向こうにでーんと座ったベテランそうな
客室乗務員の顔を覗いてごらん。
普通の顔しとったら、落ちへんよ。」
とささやきます。
そのとき、わたしはというと、九州の落陽のなごりを
上空よりうっとりと眺めていました。
陽は落ちているのだけれど、西の水平線の向こう側が
ぼんやり明るく、絵の具をこぼしたような
なんともいえない色で美しいのです。
なんだか自分が、夜を駆ける穏やかな
風になったようでした。
見上げると夜空には満天の星です。
機体が大きく傾くと優しい顔をした三日月と目があいました。
思わず微笑んで、軽く会釈をしました。
毎日こうして風になって、地球の一日をみれるといいなあ。
海は果てしなく広がり、山は深く続き、町は天の川のように
明かりを灯して輝きます。
星たちはきっと、自分たちの仲間が地球上にいると
信じているのだと思います。
天空と地上の星を、日本の西の果ての大地から、
真ん中まで見続けられる贅沢さに心躍ります。
そういえば、クリスマスにも同じ時間、九州より、仕事で
とんぼ返りした日の機内で、日本列島半分の壮大な
日本と言う町の家々の灯による
イルミネーションのクリスマスツリーを
こっそり見せていただいたことを思い出します。
クリスマスの晩、この小さなやわらかい灯の下の、
笑い声や、ケンカの声など、数えきれない幸せを、
思い浮かべていたことを。
そしてすべての愛を独り占めさせてもらったかのように
感動し、涙したことを。
今夜の桜舞う季節の灯の下にはどんなドラマがあるのでしょう。
いろんな生き方を想像しただけで幸せになってしまいます。
今夜も、地上の天の川からいろんな声が聴こえてきそうです。
感激を悟られぬよう、大きく静かに息をつき、
いつのまにか眠ってしまった
となりにいる娘のまだ小さな手を
そっと握り締めました。
このたくさんの灯が
永遠に消えないようにと 深く願って。