写真は、窪塚くん出演のGO!です。
みられましたか?
窪塚くんふんする杉原のセリフすべてが
「そうだそうだ」とうなづけるものばかりでした。
こんかい、東京芸術座の舞台「GO!」を、きのう観にいきました。
大垣の高校の、学校公演でした。
この作品の初演を、名古屋の学校公演に観にいったのが
いつだったか・・・
同じ作品を、時を経て、2回目観るわけです。
初演の「GO」を見せてもらった後、
製作の田口さんと言う方がいらっしゃって、感想を聴かれました。
私は、この窪塚くんのGOを前日ビデオで見て、感動した足で
観にいったから、比べるわけですよ。
出だしのセリフや、興奮してきた時のセリフが
聴こえなかった、聞きづらかったのが残念だったこと、
もっと、魂が燃える、爆発するようなような、
セリフにもある、叫びの聴こえる演技をしてほしかったこと、
遠慮がちに見えたことをいったような気がします。
今回、杉原と親友ジョンイルを演じる二人は
GOのなかの登場人物二人と、まったく同じ、日本で生まれ、日本で育ったのに
外国人登録証を持ってなければならない人だと聞きました。
「だから、セリフはすべて、魂の声なんですよ。
初演から、数ヶ月たった、彼らの演技をもう一度観てほしい。」
熱く語られる、田口さんのお誘いで、2度目の講演を観にいったわけです。
実はその前日 私は、10年分くらいの重き出来事が襲い掛かり、
まったく眠ってなくって、きのうの舞台当日が
観にいけるかどうかも、わからない状況でした。
それでも、幸せなことに昇る朝日を観れました。
新しい朝が、長い夜を越えてやってきました。
自分の中で心の安心をしっかり抱きしめたのが
お昼の12時。
1時の公演に、間に合います。
とても、お芝居を観にいく状況ではないのだけれど、
「田口さんと約束をしたから」その一心で会場へ向かいました。
会場には、バスや自転車で続々子どもたちがやってきています。
駐車場に立つ、スーツ姿の高校教師たち。
その中の一人が、目に飛び込んできます。
どろんこ(学童)の、先生をしてた、子どもたちに人気の
「ちょんま(その頃長髪で髪を束ねてたため、ちょんまげから来た名前)」
と呼ばれてた若い男の先生です。
(そうか・・・。ここの学校の先生になったんだっけ。)
笑顔で、手を振られます。
窓をあけて、「今日は、ここに観にきたの。」と声をかけました。
さあ、会場入りです。
初演の学校公演は男子校でしたが、今回は共学です。
1年生から3年生まで会場中が若さのエネルギーに満ちあふれています。
それだけでも、子どもたちの反応が楽しみです!!
前回の名古屋の進学校は、上演中もケイタイをパカパカあけて、
光らせてた子どもたちも数人いました。
今回の学校は、厳しく観る人の上演マナーの注意がなされました。
ちょんまが、座ってる席へ、声をかけにきてくれます。
そんなことよりも、どろんこの先生が、
この高校で生徒会長をしてたじぶんの母校の先生に
なって、スーツを着てる姿のほうが、眩しく見えます。
みると、ここの先生は、全員スーツなのです。
そんなはなしをすると、
へへへと、髪をかきながら照れ笑いをするちょんまは
生徒の中に入っていきました。
さあ、校長、現生徒会長の
「この演劇から偏見や差別、社会的な問題を考えてください」といった、
学校公演ならではの挨拶も終わり開演ブザーが鳴り渡ります。
いよいよはじまります。
心の中で「すぎはら!がんばれ!!」とエールを送りながら。
セリフが、はっきりと一番後ろの席に座った私のところまで
通ってきます。
心配することもなく会場中、前回とは違い、すでに引き込まれていってます。
わたしも、はじまってしまってからは、演技にではなく、
ストーリーの展開もイメージも、ますます膨らみながら
入り込んでいっていました。
映画でも、前回の初演でも気がつかなかったシーンや、
それぞれの役どころの思いが
今回は、ずんずんわかります。
特に、ディア・ピョンヤンをみたり、考えたり、会議でも
自分の言葉で話をしたことなので、
これまであまり残らなかった、北に帰ったお父さんの弟が
死んだ知らせのシーンなんかのお父さんの気持ちが
今回は痛いほどわかります。
その上での、すぎはらから見た、差別と偏見の渦中に苦しんできた
3世からの、1世2世への腹立たしさのセリフ。
おじいちゃんお父さんの世代の出来事を、
考えたら、見てきた杉原自身にとって
そんな軽いもんではないことは、家族として
私なんかが想像出来ない程、実感してるであろうに
はき捨てなければならない、せつなさ。
北へ帰ったおじさんの、現実の死を目の当たりにして、
国から国へと選択して生き抜いていかなければならなかった
、誰が決めたであろう、自分たちの性。
アボジたちが、差別と、権力と闘わなかったからだと、
はき捨てる彼の心中。
自分の身もまた、常に死と隣りあわせだと
感じて生きてこなければならなかった
世の中の矛盾に対しての怒りの言葉なのだろう。
日本人といわれる人の、果たして何人が
こんな思いをして生きているだろうか?
すぎはらの「魂の叫び」が今回は
数々のセリフとシーンを通して
私の中にどんどん突き刺さってきた。
おまわりさんのシーンはいつ見てもほっとする場面だけど、
今回始めてその意味がわかった。
ここでは、立場の違う、年の近い二人だけど
、平等の関係だからなのだと。
肩の力が抜けて、敵ではないと思える
すぎはらの心が解放されている。
生き抜くために、常に周りの敵を意識する術。
私自身、とても似たようなところがある。
あの目を持つひとりだろう。
私もいつか、国境を消したいと心から思う。
きのうはとっても、深く深く伝わった舞台でした。
たくさんの人が、他人事ではなく、
自分のこととして考えられることが
国境線が消えていくことだと思います。
そう思うと、ほんと すばらしい仕事ですね!
この前、誰かが言ってましたが、
「感動をともにしたもの同士は争いをしない」そうです。
学校と言う、集団や、子ども、おやこ劇場、演劇鑑賞会などの
「顔の見える集団」で、舞台をすることの意味が
とても大切なのだと思います。
最後のピースをみんなで受けとれたこと うれしかったです。
(ウメコ婆ちゃんの笑いはどこにいっても すごいですね。
存在感。楽屋でちょこっと話せて嬉しかったです。)