バラ肉色の生活

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被災地のカレー、日本人の優しさの味(タイのテレビ局記者)

2011年04月04日 | 東日本大震災
宮城、福島を10日間取材
【バンコク西尾英之】
 避難所の被災者たちからもらったカレーに日本人の温かさを知った--。東日本大震災後の3月15日から24日まで、取材のため福島、宮城両県の被災地を訪れたタイ人女性記者、タパニー・イアスリチャイさん(33)=写真・「チャンネル3」提供=は「厳しい状況にあるのに、誰もが外国人の私に優しかった。あの人たちの故郷が一日も早く元の姿を取り戻してほしい」と被災地の人々に思いを寄せている。

 タパニーさんはタイのテレビ局「チャンネル3」の記者としてバンコクから派遣され、主に被災地に取り残されたタイ人の状況を取材した。

 日本人男性と結婚して暮らすタイ人女性たちのほとんどが、帰国せず家族と一緒に日本にとどまる決意を固めていた。「夫の母が涙を流して『おまえはタイへ帰りなさい』と言ってくれた。放射能が不安だけれど家族を残して、私だけここを離れるなんてできない」。福島第1原発から50キロほどの福島県内の農村に住むタイ人女性は、取材にそう答えた。

 カメラマンや通訳とともに両県で取材し、いったん東京に戻った後に、今度は一人でバスで宮城県石巻市に戻った。たった一人で飛び込んできた異国の記者を、石巻の人々は温かく迎えた。タクシー運転手は事情を知ると運賃を大幅に値引きし、無給で「臨時助手」として助けてくれた。店を再開させたばかりのコンビニ店長に「困っているタイ人に配りたい」と訴えると、「1人2個まで」というルールを破って「何個でも買っていきなさい」と言ってくれた。

 21日、同市内の避難所で初めて調理が可能になり、カレーと揚げ物が料理された。被災者だけでなくタパニーさんも、それまで被災地では冷たいすしやパンばかり。湯気を上げるカレーを前に、最初は「みなさんで食べて」と遠慮したが、高齢の被災者たちは「あんたも食べなさい」と勧めてくれた。タイのカレーとは違う味だったが、日本人の優しさに触れ「こんなおいしい料理、生まれて初めて」と感激した。

 「タイ人にとって日本というと近代的な大都会のイメージばかりだけれど、人々の人情はタイと同じ。困難な立場の被災者が教えてくれた」。10日間の被災地取材を、タパニーさんはそう振り返った。
ソース 毎日jp



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