中学二年生の二学期だったと思うんですが、一つ事件がありました。
「結婚したお前の姉ちゃんに家買ってやるから、お前高校に行かす金はなくなった。ついては中学出たら働いてわしらを養うように。」
と、ある日父に言われたのです。
驚きと同時に果てしない恐怖がありました。
なにせ一年後には、とにかく大人になって電気代やガス代の心配をしなきゃいけなくなったわけです。
ちなみにその頃僕の成績はかなり良く、一学年650人中二十番以内とかでした。
ぼんやりと、とりあえず大学は行くんだろうなぁくらいしか将来については考えてなかったのです。
正直腹も立つ部分はあったんですが、敵もさるもの
「お前も姉ちゃん好きだから別にいいよな?」
と釘をさされました。
そりゃあ、たった一人の姉弟です。幸せになって欲しいにきまってます。
が、しかし、いや、しかし、、、、。
とりあえず一年後には厚生年金や扶養控除の心配をしなければならなくなった14歳です。
勉強は、因数分解はもう必要ありません。
ただ漠然と、しかし黒くて重たい不安がいつも僕を覆っています。
今考えれば、世の中には同じ頃公園に住んでた中学生もいたのらしいので、たいした事じゃないんですが、当時の僕には重すぎたのです。
当時、おまけに文才もあったりしてちょっとした物語も書いて雑誌に載ってたりしたのも重なって、それまで仲の良かった友達は皆離れていってしまいました。
なにか僕が上手く出来なかったのでしょう。
ただ、その友達達は小学生の頃は、どうも上手く人と付き合えない僕には初めての友達だったのでかなりショックでした。
だからと言ってオナニーしないわけではなかったのですが、皆みたいに一日三回とかはなかったなあ。
おお、話が逸れましたね。
で、気がつくとまわりの友達というのはガラリと変わって、シンナー吸ってラリっては畳みをほじくりながら、ここに宇宙人が隠れてるんだ~!とか叫んでたりするノーフューチャーな集まりになっていました。
全くのノーフューチャーです。
家に帰ると、親父が酔っ払って唯一小学生の時から友達でいてくれた犬のジョンを蹴ってたりします。
やめてと言うと、誰に食わしてもろうとるんじゃお前ゴルア!
全くノーフューチャーな日々でした。
こんなもんは誰にも相談なんて出来ないもんなんです。
姉ちゃんが嫁ぎ先からわざわざどうしたん?と聞きに来てくれた事がありましたが、もちろん言えません。
多分このblog読まない限り一生知らないんじゃないかなぁ。
ところが、なんとした事か高校へ行けることになり、僕は中途半端に高校へ行きました。
多分母ちゃんが頑張ってくれたんだと思う。
それから母ちゃんの内職の量が増えたから、まさに夜なべしてよく内職してたのを思い出す。
いまだろくに親孝行出来ないのが本当に本当に歯がゆいです。
さて、中途半端に高校に行ったのは良いんですが、中二から勉強してないし、でもまだ勉強の貯金があって迂闊にもそれなりの進学校に進んだのもあって、これがグダグダ。
不安感が消えるわけでもなかったのです。
そんな時、そんなノーフューチャーな時です。
ブルーハーツが聴こえてきたのは。
気が狂いそう。
人に優しくしてもらえないんだね。
今思うと、読むと青臭すぎて死んでしまいそうですが、本当にこの頃の僕には効きました。
比喩や表現ではなく、そのまんまの意味でブルーハーツがいなかったら僕はまともに人生やれてなかったと思います。
ちなみに親父は本当は優しいやつで、家族を守るため必死だったんが、どっかでおかしくなって男の僕に助けを求めただけだったのかもしれないので、そんなに言う程悪くもない
と思う日もある。
が14歳に頼むなよと思う日の方が多い。
バンコクの暑い夜にて。