goo blog サービス終了のお知らせ 

定年夫婦の暮らし方(店長日記)

盛岡に住む定年夫婦(昭和20年生)の暮らしを分ち合います。

2006年ピースボート世界一周の旅39/クリストバル(パナマ)

2008年06月28日 | 思い出の旅行
 6月13日(火) パナマ クリストバル  ツアー「ボートツアーと熱帯林ハイキング」に参加

 ジャマイカから1日半の航海でパナマ運河の入口、クリストバル港に13時着岸。雨が降って温度が少し下がり朝晩は心地よい気温であった。海は荒れていないのにかなり揺れを感じる航海であった。


      カリブ海を行くトパーズ号


       カリブ海の海の色

 部屋の丸窓から遠くの防波堤と直ぐ側に灯台が見える。デッキに登ると南にパナマ運河の入口と北に待機している数隻の大型コンテナ船が見える。埠頭に体育館のような大きな建物が見え、中で土産屋が開店準備をしている。


      パナマ/クリストバル港

 我々はパナマが治安の悪いことと、寄港時間が13時から19時の6時間しかないことからツアー「ボートツアーと熱帯林ハイキング」に参加した。上陸説明会では治安が悪いので今まで寄港しなかったとのこと。今回は要望が多かったので寄港することになったが治安の問題から帰船リミットを19時に設定したとのことであった。
 12時に昼食をとり13時30分下船、建物の中を通り入国審査なしで通過、マイクロ・バスに乗り込みチャグレス川に向かう。検問所を通過するとバスターミナルがある。独特のヘアスタイルと派手なペイントが目につく。バスは運河職員の官舎前を通り線路を渡る。元気のよい現地ガイドが灰色イグアナがいると線路方向を指差す。見ると線路の上でじっとしている姿が見える。灰色イグアナと緑イグアナがいて緑イグアナは食用になるとのこと。


          下船風景

 バスを走らせガトゥン閘門に出ると車が数台停まっている、その前方に大きな煙突がゆっくり動いている。丁度船が運河を通過しているところであった。閘門が閉まると同時に道路がつながり車が通れるようになる。この間、閘門内に水を溜め、水位が上がったら船は次の閘門に移動する。長い場合で20分位待たされるとのこと。


        運河を渡る/赤信号


      運河を渡る/船が運河を移動


        運河を渡る/青信号



       コンテナ船が運河を移動

 我々は10分程待って閘門を渡り、ガトゥン・ダム湖に向かう。湖に着くと20人乗り位の小さなエンジン付きボートが待機している。乗り込むと運転手兼ガイドは大きな木がある岸に近づき、木の中央に猿がいると言う。皆懸命に指差す方向を見るがなかなか見つからない、しばらくして黒い塊を見つけ、それが猿であることに気づく。
 ボートは動物が逃げてしまうのではと思えるようなけたたましいエンジン音を響かせて走り回る。しかしガイドはエンジンの騒音の中で○○鳥の鳴き声が聞こえると言う、数十種類の鳥を形だけでなく鳴き声で判別できるとのこと。40分程の時間で猿、蟹、腹が黄色の鳥等何種類かの鳥を目撃することができた。岸辺にクロコダイルがいてガイドがレザー光で示してくれたが確認できなかった。


         ボートに乗る


         湖の周辺の風景


         ボートの中

href="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/af/985a155f179f1f10a84f529df1a7e095.jpg">
          猿を発見

 ボートを小さな桟橋に着けて上陸し熱帯雨林を歩いて動植物を観察する。虫除けスプレーを露出部分に吹き歩く準備をする。熱帯雨林はさわやかな湖面と違い蒸し暑い。幅2m程の道がついているので歩くのは問題ない。
 歩き始めて間もなくガイドが猿を発見し教えてくれる。ガイドは木を探しては上を見ている、餌になる実のなる木を見つけて、その実が食べ頃になっているか確認して、食べにきている動物や鳥を探しているようだ。猿を見た付近の道に丸いピンポン球の様な木の実が落ちていた。ガイドはもう少し熟した実は猿の好物であると教えてくれた。
 パナマ帽の材料になる植物を折って、皮をむいて白い茎を食べて、ジャングルで食べ物が無くなったら猿が食べている植物を食べれば生き残れる、自分は猿がこのようにして食べているのを見たことがあるとサバイバルの方法も教えてくれる。
 幹の中程がきりたんぽの様に膨らんでいるのが見られる、シロアリの巣とのこと。巣を作る材料を地上から運んであのような形の巣を作るとのこと。ガイドに言われて足下を見るとシロアリが行進している、それほど大きくはない。
 しばらく歩くと木の葉を運んでいるアリに出会う。5ミリ角程に切断した緑色の葉をせっせと運んでいるアリの行進が切れ目なく続いている。絵本の世界に入り込んだ気分であった。このアリは地上に巣を作り葉を集めて腐らせキノコを発生させて食糧にするとのこと、栽培するアリである。集める葉は決まっているとのこと。



         ジャングルの中




       ジャングル/蟻の行進

 50分程でバスが駐車している場所に到着、途中で雷が鳴りスコールがあるかと心配したが何とか降らずに済んだ。
 バスは来た道を引き返し、ガトゥン閘門へ向かう。帰りも船が通行中で待ち時間があったので今回は降りて見学する。巨大な船が閘門を通過する様子は迫力がある。

 ガトゥン閘門は見学コースになっていて建物の上から運河の仕組みを見ることができる。上流の閘門が閉まり、排水され水位が下の閘門と同じなったら下流の閘門が開き、船が電気機関車に引っ張られて閘門の中に入る。完全に入ったら下流の閘門が閉じられる、この時通路もつながり車も人も通行できる。そして閘門の中に水位が高い上流の水が流れ込んで水位を上げていく。水位が上段の閘門と同じになれば前の閘門が開き船が再び引かれて移動する。
 閘門に水を満たすために水位の高いガトゥン湖の水を利用している。ガトゥン湖の水位と水量維持がパナマ運河にとって非常に大事であることがわかる。そのためにチャグレス川にダムを築き巨大な人造湖を築いている。更にチャグレス川の上流にダムを築いてチャグレス湖の水量調整をしている。これらのダムで発電し船を牽引する電気機関車の電源として使用されている。


           閘門


       運河を見渡せる展望台


         閘門の全景


 ガトゥン閘門見学を終え、17時45分港に帰る。早速ゲートの中のカフェでガイドから教わったパナマ・ビール「SOBERANA」を飲む、あっさりした味でもの足らないがしっかり冷えてて美味しかった。
 お土産屋を見てまわり、ショール3点(30ドル)、チョコレート4点(20ドル)、マラカス8ドル、絵はがきを買う。ドルを使い果たして奥に行くと屋台の土産屋が店を出している。その中に全身刺青をしたインデオのコーナーがあった。男も女も服を着たように全身黒く刺青をした姿でいたのにショックを受けた。帰船リミットが迫っていたので彼らの土産品や刺青をしっかり見ることができなかったのが残念であった。白人の女性が側にいたが支援者だろうか。土産を売るためにあのような姿をしているのか、日常的なのか。後から写真を撮ると1ドル取られると聞いたので売物にしていると思われる。誇りを捨て金のためなら何でもやるような彼らの姿はここにふさわしくないと思った。



         お土産や風景


      パナマ・ビール「SOBERANA」


         インディオ





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2006年ピースボート世界一周の旅38/モンテゴベイ/ジャマイカ

2008年06月26日 | 思い出の旅行
  6月11日(日) ジャマイカ モンテゴベイ  ツアー「ラスターマンに出会う」に参加

 6時30分起床、トパーズ号は既にフリーポート・クルーズ・ターミナル5、6番埠頭に着岸しており丸窓から港の景色が見える。
 ツアー出発まで時間があったので下船して目の前にあるターミナルの土産屋を覗く。カラフルな色使いの陶器、ガラス、木製品等の雑貨やティーシャツ、ワンピース等の衣類、絵画、コーヒー、スパイス等の食品、ラム酒、ウイスキー、タバコ等の免税品、切手、ボブ・マリーのCD等が売られていた。お土産用にブルーマウンテンコーヒーとミニ太鼓2種類、切手を買いハガキを投函する。

*恥ずかしい話ですがブルーマウンテンコーヒーがジャマイカ産であったことをこの時知りました。帰国後、まったく期待しないで買ったこのコーヒー(小さいパックで1ドル)をお土産として配ったところ、コーヒー通から大変美味しかったと感謝されました。安くて美味しい最高の土産になりました。ジャマイカに行かれたら忘れずに。


        モンテゴベイ湾


       土産屋で/Tシャツに注目


          土産屋


 9時30分水着を着てバスに乗り込み出発、海岸を通り10分程で向かいの埠頭にトパーズ号が見えるアクア・ソル・ビーチに到着、ここで1時間30分海水浴時間となる。小さな浜に監視塔が2つ、露店のお土産屋が1軒、木に吊るしたカラフルなワンピースが南国情緒を誘う。既に自由行動で来た若者が歓声を上げながら遊んでいる。 
 街の中心部に近いが水はきれいだし珊瑚で出来た砂浜も白くきれい。ポスターで見る南国のビーチそのままであった。我々も早速海水浴を楽しむ、水温も丁度良い加減。二人とも久しぶりに泳ぐ。白いたるんだ肌を見せるのは恥ずかしいかったが何とも気持ちがよい。泳いだ後は砂の下に埋もれている珊瑚を集めたり、写真を撮って過ごす。なんと贅沢な時間であろうか。


   バスの中/サッカー・ワールドカップ中継


      ビーチで/海水浴を楽しむ


        ビーチの土産屋

 11時30分着替えてバスに乗り込みアイジス・ガーデンに向かう。街中を抜け山道に入る。店舗や住宅は小さくみすぼらしい。道路も幹線道路を過ぎると穴だらけとなる。バスも最初は順調に飛ばしたが直ぐ穴をよけながらの低速運転となる。
 山の中にも急斜面に建っている住宅や道路沿いに何を売っているのか分からない小さな店舗が見える。ブロック製の大きな家もあるがバラックのような小さな家も多い。建てながら住んでいる家や途中で放棄された家も見える。立派な家は平地に建っていて門と庭を持ち、自動車が置いてある。
 電気は来ているようだが水道や下水はどうなっているのだろうか。道路を歩いている人、所在気無しに座っている人、店の中からこちらを見ている人等が見える。結構車も多い、バスは走っている様子は無いので車は住民の足として必需品となっているのだろう。
 竹が数百本かたまって生えている風景は日本の竹林とは異なる。バナナの木やヤシの木が住宅の周囲に植えられているが整然としたものではなくバラバラで自生しているように見える。


        住宅地の風景


          民家


          民家


          民家

 12時30分、バスは山を登り峠を越えてようやくアイジス・ガーデンに到着。手入れされた芝生と大きなテントが見え、太鼓の音もする。ここはラスタファリズム(黒人回帰運動)のリーダーのファミリーの家でピースボートのために特別にこの場を提供して運動の説明や運動の趣旨に基づく食事、音楽を聞かせてくれる。
 ラスタファリズムは1930年にジャマイカで生まれた宗教運動、エチオピアのハイレ・セラシエ皇帝を救世主と信じ、戴冠前の名前ラス・タファリからその名がついた。自然の状態を尊び長髪や食事(ベジタリアン)にその考えが繁栄されている。ジャマイカの音楽、レゲエはこの運動から生まれたものである。亡くなったボブ・マリーはレゲエを世界に広めたジャマイカの英雄である。現在はジャマイカに50万人の信者がいるとのこと。
 バスを降りると門の前で子供が出迎えてくれ、木陰では歓迎の太鼓演奏をしている。
 テントの下で、代表者から歓迎の挨拶とファミリーの紹介がある。ここの代表者や長老はラスタファリズムの信条から髪の毛を切らないので長く伸びフェルト状になっている。この長い髪をまとめて袋状になった帽子の中に納めている姿が典型的なラスタマンのスタイルである。この帽子や着物が赤、黄色、緑、黒のラスタカラーであれば完璧なスタイルになる。
 奥さん、後継者の弟、妹、子供(女2人)と夫と孫が紹介される。これらファミリーが食事の準備をしてくれている。食事の前にパパイア、スイカ、パイナップルをいただく。パパイアは甘く熟しておいしい。食事の準備ができるまで3人による見事な太鼓の演奏を聞く、レゲエの基になったリズムだそうだ。


     ラスターマンのコミュニティー


      ラスターマンの出迎え


     ラスターマンファミリーの紹介

 昼食はライス、カレー味の豆腐、野菜、それほど美味しいものではなかったが、日本人にあう味付けでまずくはなかった。
 食後は周辺を散策する。日差しは厳しく暑いがテントの下や木陰は涼しく気持ち良い。人参やトウモロコシが植えられた畑らしきものがあった。区画はないし畝もない色々な野菜が混ざって植えられている。家に入ったが壁は石を積んでセメントで固めただけ、コンクリート壁は精度が悪く日曜大工並であった。建設中の屋外トイレの天井を下から見上げたら波板トタンを留めていた釘が垂木を突き抜けていた。
 ラスタマンのリーダーからラスタファライについて説明と質疑応答がある。旧約聖書を教典としハイレ・セラシエ皇帝をキリストが預言した救世主とする、現在人口260万人のジャマイカで50万人位の信者がいると言う。ハイレ・セラシエ皇帝をキリストの生まれ変わりとする理由は自分たち(奴隷黒人)を救ってくれる神が現れるとの予言がハイレ・セラシエ皇帝誕生と一致したからとのこと。ハイレ・セラシエ皇帝が預言者としての行いがあったかどうかは問題ではなく一方的に崇めているようだ。
 黒人の皇帝が誕生したことで黒人に自信を与え、自分たちの文化を見直すきっかけになったことは意味があると思われた。白人の宗教や文化に同化していくことを止め、自信を持って自分たちの文化に戻ろうとする運動のシンボルとして黒人の皇帝が必要であったと思われる。


   ラスターマン式挨拶/手の指の形に注意


    ラスターマンの髪型/カツラではない


        昼食会場のテント


ラスターマンはベジタリアン/出された料理も肉魚無し

 4時、ラスタマンファミリーに見送られモンテゴベイ港へ向け出発する。すれ違いに苦労する山道を下り、デコボコの舗装道路を抜け市街地を遠てゲートに到着。ゲートの中の土産屋で土産用ラム酒2本と部屋用1本を購入。
 夕食後、埠頭を散策、釣りをする人、冷やかす人、港の景色をながめている人、それぞれジャマイカを味わっている。夕闇が広がり、埠頭の街灯と船の明かりが灯る。



       出航を待つトパーズ号

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2006年ピースボート世界一周の旅37/ニューヨーク出航

2008年06月23日 | 思い出の旅行
 6月6日 ニューヨーク港出港

 トパーズ号は2日間のニューヨーク滞在を終え出航、カリブ海の国ジャマイカを目指し南下する。
 その出航風景をご覧下さい。


       ニューヨーク出航風景


       ニューヨーク出航風景


        別れを惜しむ乗客


      マンハッタンが遠くに見える


       さようならニューヨーク
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2006年ピースボート世界一周の旅36/ニューヨーク(アメリカ)2

2008年06月19日 | 思い出の旅行
 6月6日(火) ニューヨーク/2日目自主行動編 自主行動 市民がつくる平和コンサート/ハマーショルド公園

 7時30分下船して52番ストリートを通り地下鉄駅「50ST.BWAY」を目指。道路で毛布にくるまって寝ているホームレスがいる。ビルで家畜を飼っているのだろうか、使用した家畜用敷藁をトラックに積み込んで運び出す作業をしている。少し先には大理石屋、建具屋、建材屋が並んでいる、さらに行くと古道具屋、アイリッシュパブ、寿司屋がある。ここもニューヨークである。


     下船して観光に出かける


         ホームレス


         寿司屋の看板

 8番街を横切りブロードウェーを右に曲がる。リバティー島とエリス島に行くために「50ST.BWAY」から地下鉄に乗ってバッテリー・パークに向かう。自動販売機で1日乗り放題券「MetroCard」を買うのに20ドル札を入れると受け付けない、窓口に言うと20ドルをくずしてくれ自動販売機で買うように言われる。20ドル札も使えると表示されていたが受け付けないようになっていたのである。
 「SOUTHE FERRY」で降り、公園内を歩いてクリントン砦にあるチケット売場で自由の女神見学も含めたリバティー島とエリス島を回る周遊券を買う。乗場に行くとここでもX線による手荷物検査がある。幸いあまり時間もかからず船に乗ることができた。30分程の航行だが船にはトイレも売店もあり土産、飲料水、スナックを売っている。3階建てで最上階は屋根がなく吹きさらし、その分視界は良い。我々は天気も良かったので観光客でいっぱいの最上階に上がって風に吹かれながら景色を楽しむ。
 リバティー島に上陸して自由の女神像に登ることにしたが、ここでもかなり待たされたあげくX線検査があり、手荷物は有料ロッカーに預けなければならない。ロッカーは指紋を登録すると空いているロッカーを指定する仕掛け。
 博物館になっている台座の部分に入ると自由の女神について博物館のガイドから長い説明がある。他の人は質問に答えたり反応しているので英語が分かっている様子、分からなかったのは我々2人だったようだ。2カ所での説明の後は解放された。博物館には自由の女神像の製造方法の説明や当初の案、建設中の写真等が展示されていた。その中で縮尺モデルから原寸モデルを制作する方法、打出し用の型は興味深かった。展示物の見学が終るとエレベータに乗り展望台に出る。現在は台座のところまでしか登れないがそれでもリバティー島、エリス島、ブルックリンの眺めを楽しめる。


      自由の女神/博物館での説明


      フランスの制作工房の写真


       足の実物大モデル


     石膏型から鍛造の形を写し取る


    台座からの眺め/マンハッタンが見える


         台座の真下


       自由の女神像の内部

 自由の女神像を降りて周遊フェリーに乗り移民博物館があるエリス島に行く。1895年から1954年まで使用され、その後放置されていた移民局の建物が博物館として生まれかわったものである。
 フェリーを降りて直ぐ目の前に立派な博物館が構えている。入口を入ると吹抜けの大空間に不安そうに並んでいる移民の大きな写真と全財産を入れただろうトランク、柳行李等が山積みされた展示が目に入る。アメリカ国民の原点を示す明快な展示である。


  エントランスにあった移民が持って来たトランク


少しの荷物と大きな希望を持ってたどり着いた移民の姿


         入国審査室


      入国審査を待つ移民の写真


 1階は移民に関するデータが表を使って分かり易く展示してあった。2階には各国の移民が持ち込んだ衣類、食器、道具等の展示と移民の写真が壁一面に張ってあった。その中に明治時代に移民として来た日本人の写真が数点、展示されていた。
 移民が自分の国の文化、生活様式、技術をそのまま持ち込み、人種のるつぼイコール文化、生活様式、技術のるつぼでもあったこと、それらが混ざりあいアメリカが築かれたことに気づかされた


        日本人移民の写真


 3階ではソビエト時代の囚人に関する特別展が開かれていた。そこでは過酷な労働と待遇が示されていた。戦後、満州で捕虜になった旧日本兵がシベリア等の収容所で従事させられた強制労働と同じであった。ソビエトでは捕虜を囚人と同じ扱いをしたと言うことである。異なるのは囚人には女性もアメリカ人もいたと言うことである。
 見学を終えカフェでホットドックとサンドイッチの昼食をとる。注文した時「ン? ハット ドック?」と聞き返される。大勢の観光客と一緒に木陰のベンチでのんびり過ごす。


       移民博物館を見学していた生徒


         ハットドック

 フェリーでブルックリンに渡り、地下鉄1、9号線に乗って「TIMES SQ.42ST.」駅に出て42ストリートを国連本部に向かって歩く。ニューコーク公立図書館前のブライアント・パークでコーヒーを飲む。木立に囲まれ中央に芝生がある、公園全体にベンチや椅子が点在し自由に座って休息できる。チェスをやっている人、パソコンをしている人、読書をする人、昼寝をしている人様々である。


      バッテリーパークの自由の男神


    地下鉄/ホームと車両の隙間を埋める装置


     ニューヨーク州立図書館の隣の公園


         移動図書館


        チェスを楽しむ人々

 移動図書館が開いていたが良いアイデアであると思った。図書館と公園の間に奇麗な公衆トイレがあった。
 「市民がつくる平和コンサート」の集合時間に間にように急ぎ足でハマーショルド公園に向かう。国連本部の斜め向かいにある会場には椅子が並べられコンサートの準備が行われていた。妻はピースボートの演し物の一つ祇園太鼓に出演するため準備にとりかかる。
 4時30分イベントが開会される。まずギター、ベース、サックス、パーカッションの地元「DEBKE BLUE VIPERS」の演奏、ラテン音楽の「YUCA SECA」、アラブ音楽とダプケ・ダンスの「SALAAM DEBKAH TROUPE」、黒人音楽と西アフリカを融合させた「ASIKO」、キムチャンヘンのストリートパフォーマンス、ピースボートの沖縄のエーサイ、南中ソーラン、小倉祇園太鼓が出演した。
 妻は小倉祇園太鼓の一員として毎日特訓した成果を発揮する晴れ舞台である。お揃いの法被を着て登場するとなぜか緊張してドキドキする。上手く叩けたので安心し乗船する前は想像もできなかったニューヨークで太鼓演奏を実現した頑張りに感動した。
 各国のミュージッシャンが演奏し、平和のメッセージを所々で発信することでそのテーマにふさわしいイベントとなったと思われる。
 7時に会場を出て48番ストリートを西に向う。途中に日本食レストランがあったので入ると客は学生とサラリーマン風の日本人グループばかり、日本人の店員に鉄火丼と麦とろと生ビールを注文する。生ビールがうまい、鉄火丼も味もボリュームもまあまあニューヨーク最後の食事となる。
 街を散策しながら92番埠頭を目指して歩く、ピースボートの乗客の姿も見える。埠頭の近くに食料品店を見つけリンゴとビール2本を買う。ここにも乗客がいた、考えることは同じということか。リミットの1時間前、21時に帰船する。
 荷物を整理し、シャワーを浴びてビールですばらしかったニューヨークに感謝して乾杯する。



       平和集会/日本の踊り


      博多祇園太鼓を叩く妻


      演奏中の妻(右の後ろ姿)


       日本食レストラン


        日本車の広告
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2006年ピースボート世界一周の旅35/ニューヨーク(アメリカ)1

2008年06月19日 | 思い出の旅行
6月5日 ニューヨーク/1日目  ニューヨーク半日観光
 トパーズ号は予定通り、8時ニューヨーク客船ターミナル92番埠頭、5番バースに着岸。予定より10分遅れ9時40分から客船ターミナルで係官による入国面接審査が開始される。乗客は6グループに分かれて審査を受ける、我々は4番目のグループで11時10分予定が11時30分から開始される。IDカード、ボーディングカード、パスポート、入国カード、税関申告書を持って下船して客室ターミナルに向かう。ターミナルの一郭で6名の審査官による審査が行われている、そばに英語の出来るピースボートのスタッフが付いているので心強い。
 審査はパスポートと入国カード、税関申告書を係官に渡すとパスポートと書類をチェックしスキャナーに左人先指、次に右人先指を乗せ読み取り、眼鏡を外して写真を撮り、入国許可印を押し係官のサインをして終了となる。指紋採取はコツがあるようで力を抜いて軽く押し付けるように注意されやり直される。この作業を乗客とクルー分やるのだから大変な時間がかかるが全員の審査が終了しないと入国はできないので船の中でのんびり待つことになる。
 我々は14時45分集合の「ニューヨーク半日観光」ツアーに申し込んでいたので昼食をとってキャビンで寅さんの映画を見て過ごす。寅さんが初めてのニューヨーク観光の緊張をほぐしてくれた。
 全員の審査が無事終了し上陸可能となったのは2時を過ぎていた。上陸はいたって簡単、IDカードを見せるだけでターミナルを通過、黒人の係官も見ようとしない。
 バスは52通りを東に走りブロードウェーを右折しダウンタウンに向かう。アベニュー(街)とストリート(通り)で網の目のようにきちんと区画された街並は分かり易さと整然とした統一感を与えている、体験したことのない魅力と感動を覚える。
 有名店が集中する5番街、劇場が集まっているブロードウェー街、ビジネスのウォール街等機能別に、あるいはチャイナタウン、リトル・イタリー、ハーレムのように民族毎に街の特徴を作りだしている。そしてオフィス、住宅、ホテル、レストラン、バー、ギャラリー、映画館、博物館、百貨店、専門店、観光地、公園等あらゆるものが集中しあるいは点在している。仕事の場でもあり歓楽の場でもあり住む場でもある。建物も100年以上も経つレンガ造り、石造りから現代のガラスと鉄骨を駆使した近代的なものまで混在している。その中に100以上もの言語を使う民族が集まって生活しているし、さらに世界中からビジネスマンや観光客や留学生が集まる。
 あらゆるものが混在していながら混沌ではなくまとまった一つの世界を感じさせるのはこの網の目のような街並が物理的秩序感を与えただけではなく心理的秩序感を与えたのではないか、異質なのもが多様であればあるほど統一された時、魅力的で美しいもの、文化が生まれてくる。この混沌を統一する秩序感こそニューヨークの魅力であり発展の牽引力となり、人々を引きつけ、世界をリードしてきたのではないか。


       ブロードウェイ風景


     ブロドウェイ風景/スーパーマン


        ニューヨーク風景


        ニューヨーク風景

 バスは最初の見学地、2001年9月11日に世界を震撼させたテロが起きた現場グランド・ゼロに到着する。5年経過しようとしている現在ではその面影は無く再開発の工事が行われていた。ここを訪れる観光客と駅の地下構内に子供の絵を使ったポスターがテロの現場であったことを実感させてくれた。
 「I remember riding on Daddy's Shoulders. Maggie Murply Age 4」
「We Miss You. My Best Friend. Always in Our Heats. James A Nelson 」


 グランドゼロの風景


   亡くなった父親へのメッセージ

 次の観光地バッテリー・パークではマンハッタンの最南端から自由の女神像を見物する。観光船がひっきりなしに航行しているのが見える。この公園には珍しく奇麗な無料公衆トイレがあった。
 次は北上して旧税関の建物を利用したアメリカ・インデアン博物館の脇やシーポート歴史地区を抜け、ブルックリン橋、マンハッタン橋、ウイリアムバーグ橋をくぐりイースト・リバー沿いに建つ国連本部に到着。
 国連前で記念写真を撮ってロックフェラーセンターに向かう。我々はここで離脱して全米最大のカトリック系教会のセント・パトリック教会を見学する。丁度ミサ閉祭の儀を執り行っていた。ゴシック様式のこの教会の内部はシンプルでアイルランドの教会に似ている。教会の将来のために3ドルの寄付を要請する表示があった。


   バッテリーパーク/奥に自由の女神が見える


    国連本部前


セント・パトリック教会


     セント・パトリック教会内部

 ブルックリン橋に行くために、教会から2つ目のレキシントン街にある地下鉄駅「51ST. LEX AVE.」まで歩く。駅では自動販売機に苦労する。後ろに並んでいた日本人に教えてもらって何とか「MetroCard SingleRide」2ドルを購入する。ニューヨークの地下鉄は危険と言われてきたが近年は改善され、在住の日本人ガイドは「安全で確実であるから移動の手段として最適。」と言っていた。
 構内は鋳物の柱が立ち、天井が低く、薄暗い、かなりの歴史を感じる。目立つ場所に「Off Hour Waiting Area」のサインあり警察官の姿も見える。4、5、6番線のダウンタウン方面行きに乗り「BKL YN BRIDGE CITY HOLL」に向かう。車内は冷房が効いており停車する駅名表示盤とアナウンスがあった。
 到着して外に出るとブルックリン橋が目の前に見えた。橋は二重構造で上は自転車道と歩道、下は自動車専用道路となっている。上の道路は木製でその隙間から海が見える。自転車、ジョギング、徒歩とそれぞれのスタイルでブルックリン橋を渡っている。
 この橋は1883年、日本では明治政府が近代国家としての体制づくりに腐心していた頃に完成した。設計、土木工事、スチールワイヤー製造等世界の先端をいく総合的な技術力がこの橋を完成させたのである。2つの橋塔からメインケーブルを張ってハンガーケーブルで橋梁を支える方式のこの橋は大変合理的であり、その分装飾的要素が排除される。この橋の魅力は合理性が生んだ構造美にある、近代建築やデザインのさきがけである。規則的に織られたワイヤーがアベニューに林立する高層ビルのように歩道を包んでいる。
 橋そのものも美しいが橋から見るイースト川、マンハッタン、ブルックリンがすばらしい。50分程歩いて対岸のブルックリンに着き「High ST-Brooklyn.B」駅からA,C線に乗り「34.ST.PENN.STA.8AVE」で降りエンパイヤステートビルに向かう。


         地下鉄のホーム


          地下鉄車内


         ブルックリン橋


夕暮れのブルックリン橋

 8時にビルに到着し建物の中に入るとチケットと買う人が行列をつくっていたがそれほどでもない様子なので並ぶことにする。並ぶ人が増えるがなかなか列が進まない。30~40分待ってようやくたどり着いたのがセキュリティーチェック,終えても30~40待たされようやくチケットを購入、もう乗れると思ったら次はエレベーター待ち。結局2時間30も待ってようやくエレベーターに乗り込む。子供は飽きて座り込んでいたが不平を言わず辛抱強く待っていたのが印象的であった。
 途中で乗り換えて102階の展望台へ出ると美しい夜景が広がっている。2時間30分の待ち時間はこの景色を見るために必要なアプローチだったのだと納得する。展望台はそれほど広くはなくゆっくり景色を楽しむためには入場制限が必要であることも分かる。
 東西南北すばらしい夜景であった、遠くにヴェラザノ橋や自由の女神、エリス島、ニュージャージーやブルックリンの街並が、南側にはウイリアムバーグ橋、マンハッタン橋、ブルックリン橋や行き交うフェリーが、近くには独特の形をしたクライスラービル始め無数のビル群が林立しているのが、足下にはブロードウェーや五番街のネオンサインと自動車が見える。圧倒的な人工物の迫力と美しさに興奮する。人類が営々と積み上げてきた文明の、言葉を換えれば浪費の集大成がここにある。
 それは地球や人類の大多数の貧しい人々に大きな負荷をかけて得たものでもある。興奮がさめた後、この繁栄がいつまで続けられるのか不安とむなしさを感じる。


     エンパイアステートビルからの夜景


     エンパイアステートビルからの夜景


     エンパイアステートビルからの夜景


     エンパイアステートビルからの夜景


     中央に見えるのはクライスラービル


     エンパイアステートビルのショップ

 11時に展望台を降りて、ブロードウェーを散策しながら映画館や劇場が集まるタイムズ・スクエアに出る。新宿のような賑わい、観光客相手の似顔絵描き、アイルランドで見たスプレーアート等がいる。似顔絵描きは中国人のようだ。近くにあったマックで遅い夕食を食べ、タクシーで帰る。12時帰船。


        ブロードウェイ


       中国人似顔絵かき?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2006年ピースボート世界一周の旅34/ニューヨーク入港

2008年06月12日 | 思い出の旅行
ニューヨーク入港編
 6時、目が覚めキャビンの窓を見ると薄暗い中に黒い陸地と明かりが見えた。6時30分、後方甲板に登ると風があって寒いが既に数十人の人がカメラや双眼鏡を持って景色を見ている。曇っているしまだ完全に陽が上がっていないので少し暗い。
 左手には薄暗いリッチモンドの陸地に鮮やかな明かりが転々とつながっているのが見える。進行方向にヴェラザノ橋が遠くかすんで見え、行き交う船舶も増えてくる。
 外の景色を確認してヨットクラブで朝食をとりながらニューヨークの風景を楽しむ贅沢を味わう。
 前方から少しずつ巨大なヴェラザノ橋が近づき、その下を通過する、通行する自動車も良く見える。トパーズ号はロウ・ニューヨーク湾からアッパー・ニューヨーク湾に入る。
 7時過ぎ、右舷前方にビル群に混ざって手をあげた姿の自由の女神像がかすかに見えてくる。やがて今度は左舷側に自由の女神像とその奥にエリス島が姿を現してくる。船が更に近づき自由の女神像の形と大きさを実感する。
 自由の女神像は1886年に完成したから120年間も大西洋を越えてニューヨークにやって来た移民を慰め励まし、勇気づけた。現在では世界一の経済力、軍事力を誇るスーパー国家アメリカのシンボルにもなっている。旅が船から飛行に変わっても観光客は自由の女神像参りを観光コースから外すことはない。
 左手には自由の女神に続き、エリス島が近づき赤煉瓦の旧移民局見えてくる。右手にはイーストリバーとブルックリン橋が中央にはマンハッタンの摩天楼が迫ってくる。
 トパーズ号はハドソン川に入ると最南端のロウアー・マンハッタンとダウンタウンの高層ビル群がはっきり見えてくる。ビルが地下から生えてきたような力強さと古い茶色のビルと新しいコンクリートとガラスのビルの組み合わせに抽象画のような構成美を感じる。 ここではニューヨーク一の世界貿易センタービルの偉容が迫ってきたのであろうと想像する。埠頭とフェリーやヨットハーバー、ゴルフ練習場、空母(博物館)まで見える。遠くにエンパイア・ステートビル、アールデコ様式のクライスラー・ビルが見えてくる。トパーズ号は52番ストリートにある92番埠頭に着岸する。
 海から見たニューヨークの風景は強烈な印象を私に残した。


        ニューヨーク港の沖合


        ヴェラザノ橋


        マンハッタンが見える



         自由の女神



    マンハッタン/バッテリーパーク



かって入国管理事務所(現在は移民博物館)があったエリス島



       マンハッタン風景


       マンハッタン風景


     ハドソン川を行くトパーズ号


エンパイアステートビル(手前)とクライスラービル(奥)



         着岸作業



        92番埠頭に着岸
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2006年ピースボート世界一周の旅33/タイタニック・ディナー

2008年06月12日 | 思い出の旅行
5月29日 タイタニック・フォーマルディナー

 今日はフォーマルディナー、熟年の女性は和服やドレスで若い女性は旅先であつらえたアオザイ、チャイナ服で現われる。男も普段はGパンだったり半ズボン姿だった人がバリッとスーツを着てくると見違えてしまう。ボーイも金ボタンのついた白い制服でサービスしてくれる。いつもと違う華やかな雰囲気である。 
 前に座った若い女性は2人はベトナムであつらえたと言うアオザイ、1人は黒のドレス。私はベージュのスーツ、由紀子は沖縄の藍染めの上着とスリランカで買った布を腰に巻いてスカートに、頭にエジプトで買ったヘアーバンドを付けたスタイル。
 料理はタイタニックを記念してタイタニック号と同じメニュー(キャビア付きサラダ、伊勢エビのメイン)に南アフリカ産白ワインがついた豪華なメニューだった。
 ダブリン出航2日目でダブリン観光の疲れもとれリラックする。サービスをする方は大変だろうが楽しい一日であった。


  フォーマルディナー/普段と違う雰囲気


  ベトナムで仕立てたアオザイを着た女性


     メインの伊勢エビ料理
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2006年ピースボート世界一周の旅33/誕生パーティ

2008年06月12日 | 思い出の旅行
誕生パーティー 5月28日 ダブリン出航の翌日
 誕生日の前日に前半食と後半食の入換えがあって少し慌てたが案内した全員揃って出席してくれた。
 10分早めに集まってもらい予約したテーブルに付く。由紀子は沖縄の藍染めの上着とスリランカで買った布をスカート状に腰に巻いたスタイル、私はベージュのスーツで決める。皆さんも盛装して出席してくれ、誕生祝いとしてヘアーバンド、手作りの巾着をいただく隣の方からシャンパン2本の差入れ。ワインを前日に予約注文していたが通じていなく、いただいたシャンパンで間に合わせてもらう。
 始めに妻が出席者を紹介してシャンパンで乾杯、後はいつものようにサラダ、スープ、メイン、デザートとコーヒーが出てくる。寄港地での体験を交換しながら懇談する。
 61歳の誕生日を二人とも船の上で迎えるとは想像できなかった。


 クルーが「ハッピーバースディ」を歌ってくれた


         私たち夫婦



          ケーキ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2006年ピースボート世界一周の旅32/エコツアー(アイルランド)3

2008年06月08日 | 思い出の旅行
 エコツアー/その3
 見学の最後にここのゆで卵を試食させてもらった。びっくりするほど美味しいとは思わなかったが参加者には好評できれいに無くなった。同行したアイルランド人がもりもり食べていた姿が印象的だった。
 次はキリスト教が来る以前の政治、宗教の中心タラの丘を目指す。ただの土を盛った野原としか見えないが小説「風とともに去りぬ」の最後のシーン、全てを失なった主人公のアイルランド移民の娘が自分の土地「タラ」があることに気づきこのタラを拠り所に生きていこうと決心する場面に象徴されている、言わばアイルランド人の心の故郷である。しかし、この遺跡を削って高速道路を建設する計画が持ち上がりエコ・センター始め反対運動を展開しているとのことであった。
 タラの丘に隣接する教会でこの遺跡の紹介ビデオを見る。ビデオも良かったがこの小さな教会の祭壇上からスクリーンが窓の上から暗幕が降りできたのにはびっくりした。
 寒い中、地元ガイドの熱心な説明を聞いてタラの丘に登る、なぜ、この丘がケルト人の心をとらえ続けているのか。土地盛りの上に立つと想像以上に見晴らしが良い。風が強く吹いている、アイルランドの風は全てタラの丘を通っていくかのようだ。
 17時30分人影が少なくなったタラの丘を出てダブリンへ向かう。オコンネル橋で離脱する人を降ろし18時30分帰船。


          タラの丘



        タラの丘からの眺め

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2006年ピースボート世界一周の旅31/エコツアー(アイルランド)2

2008年06月08日 | 思い出の旅行
 エコツアー/その2
 オーガニック・ガーデンの一郭に呪術的と言うべきか大陽のエネルギーを体感するモニュメントがあった。石や土や盛ったり、木の枝と毛布で作ったテントを夫々心臓とか背骨とかへそとか胎内と見立て、心臓にあたる石を焚き火で熱し、その石をテントの中央に置いて水をかけ蒸気を発生させて蒸し風呂状態にする、その中に入ることで大陽のエンルギーを全身で感じることができるとのことであった。インデアンの血が流れている母親を持つアメリカ人が教えてくれたとのこと。
 このオーガニックガーデンの中で太い美味しそうなワラビを発見した。
 自然エネルギーを利用する庭には風力発電やソーラーシステムが置かれていたが粗末なもので、しかもその多くは壊れていた。説明者は盛んに言い訳をし謝っていた。同じ所にビオトープの実験をしている池があった。水たまりを作っただけで後は何も手を入れていないとのこと。昆虫が生息し鳥がくるとのこと。
 見学が終わり、雰囲気が良いティールームでクッキーとコーヒーをごちそうになり、御礼のつもりでショップでキャンドル、鍛鉄製品、中古の看板を買う。
 ここの維持管理はボランティアが主に行い、エコ教育を専門スタッフが行っている。その経費はエコ教育、入場料、ショップの売り上げでまかなっている。経営は大変そうであるが有機栽培や自然エネルギー利用の研究を軸にその成果をここの施設を使って体験させたり、学校等外の環境教育に活かせば十分にやっていけると思われた。
 エコセンターから近くの小さな町まで移動して「The New Grange Hotel Meath」でサラダ、ビーフシチュー、デザートの昼食をとる。食べきれない程のボリュームであった。
 食後、バスで30分程移動してオーガニック・ファームとして認定されている農家に到着。奥さんと娘さんが出迎えてくれ、早速2組に分かれて見学を始める。ここでは鶏、豚、牛、馬を飼育している。その中で鶏卵が主力でそのための新しい鶏舎を建設中であった。家の裏にある囲いの中を鶏が自由に動き回っていた。その奥で母豚と子豚が広い野原の中で飼われていた。豚は奇麗で臭いもなく養豚場のイメージは全くない。牧場では親子の馬が仲良く餌を食べていた。金網越しに手を出すと鼻を近づけてくる、馬の暖かい鼻息が伝わってきた。


        モニュメント


      オーガニック・ファーム



      オーガニック・ファーム
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする