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定年夫婦の暮らし方(店長日記)

盛岡に住む定年夫婦(昭和20年生)の暮らしを分ち合います。

2006年ピースボート世界一周の旅49/アラスカ・フィヨルド3

2008年09月13日 | 思い出の旅行
3)ハーバード氷河
 7月3日早朝、トパーズ号はプリンスウィリアムズ湾に入り最深部のハーバード氷河に向かう。
 フィヨルドを挟んで左右に小さな氷河がいくつも並んで見える。これらの氷河に大学の名前がついていて左側が女子系、右側が男子系の大学で男子系のほうが後退が早いとのこと。源にあって一番大きい氷河がハーバード氷河である。
 削り取った痕だけ残し海岸から奥に後退ている氷河、山の中腹まで後退し先端を見せている氷河、かろうじて海に到達している氷河等様々な状態の氷河が見らる、まるで氷河の展示場である。双眼鏡で見ると氷の奥に不気味な青い色がのぞいている。
 緑青色の海面を氷がゆっくり流れてくる。そして遠くに波のない静かな水面を1本の線を描いてラッコが横切って行く姿が見える。デッキで見物している乗客は「ラッコ!ラッコ!」と声を上げてラッコを見つけたことに興奮。
 横断するラッコの数が増え、トパーズ号の近くを通る。背泳ぎのようにお腹を上にして泳ぐ姿はかわいい。 子どもを乗せている親子のラッコがトパーズ号のすぐ脇を通過する、お腹の上の子どもが我々を見ている様子もはっきり見える、巨大な闖入者に恐れている様子はない。10頭位の群れで移動しているところも見えた。
 フィヨルドの奥にこのフィヨルドをつくり今では後退しているハーバード氷河が見えてくる。アラスカのガイド安藤さんは船内の講演で「今回のフィヨルド見物ではハーバード氷河が一番の見物で、先端の氷河が崩落するシーンを見ることができるでしょう」と説明していた。
 船はぐっと速度を落としてのろのろ進む、止まっているのか進んでいるのかわからない程の減速運行であった。氷にぶつかっても衝撃を最小限に押さえるためと思われた。氷河は普通の氷の4倍の密度であるので小さな氷の塊でも油断はできない。どこまで近づくかはこの氷河を熟知したパイロットの判断になる。
 12時頃、トパーズ号が氷河に接近する限界の位置にくる。船から数キロメートルは離れていると思われたが巨大なハーバード氷河が迫ってくるのを感じた。山の中腹から移動してきたいくつかの氷河が合流しハーバード氷河になっているのが分かる。ここからは見えないが、更にその奥には氷河の源である大氷原があるのであろう。何千万年もかかって大氷原に積もった雪がその重みで密度の高い氷になりやがてその重みに耐えかねて山をえぐりながら滑り出したのが氷河である。
 長さ2500m、高さ100m以上と説明されてもその大きさの実感がわかなかったが氷河近くに船が見えた瞬間、その巨大さを感じることができた。
 突如、操舵室にいる安藤さんから「氷河が崩落した」と船内放送がある。あわてて氷河を見たが分からない。わずかにもやのようなものが見えただけ。目を凝らしていると再び放送がある。今度は氷が崩れ落ち海に落ちて水しぶきをあげている様子が分かった。その後も崩落が続き、時折水しぶきとともに雷鳴のような異様な音も聞くことができた。乗客はクジラやラッコを発見した時のように思わず興奮して歓声をあげていた。私たちも崩落を見つけると「いった、いった!」と叫んでいることに気づいた。スケールの大きな地球の営みを目の前にして感動し同時に地球の温暖化を感じざるを得なかった。
 この3日間、フィヨルド、氷河、クジラ、ラッコ、アザラシ、ハクトウワシとアラスカの船旅ならではの醍醐味を味わうことができた。 



         連続する氷河風景



    氷河見物



         氷河見物風景



         ラッコの群れ



         2頭のラッコ



         親子のラッコ



       ハーバード氷河の全景



        氷河見物風景


      崩落する氷河/水しぶきに注意



         航跡を残して




        アラスカへ向かう



          夕焼け

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2006年ピースボート世界一周の旅48/アラスカ・フィヨルド2

2008年09月13日 | 思い出の旅行
2)フーバード氷河
 今日は曇っているが青空も見える穏やかな日だ。
 7月2日7時30分、トパーズ号はヤクタット湾に入る。氷河にU字形にえぐられた山麓の奥には万年雪に覆われた厳しい表情の山々が見える。氷河跡には残雪や緑が見える。岸辺では緑の樹木と緑青色の海とのコントラストが、山麓では灌木や草地の緑と白い雪とのコントラストが美しい。
 ねっとりとした緑青色の海が岸辺の風景を映し出し、ちょっとした光の変化やトパーズ号がおこした波がその風景に変化を与えている。のんびり船上から陸や海の景色を楽しむ、船旅ならではの醍醐味である。
 フィヨルドの奥には更に厳しい風景が広がっている。火砕流が周囲にあるものを飲み込みながら流れ出しているように巨大な氷の塊が周囲の土砂を飲み込みながら押し寄せているように見える。
 奥に入るにつれ流れてくる氷の量が増えてくる。海に押し出された氷河が崩壊しくだけて流れてきたものだ。氷河の動きは人間の目にはゆっくり過ぎて見ることはできないが氷河の崩壊でそのことを実感することができる。
 フーバード氷河はまだ先だがトパーズ号は近づくける限界と判断し、ゆっくり旋回し引き返す。


        不思議な形の雲



          記念撮影



       船影を映す海の風景


         デッキの様子



       フーバード氷河の遠景



        フーバード氷河



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2006年ピースボート世界一周の旅47/アラスカ・フィヨルド1

2008年09月13日 | 思い出の旅行
アラスカフィヨルド編その1

1)トレーシーアームとクジラ

 バンクーバー港を6月28日の夜中に出航したトパーズ号はブリティッシュ・コロンビア州の沿岸から南に張り出したアラスカ州に沿って北上、日没が遅くなり夜の11時になっても外はまだ明るい。ベルゲンで体験した様に時間の感覚がずれてつい夜更かしをしてしまう。


 日本人アラスカガイド安藤さんによる船内説明会



       丸窓からの眺め


 7月1日、今回のクルーズの目玉の一つ「アラスカフィヨルド・クルーズ」が始まった。トパーズ号は同日未明、氷河が作った複雑に入り組んだフィヨルドの中に入る。陸地は遠くフィヨルドの大きさ、氷河のエネルギー、自然のエネルギーを感じる。冬仕度のうえ、魔法瓶に入れた熱いコーヒーを用意して甲板にリビアで買ったマットを敷いてクジラの姿を追ったが見つけることはできなかった。

 船はアドミラルティ島の東に沿って北上し、10時頃フィヨルドの支流トレーシーアームに入る。陸が近づき海の緑青色と山の緑と雪が織りなす景色が美しい。灰色の岸壁や草木の緑の中を雪どけ水が小さな一筋の滝となって落下している。なぎの海面は鏡のように岸辺の景色をぼんやりと映し、トパーズ号はそれを乱して進むが、直ぐに、なんでもなかった様にもとの静けさをとり戻す。

 山の上は優しい緑の岸辺とは違った風景を見せている。氷河がえぐり取った生々しい痕跡と残雪、更に奥には巨大なエネルギーを秘めた氷河が眠っている。ノルウェーと違いここでは人家がまったく見えない。

 アラスカ観光の名所だけあってフィヨルド遊覧をする日本丸始め大型客船とすれ違う。流れてくる氷がフィヨルドの奥に入るに従い増えてくる。流氷はほとんど水中に沈んでいるので小さく見えてもぶつかると衝撃がありそうであった。船は氷を避けながらゆっくり進む、どこまで進むかは流れてくる氷の量や大きさでパイロットが決めるとのこと。今回は11時に進むのを止め、旋回し元の航路を引き返した。


       フィヨルドに入る


         氷河風景


     寒さ対策をしてフィヨルド見物




        氷が流れてくる


        流氷/青色に注目


        日本丸とすれちがう




 昼食後、いつ乗り込んだのか船内で入国審査官による入国審査が始まった。今回は指紋押捺と写真撮影は無かった。審査を終え再び甲板に上る。トレーシーアームを抜けアドミラルティ島に沿って北上すると右手の島に家が数軒見える。地図で確認するとジュノーと言う集落で島の裏側には空港がある。どんな人々がどんな生活をしているのだろうか、道路を通すことはできないので移動手段は船か飛行機に頼らざるを得ない。船は内陸には入れないのでどんな小さな集落でも飛行機は不可欠なのだろう。


         入国審査


 午後8時、いよいよクジラが集まる海域に入る。船内放送もあり甲板はクジラを見ようと大勢集まってきて観察場所を確保するのが大変となる。

 氷河が運ぶ肥沃な土砂が海に入りプランクトンの栄養源となり、それを小魚が食べ、更にクジラが食べると言う食物連鎖がクジラをこの海域に集めるとのこと。

 アンカレッジでカイドをしている安藤さんが甲板より高い操舵室から船内放送を使ってクジラ情報を流してくれる。「前方右手にクジラ発見」の放送が流れると皆あわてて右側に移動しクジラ発見に躍起となる。見つけた人は歓声をあげるので、見つけられなかった人は何とか見つけようと目を凝らし、カメラを向ける。私もようやく前方のかなり遠くに水煙が上がるのを見つけることができた。船が進むにつれクジラの背と吹く潮が更にはっきり見えてくる、夢中で300mmの望遠レンズをつけたカメラで撮r影する。その後も次々にクジラが出現し、近づいてくる。空中に尾びれを広げ潜水寸前の姿、胸びれで海面をたたきつける姿、群れで泳ぐ姿を見、写真を撮ることができ、久しぶりに興奮し感動した時間だった。

 船は午後9時、クジラ街道を抜け、午後10時30分スペンサー岬から太平洋に戻った。


  クジラ発見/水しぶきが見えますか?



         クジラの尾



         クジラのヒレ



         クジラの群れ



       豪快なクジラの水しぶき


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2006年ピースボート世界一周の旅46/バンクーバー(カナダ)

2008年09月12日 | 思い出の旅行
お待たせしました!用務多忙のためアカプルコ編からバンクーバー編まで時間がかかったことおわびします。

6月28日 バンクーバー編
 トパーズ号はアカプルコから1週間と8時間の航海でバンクーバー港に入港する。アカプルコ出航の翌日までは暑かったが2日目、3日目は暑くも寒くもない心地よい気温でああった。意外と航海中は暑いか寒いかのどちらかでちょうど良い気温は少ない。
 4日目に入ると少し涼しくなり,6日目には肌寒さを感じるようになった。そしてバンクーバー入港前日は風が出て海は荒れ寒さも増した。
 太平洋からジョージア海峡に入ると波はおさまり,美しい夕焼けが見えた。カナダとアメリカの国境に沿って海峡を北上しバンクーバーのど真ん中、カナダ・プレイス3番埠頭に朝7時着岸。デッキに出ると大きなターミナルビルと接岸している豪華客船,そしてビル群が,又対岸には住宅やビル,その後ろに鮮やかな白い雪が残る山々が見える。快晴で少し寒いが絶好の観光日和である。
 私は自由行動で市内を散策、妻はツアー「ファースト・ネーションとの交流」に参加後、平和フォーラムで太鼓を叩くことになっている。


          夕暮れ



         港の風景



         着岸風景

 妻が参加するツアーの集合時間まで時間があったので港の近くを散策する。ターミナルビルの観光案内でバスの一日乗車券「デイパス」(8ドル)を購入し、余ったユーロをカナダドルに両替する。ビルから外に出ると派手な模様の入ったクマのモニュメントが出迎えてくれる。チャイナタウンに向かって歩く、街は清潔で花が飾られ美しい。途中に土産屋があったのでカナダのお土産を買うことにする。カナダ・インデアンの伝統文様が刺繍されているTシャツ、メイプルシロップ、クッキー、ぬいぐるみを買い、妻は船に戻り、私はバスでブリティッシュ・コロンビア大学(UBC)の人類学博物館に向かう。


    街中の風景/2階建てバスが走る



     土産屋/カナダらしい土産


 バスはダウンタウンからグランビル橋を渡りキツラノに入る。住宅と小さな店が並び下町の雰囲気が漂っている。UBCのゴルフ場を抜けると大学の教会や教職員用と思われる住宅が見えてくる。広大な敷地だ。終点でバスを降りたが広すぎてどこに博物館があるのか分からなかい。校内は東洋人が目につく、2度学生に聞いてようやく校内の奥にあるこじんまりした博物館にたどり着く。


      バスで博物館に向かう



       大学のゴルフ場



     アートのような張紙の後


 大学が研究のために世界の先住民の道具を収集所蔵している博物館で特にカナダ西海岸の先住民の道具等の収集は世界有数であるとのこと。
 入口から入るとまず、ガラス張りのホールに展示されている巨大なトーテム・ポールや飾り柱が目に入る。これらの神話世界の造形は私たちと同じ蒙古斑を持つモンゴロイドの作品であるが馴染めない。それより人間世界の造形である生活用品に興味を持つ。シダー(杉)の加工技術は日本の割木工技術との類似点が多い。彼らは家、船、収納容器、狩猟用具、楽器、ロープ、かご、雨具、衣類、飾り等あらゆるものをシーダーから作った。
 館内で「平和フォーラム2006」の特別展示コーナーがあった。そこあった絵本「THE PEACE BOOK」の最後の頁
 Peace is being different,feeling good about youself,and helping other. The world is
better place because of YOU! LOVE,Todd.
 に触発された。
 12時頃、「ファースト・ネーションとの交流」ツアーの一行が到着し、学芸員の説明を聞いている。妻を見つけ一緒に説明を聞きながら見学する。
 40分後見学を終えたツアーの一行を見送ってからミュージアムショップをのぞきネイティブがどのようにシダーを加工して道具を作ったか解説した本「CEDAR」を購入。


大学付属博物館/奴隷がいたことを示す彫刻



       博物館の展示物


       平和の絵本


 博物館を出て、広い校内を歩いていると韓国版「地球の歩き方」を持った韓国人グループに出会ったし、帰りのバスの中では東洋系カナダ人の家族連れや若者が乗ってくる。街中でも東洋系が目立つ。
 バンクーバーは暑さと寒さが同居している、陽が当たると暑いし、日陰に入ると涼しさを過ぎて寒い。
 カフェでクッキーとビールの昼食をとり、シダーの巨木を見られるかも知れないと期待してスタンレー公園に向かうことにする。バスの終点は公園を少し入ったところにあり、予想通り周囲は大きな樹木が生い茂る森であったがシダーは巨木とは言えない大きさであった。あても無く歩いて行くと子供の声が聞こえてくる。何かありそうなので声が聞こえる方向に向かって歩いていくと水族館を発見、入ることにする。入口に中国人の似顔絵描きが4人いた、中国人は何処にでもいるし、世界中で増えているように感じた。
 小振りな水族館ではあったが白イルカ、トド、ラッコからピラニア、ワニ、蛇まで見ることができた。水族館の他に小さな熱帯植物園もあった。その中で目玉は定期的に行われる白イルカによるショーである。タイミング良くショーが始まったので会場に移動すると大きな水槽の周りに設けられた客席は子連れで満員であった。白イルカが4頭、2人のインストラクターが指示するとジャンプや頭やヒレを振る。最大の見物は水を噴き出して子供にかける芸とジャンプして水しぶきを客にかける芸であった。水を噴きかけられる子供は希望者から選ばれたので納得づくであるが水しぶきは予告も無しでいきなりだった。気の毒に最前列の客はかなり濡れていた。
 青色の水に浮くクラゲや照明で明るく照らされたイソギンチャクは幻想的であった。枝の上できちんととぐろを巻いて頭を乗せてこちらを見ている緑色の蛇は印象に残った。


       水族館内の風景


       礼儀正しい蛇


       イルカショー


 平和フォーラムの閉会式が気になったので市内に戻り会場の美術館前の公園に行く。人は集まっているがまだ,始まる様子がないし、妻もいなかった。時間潰しに途中で見つけた日本食レストラン「KOJI」で寿司とビールの夕食をとる。店内は広く日本と変わらないインテリア、料理は寿司以外にうどんや天ぷらもある。客も日系人がほとんど、中年の和服姿の日系人ウエイトレスが日本語と英語のチャンポンで対応してくれ、日本でないことを実感する。
 会場に行くと人が多くなり,妻も法被に着替えて太鼓の練習をしている。やがて挨拶があり閉会式が始まった。参加者は好きなスタイルで聞いている。日本のセレモニーとはかなり違う。先住民の挨拶、歌、主催者とピースボート代表のスピーチがあり、祇園太鼓とよさこい踊りが披露される。妻も祇園太鼓の演奏者として太鼓を叩く。皆、気持ちが乗り迫力ある演奏だった。最後に平和フォーラムの宣言が読み上げられる。その中に日本の憲法9条改正反対が盛込まれていた。ピースボートのスタッフがニューヨークからバンクーバーに飛び平和フォーラムに参加した成果である。


      街中の風景/ビル群


       裏通り風景



     バンクーバーの寿司


        閉会式風景


   閉会式で太鼓を叩く妻の勇姿


 閉会式の後、参加者はピースボートまで平和行進し船内を見学後解散。
 我々はシャワーを浴びて一休みして出港式を見るためにデッキに上がる。船はタグボートに押されゆっくり埠頭を離れていく。美しい夜景が広がっていた。



        出航風景


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2006年ピースボート世界一周の旅45/アカプルコ(メキシコ)2

2008年07月31日 | 思い出の旅行
 6月20日 メキシコ アカプルコ (その2)

 あまりの暑さだったのでクーラーの効いたマックでアイスクリームを食べる。支払いはドルが使えたがおつりはペソだった。
 ビーチを散策したり民芸市場をのぞいたりしながらトパーズ号が停泊する旧市街に向け歩く。観光客の70%がアメリカ人とハイヤーの運転手が言っていたがなるほど家族連れのぶくぶく太ったアメリカ人が目立つ。日本人は10%とのこと。
 ビーチのゴミが気になる、海もジャマイカのような透明感はない。ビーチにいる観光客目当ての果物、飲料水、土産等を売る物売りがビーチを歩き回っている。
 昼食は外資系ホテルの1階の海が見えるレストランに入り、ひき肉のチリソース、子牛のタコス、ビールを注文する。アカプルコ生まれのメキシコ人に推薦されたタコスはなるほど美味しかった。料理は75ペソ、ビールは25ペソ、2人分で合計248ペソだった。
 珍しい鳥が沢山いると言うパパガージョ公園はカラスとアヒルしか見られず期待外れだった。気に登っていくリスを見ることができたので良しとする。
 ビーチに戻って船まで歩くことにする。途中パラソルを借りて休む。使用料2ドル、ビール3ドル,少し高いが言い値で支払う。買ったマンゴをつまみにパラソルの日陰で飲むビールは格別だった。「ベリーコールド!」と言っていたがその通り、しっかり冷えていた。ビーチはバカンスシーズンではないので観光客は少なく、静か。しかし、少ない客を狙って物売りが声をかけてくるのでのんびり景色を楽しめない。
 物売りの売込みに辟易していると、今度は右手が無い老女の物乞いが来る。お金を恵んでくれと言っていると思えたので、妻が持っていた小銭を4枚あげようとしたが受け取らずに行ってしまった。一瞬唖然としてしまった。小額だったので受け取らなかったとしか解釈出来ない。どんな小額であろうと喜んでもらうと言う常識が通じない世界があることに気づかされた。お金を持っている者が持っていない者にお金を恵むことはあたりまえ、貧しい者はもらう権利があると言うことであろう。船で世界を回りながら名所旧跡を訪れ、毎日美味しい料理を腹一杯食べる生活、こんな生活を夢として持つことも出来ない者にとって、贅沢の一部を割くことは義務で、貧しい者はそれを受け取る権利があると言うことであろう。


   土産屋街の表/小さな店が集まっている



  土産屋街の中/暑いので買物どころではない



外資系のショッピングビル/あまりの暑さに参って避難する



     外資系ホテルにあるレストラン



  信号待ちの車のガラス拭きをする青年



ビーチでマンゴを売る青年/嬉しかったのか十字を切っていた



   ホテルの日陰で寝ているホームレス



  ビーチの風景/シーズンオフで人影も無い



     ビーチの風景/土産屋



   これからのメキシコを担う中学生



 2人とも複雑な思いで船に戻り、シャワーを浴びて気分を変えてメキシコのプロレス「ルチャリブレ」会場に向かう。50ドル分のペソが残っていたのでスーパーマーケットでテキーラ2本、下着、リンゴを買う。
 「ルチャリブレ」の会場はごみごみしたいかにも下町と言ったところにあった。会場の建物は古くうらさびれている、クーラーの効いた館内でプロレス観戦と期待していたが無理そう。館内に入ると中央にリングがあり,その周りに粗末な椅子が囲んでいる。恐れていた通りクーラーは無く巨大なファンが熱気をかき回しているだけでやたらと暑い。
 アカプルコ市民と一緒にプロレス観戦が出来ると思っていたがピースボートの貸し切りであった。一番前の席をとり、12ペソのビールを飲みながら試合が始まるのを待つ。クーラーの効いた船に一刻も早く帰りたい気分であったが、冷えたビールが私を押しとどめてくれた。
 7時40分少し遅れて試合開始、アナウンスはピースボートの西川さんであった。試合は女子も入れて5試合、日本人はウルティモ・ドラゴンを含め8人も出場する。ウルティモ・ドラゴン(浅井義浩)はNHKのドキュメンタリー番組で紹介されたことがあるメキシコで有名な日本人レスラーである。我々もたまたまそのドキュメンタリー番組を見たので興味があった。
 ウルティモ・ドラゴンと大浦甫、下田美馬が水先案内人(ゲスト)としてジャマイカから乗船し「ルチャリブレ」の魅力を紹介した。今日の試合はそのお礼と激励を込めて企画されたもの。
 まず、日本人同士の試合から始まる、プロレスラーとは思えない貧弱な体格であったが動きが機敏で見応えはあった。日本では通用しないのでメキシコでプロレスラーの夢を実現させたと言った感じである。下田美馬は体格も良く技もあって充分通用する、今日は悪役としてメキシコ人と戦う。セミファイナルは日本人が1人入った3人対3人の試合、日本人以外は立派な体格、この貧弱な体格の日本人を助けながら最後は勝つと言うストーリー。試合はユーモラスな場面もあって楽しんでもらおうとするサービス精神に溢れている。場外での乱闘もあり我々の席まで巨体が飛んでくるおまけまで付いていた。
 メインイベントはウルティモ・ドラゴンと日本人の2人と悪役のメキシコ人2人の試合、ウルティモ・ドラゴンは小柄ではあるが鍛えられた体と技は一流、連続技は大きく切れ味があって、且つ技が一つ多い、メキシコで有名になっただけのことはある。悪役にぎりぎりまで痛めつけられるが最後は得意の連続技で逆転勝利するストーリーは分かりやすい。勧善懲悪のプロレスがアメリカに痛めつけられているメキシコ人に人気があるのが分かる様な気がした。若者も熟年も大声でウルティモ・ドラゴンを応援し、悪役にはブーイングを浴びせ盛り上がった。
 試合終了後、ウルティモ・ドラゴンから「勇気をくれてありがとう」との挨拶があったが、遠いメキシコのクーラーも無い粗末な会場で夢を持って頑張っている彼らから励まされた。
 華やかなリゾート地であるアカプルコでもメキシコの現実が反映されていた。観光客が利用する快適な外資系ホテル、レストラン、ショッピングビル、ファーストフード店の一方でそのわずかなおこぼれをちょうだいするクーラーもない地元の土産屋、信号待ちの間に窓拭きをする青年、ビーチの物売り、ホームレス、乞食、持てるものアメリカと持てないものメキシコの格差でもあった。
 


  プロレス会場/庶民が住む街の一角にある



プロレスラーが飛んでくるとは思わず最前席に座る



    場外乱闘/危うく難を逃れる



    ウルティモ・ドラゴンの勇姿



        出航風景


        出航風景
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2006年ピースボート世界一周の旅44/アカプルコ(メキシコ)1

2008年07月22日 | 思い出の旅行
 6月20日 メキシコ アカプルコ (その1)
 
 アカフトラ港から1日半の航海でアカプルコ港、サンデェゴ要塞の目の前の桟橋に着岸する。アカプルコは周囲を小高い丘と島で囲まれた風光明媚なところ、なぜか熱海に似ていると思った。右手の新市街の丘には別荘が並び,左手の旧市街には小さな住宅が密集し,海岸線には高層のリゾートホテルが林立している。

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   アカプルコ港着岸風景


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    銃と持つ港の警備員


 8時30分に下船してターミナルにいたハイヤーと交渉し街中を見物しながら新市街の丘の頂上にある教会を回って支倉常長記念像前で降ろしてもらうことにする。ハイヤーはトヨタのラウンドクルーザー、まず漁師が獲って来た魚を売る屋台見物からスタート、次にヤシの葉で葺いた日除けや売店が南国らしさを醸し出しているビーチを眺める、アカプルコの観光写真そのままの光景だった。車はビーチを過ぎ丘を登る、今度は中腹にある展望台からビーチと街並を眺める。更に坂を登っていくと教会がある頂上に到着。納骨堂があるモダンな教会は金持ちの夫人が建てたとのこと。庶民である運転手は金持ち専用のこの教会が気に入らない様子。金持ち専用の教会からの眺めは抜群、アカプルコ湾の全景が見渡せる。金持ちの死者はここからの眺めを死んでからも楽しんでいるのであろうか。

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 アカプルコ湾の魚屋/獲りたての魚を売る漁師


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      ハイヤー


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     ビーチで


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   アカプルコ湾を望む


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  更に高い所からの見晴らし


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   リッチマン用教会

 ハイヤーを停めた所に日本語で宮崎某名の表札が掛かる別荘を発見。この周囲は運転手いわく「リッチマン」の別荘が集まっているとのこと。見晴らしの良いプール付の邸宅でメキシコ人が数人、庭の手入れをしていた。
 同じ道を下り、支倉常長記念碑前でハイヤーを降りる。運転手はこの像を「ハポン」と言っていた。記念碑はメインストリートの中央分離帯にあって、右手に書状を持ち襟を着けた武士の姿で北西の方向に向かって立っていた。
 支倉常長は仙台藩主伊達政宗からスペインとの通商交渉とローマ法王に宣教師派遣を依頼する命を受け、1613年10月28日月浦から出帆、翌年1月25日にここアカプルコに着いている。約3ヶ月かかっているから我々の世界一周の航海と同じ位の日数を要していることになる。ここで終わりではなく,更にメキシコを経由してスペインに渡り、国王フェリペ3世に謁見し親書を献上したが目的であった通商交渉と司祭派遣は失敗した。次いでローマに入り教皇パウロ5世に謁見したが目的を達成できないまま1618年4月2日アカプルコを出帆し、仙台には1620年に到着した。しかし、仙台藩ではキリシタン禁制令が敷かれており、不遇の内に亡くなる。
 大航海時代の1521年にメキシコはコルテスによって征服されスペインの植民地として略奪が開始される。スペインとポルトガルが中心であった植民地争奪は、16世紀末からイギリス、オランダ、フランスが加わり激化、制海権を失ったスペイン、ポルトガルが脱落していった時代であった。日本は鎖国を選び、独自の江戸文化が開花した。400年経って、海洋民族の血がよみがえり、お金と時間を手に入れた庶民の平和な大航海時代に入った。



http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/91/3a816f2c94f1370d0595bb19bcdadf2b.jpg
    支倉常長像

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2006年ピースボート世界一周の旅43/アカフトラ(エルサルバドル)32

2008年07月03日 | 思い出の旅行
エルサルバドル アカフトラ港 「持続可能な発展を目指すコミュニティー」1泊2日 (その3)

朝、5時30分に目が覚め、洗面を済ませるとフランシスコが起きていて頭を洗うように水浴場まで案内してくれる。早速、タオルを持って裸になり水浴する、ものすごく気持ち良い、身体も心も清々しくなる。


水道と水槽/この水を自分でかけることをシャワーと言う

 フェデリーナがいたので何を手伝ったら良いか聞くと、フランシスコが牛の乳搾りをしていると言う(どの農家も痩せた牛を2~3頭程飼育している)早速行ったがやらせてくれそうにない、あきらめて庭の掃除をすることにする。エルサルバドル人はゴミをどこにでも捨てる習慣があって、道路はもちろん自分の庭にも平気で捨てている。この家の庭もゴミだらけである。ここでの私の仕事はゴミ掃除と決め、フェデリーナに断って庭にすてられているペットボトル、靴、衣類、紙袋、プラスチック等を拾いゴミが集積されているところに集める。
 朝食が出来たので食べるように言われテラスのテーブルで青年と一緒にコーヒーと炒めバナナとパン、トリティリャを食べる。

<別の農家にホームステイした妻の体験>
 妻は子供2人の若い夫婦の家にお世話になる。近所に叔父さんおばさん従兄弟等大勢の親族が住んでいる。


        乳絞りをする妻
*妻は朝食にインスタントコーヒーを入れたカップに絞っている牛の乳を直接入れた生温かい「コーヒー牛乳」を飲んだとのこと。


   朝食の準備/バナナを油で炒める母と娘


食食の炒めたバナナ(私もまったく同じ朝食だった)/妻のホームステイ先で

 食後は食器洗いと井戸の水汲みの手伝、食器洗いは洗剤を使っているが細部までこだわっていない、気になったので裏とか細かいところの汚れも落とす。使った水は庭に撒くか地下に浸透させている。
 食器洗いの後は、見つけた熊手を使ってゴミ掃除を継続する。熊手があると言うことは掃除が必要と考えていることだろう。掃除をしていると葉っぱ型の砥石を見つけたのでフランシスコに刀を研ぐように頼み、研ぐ様子を写真に撮る。
 ついでにフランシスコが研いだ刀とはしごを持って来てヤシの木に登り3個ばかり切り落とし、皮を削って穴を空け飲ませてくれた。水のように透明で少し甘い、少し甘い果肉もスプーンで削り取って食べる。初めての体験であった。
 掃除で汗をかいたのでもう一度水浴をして帰る準備をする、ユニクロのTシャツをフランシスコにバックをソラヤにあげる、ソラヤはうれしそうだった。お土産にマンゴとヤシの実をもらう。


    食器を洗う親子/撮影後私も手伝う


      庭にマンゴがなっている


   ヤシの実を刀でカットするフランシスコ


私より先に広場についた妻がミサが行われているのを発見


     司祭(向かって左)と助祭

 家の前で全員で記念撮影をして出発する。帰りもソラヤが荷物を持ってくれた。
 9時30分広場に集まり、しばらく、サッカーや折紙で子供との交流を行ってから贈呈式が始まる。ピースボートが集めた自転車やサッカーボール、文房具が二つのコミュニティーの子供達に渡される。フィデーニヤがコミュニティーを代表して挨拶している。その中で言葉が通じなかったが良い交流をしてくれた「やす」(私のこと)と若者に感謝すると言われ感動する。
 フランシスコがわざわざ刀を持って来てヤシの実を削ってくれる、由紀子に飲ませ他の人にもおすそ分けする。


子供との交流会/人形の中にお菓子が入っている


    落ちたお菓子を奪い合う子ども達


     ピースボートからのプレゼント


      子供達のための学用品

 11時30分、マルタ、ソラヤ、ジョアンナ、フランシスコ、そしてフィデーニヤにお礼とお別れを言ってバスに乗り込む。もうここに来ることもホストファミリーと会うことはかなわないがこの体験を忘れることはないであろう。現地にフタッフがいるピースボートならではの貴重な体験をすることができたことに感謝である。
 バスは同じ道を引き返し、サンサルバドル市内の冷房が効きすぎたレストランで昼食をとる。レストランはラ・サバナのコミュニティーと全く異なる世界だった。
 このレストランと市内でお世話になった海外青年協力隊の2人と現地スタッフと別れ、バスはアカフトラ目指しスピードアップする。帰船リミットの15分前に港に到着、土産を買う間もなくクラーの効いた船に乗り込む。


 その地域の住民が支持する政党を街路樹に表示


         帰りのバスの中


      サンサルバドルの街の風景


      サンサルバドルの街の風景


      昼食をとったレストラン



      無事帰船/我家に帰った気分



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2006年ピースボート世界一周の旅42/アカフトラ(エルサルバドル)2

2008年07月03日 | 思い出の旅行
エルサルバドル アカフトラ港(2回目)

 次に「BAJO LEMPA」が支援している農村共同体「ラ・サバナ・コミュニティー」に向かった。本線を東に少し走り、右折して未舗装の道路を進むと女性と子供が集まっている広場が現れる。我々が広場に入ると地元住民との交流会の開会式が始まる.
「BAJO LEMPA」の代表、この地域の代表、2つのコミュニティーの代表の挨拶があり、ピースボートの村上さんの挨拶がある。地元は外国人との交流は初めてで戸惑いもあるが多いに歓迎するとのことであった。トイレ、シャワー事情やデング熱病等だいたいの様子はバスの中で聞いていたので不安と戸惑いは我々も同様であった。


       農村共同体に到着


        交流会開会式

 開会式後、ホストファミリーが紹介されてそれに我々が希望する方法でホームステイ先が決められる。私は最後の方で70歳位に見える女性にお願いする。その女性は小さな女の子と中学生位の女の子を連れてきていた。スペイン語会話集を使って自分の名前を言って、ホストの名前を聞き出す、小さい子はジョアンナ(5歳)、中学生位の女の子はソラヤ、老人はマルタで2人の女の子は孫であることが分かった。
 夕方からの始まる交流会の前にホスト宅に行って荷物をおいてくるよう指示される。
 上の女の子がリュックを持ってくれる。ホストの家は集落の一番奥で有刺鉄線で囲まれた敷地にブロック製の小さな住宅が建っていた。住宅は1部屋で中にベットが3台、冷蔵庫、テーブル、テレビ、衣類入れがある。テラス部分には食事用テーブルとプラスチックの椅子、ハンモックがある。家の隣に小屋がありベットが1つ置いてある。
 おじいさんがいたので挨拶する。やせて小柄な人で、名前はフランシスコ、年齢は62
歳、奥さんのマルタは55歳、二人とも老けて見える。コミュニケーションをしているうちに隣の家のホストはここの地域のコミュニティーのリーダーであり、マルタの娘、フェデリーナ32歳で、中学生位の女の子の母親であることがわかった。
 ジョアンナに持参した風船と鶴の折紙を渡すとうれしそうに「グラーチェ」と言う。
 集合時間近くに現地スタッフが様子を見に来たので、ホストファミリーと隣の家にお世話になる若者と一緒に会場に向かう。会場までおばあさん、ジョアンナ、私の3人が手をつないで歩く。


      ホストファミリーの割当


 ホストファミリーとそれぞれの家に向かう


      私がお世話になった農家


       その庭/ゴミだらけ


      トイレ


     フォストファミリーと一緒に


室内は一間のみ、家族のベットとテレビ、冷蔵庫があった。私が借りたベット、ここで寝ていた子供は小屋で寝ることになった。


    妻がお世話になったファミリーの子供


     妻がお世話になったファミリー

 交流会はハリケーンの被害を題材にした主婦達の自作自演の風刺劇で始まる。政府の役人やマスコミが来て色々調査や取材をするが結局何もしてくれない、海外から沢山援助物資が来ても一番困っている自分たちの所には届かない、政府の役人が横流しして私腹を肥やしている、だから援助は直接届けて欲しいと言う迫力満点の演技だった。主婦のパワーと可能性を感じた。我々の演し物は炭坑節、三味線の伴奏で歌って踊る。地元の人も入って盛り上がるはずであったが練習不足で中途半端になってしまった。
 演し物が終って広場にある戦争記念館を見学をする。内戦時に政府軍によって殺害された30名のゲリラを悼んで作られたもの、使用していた武器やゲリラの写真が展示されている。壁にはなまなましいスローガンや銃痕が残されている。建物の裏には30人のゲリラが埋葬されている墓があり、その側に機関銃が取り付けられている。悲劇を知らない子供達が遊具代わりに楽しそうに遊んでいる。このような犠牲を払って貧しい農民はこのコミュニティーを獲得したのである。ものを言わない農民からものを言う農民へ、人に頼らず自分たちで獲得する農民へ生まれ変わった記念碑でもある。


   記念館/農民を殺した兵器と遊ぶ子供達


     記念館の内部/弾痕に注意


    記念館の内部に残されたスローガン
 
 地元の主婦達が作ってくれたスープとタコス料理をマルタが運んでくれ、由紀子と一緒に食べる。ソラヤとフランシスコも来ている。料理は期待していなかったが美味しかった、特にスープが良かった。設備も道具も不十分な中で数百人分の料理を作るのは大変だったと想像する。
 食事が終ると近くのコミュニティーセンターに会場を移して若者のバンドによるダンスパーティーが始まる。建物には当然クーラーは無く扇風機も4台中3台故障している蒸し暑さと人息れの中、ボリュームを目一杯上げ激しいリズムの音楽が流れる。子供達が踊りだし、次にピースボートの若者が踊り出しす。由紀子も誘われて踊り始める。私も暑さの中、すべて許される世界にいるような開放感に浸って、リズムに会わせて身体を動かす。


      交流会/ダンスパーティー


       ダンスパーティー

 10時近くになったのでジョアンナのことや明日6時から農作業の手伝いがあることから帰ることにする。隣の青年とホストファミリーと一緒に真っ暗な道を懐中電灯の光りを頼りに歩く。だんだん目が慣れてきて、ふと上を見ると夜空いっぱい星が落ちて来るように明るく輝いていた。これほどはっきり星を見たことが無い、宇宙と人間の距離の近さと星明かりに気づかされる。宇宙と一体となったような気分で家まで歩く。
 家に到着、真っ暗な中に点いている1つの電灯がまぶしい程明るく感じた。周りが暗ければほんの少しの明かりで十分であるが周りが明るいと更に明るくしないと暗く感じる、果てしなく明るくなる我々の夜の生活、照明のあり方を考えさせられた。
 お土産(紅茶、インスタントみそ汁、スープ、ラーメン、柿の種)と電池が入らない発電式懐中電灯をプレゼントする。「グラシャス」と言ってあたりまえのように受け取る。
 汗をかいたのでシャワーを浴びたかったが歯磨きをしてパジャマに着替えて寝る。フランシスコがベット用の蚊帳を用意してくれたので使わせてもらう。東京の熱帯夜ほど暑くないので安心する。


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2006年ピースボート世界一周の旅41/アカフトラ(エルサルバドル)1

2008年07月03日 | 思い出の旅行
6月17日 エルサルバドル アカフトラ港  
ツアー「持続可能な発展を目指すコミュニティー」1泊2日 (その1)

 6月14日19時11分、パナマ運河を抜けたトパーズ号は太平洋を北西に向け二日間航行しエルサルバドルのアカフトラ港に予定通り8時着岸。この二日間はうねりがありかなり揺れた航海だった。
 アカフトラ港はコンテナ用のリフトもない小さな港である。9時20分タラップを降りると日差しが厳しい、入道雲が出ていて更に暑くなりそうな気配である。もうテント張りの土産屋が店を出している。


       太平洋の海の色


レストランで食事中、数頭の群れで泳ぐイルカを発見


今度はデッキでぼんやり海を見ていたらウミガメを発見


       アカフトラ港の風景


 埠頭の風景/チャーターしたバスが待機している

 我々が乗るバスはどういう訳かアメリカ製のスクールバスの中古品、クラーはついていないぽんこつ寸前の代物であった。9時45分ピースボートから村上、大江と通訳として海外青年協力隊の島田、加瀬、訪問先の職員1名、現地ビデオカメラマン1名が同乗して出発、蒸し風呂のようなバスの中は走り出すと風が入り何とか我慢できそう。


    海外青年協力隊員二人から説明を受ける


   アメリカ製スクールバスの中古は冷房が無い

 バスはアカフトラ港からサンサルバドルを通ってサン・ビセンテ県、 BAJO LEMPA/(バホ・レンパ)に向かう。ここでNGOや企業の連合体組織「BAJO LEMPA」傘下のメンバーの団体から活動内容等の説明を受け、施設見学と団体が経営するレストラン「Chichontepec」で昼食をとることになっている。
 道路は整備され快適、途中からパンアメリカン・ハイウエーに入り更に道路は広く立派になる。現地の職員からバオ・レンバについて説明があったが途中で「皆さんお疲れのようなので止めます」と言う、後ろを振り返ると若者は皆眠ている。船の中で忙しくしている疲れが出たようだ、起きているのは数人の熟年者ばかりであった。
 1時間程で首都サンサルバドルに入る、中心街にはアメリカのファーストフード店や大型店舗が並び田舎と都会の差が大きい。しかし、中心街を外れると小さな店やバラックのような住宅が増える。特に山の急斜面に張り付くように建っている住宅が目につく。
 バスはサンサルバドルを過ぎパンアメリカン・ハイウエーから別れ山道に入る、中古バスは山道に入ると遅れだし、他の車にどんどん追い越される。 
 峠を越えて平野に出ると農村地帯にとなりトウモロコシ畑や牛の放牧風景や洗濯物が翻る粗末な農家が見えてくる。12時30分ようやく到着、3時間のドライブ中、一度もトイレ休憩がなかったが汗をかいたせいか問題なかった。


     街の風景/日本車が目立った


      街の風景/庶民の市場


     街の風景/崖にあるバラック


       街の風景/団地


    街の風景/スーパーマーケット


        農村のお店


 入口では銃を持った守衛が扉を開けてくれるものものしさ。内戦の混乱が続いているのか。バスを降りると集会場に導かれ「BAJO LEMPA/バホ・レンパ」の代表の挨拶といくつかのBGOや企業の代表から活動内容の説明があった。
 説明によると金融、乳製品製造、バイオ研究、パン・ジャム製造、職業訓練、農業支援等かなり幅広い活動をしている。それらをまとめているのが「BAJO LEMPA/バホ・レンパ」とのこと。通訳は海外青年協力隊の二人、驚いたことに二人は派遣されて4ヶ月とのこと、日本でスペイン語の特訓を受けたとしてもすごい語学能力である。
 政府軍とゲリラとの和平合意が成立した1992年から内戦で避難を余儀なくされた農民450家族を入植させることから始まり現在では5000家族に拡大している。
 最初に区画された農地に入植した時には水も道路も無かったが道路、水道、電気等の社会整備をし、農畜産物の共同販売、共同加工販売、レストラン、職業訓練等を行いながらこれらの共同体を運営している。ここの活動のユニークさは多様な機能を持った団体が1つの連合体を構成して有機的に運営していることである。
 「BAJO LEMPA/バホ・レンパ」の活動拠点は県内10数カ所ある、ここは中心的拠点としてレストラン、集会場、青少年の就労の場として浄水用フィルター、パン、ジャム製造、製品を販売するショップを運営している。この施設から雄大なサン・ビセンテ火山が見える、足下の道路にはこの火山が噴出した軽石が敷き詰められていた。
 説明が終わり、レストランで「BIOLACT」が作っているカマンベール、青カビ等5種類のチーズの試食があった。塩が効いて大変美味しかった。


     農民支援団体の建物


    支援団体の建物に描かれた壁画


 支援団体のリーダーから活動内容の説明を受ける


   試作したチーズの説明をするリーダー

 試食の後、遅い昼食となる、丸ごと揚げられた魚にライスと酢漬けの野菜の付け合わせたものが出る。魚は白身であっさりしているのでレモン汁をかけて食べる、ライスは固めで少し味がついている、酢漬けの野菜が一番口にあった。クーラーが無いレストランで汗をかきながらの昼食であった。
 食後はピースボートの現地スタッフ(金髪のエルサルバドル人女性)が通訳となって施設を見学する。この現地スタッフは発音がきれいでかつ丁寧語を使う。
 青少年の就労の場を確保するために作られたパン工房を見学、8名のスタッフがいて3名が製造、1名が事務、4名が営業を夫々分担していてうまくいっているとのこと。昼休みのため従業員はいなかった。工房には小さなパン焼き用のガス窯が2台あった。整理整頓、清掃が行き届いていないのが気になった。
 ジャム工房、従業員用の宿舎を外から見て、健康飲料、砂糖、コーヒー、カシューナッツ、蜂蜜を販売しているショップに案内される。ここでお土産を買うことになる。
 「BAJO LEMPA/バホ・レンパ」の全貌を把握することはできなかったが内戦の影響を受けた貧しい農業県であるサン・ビセンテ県で内戦の一番の被害者であった農民の生活を維持、向上させるために農地の確保と整備、農業振興、生産物の共同販売、共同加工販売、職業訓練、就労の場の確保、金融、教育、医療まで幅広い活動をしていることが浮かび上がってきた。そして色々な問題を抱えながらもこれらの活動が軌道に乗り発展している様子をほんの少しだったが見ることができた。



   昼食風景/冷房が無くとにかく暑い


  料理/あまりの暑さで食欲もわかなかった

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2006年ピースボート世界一周の旅40/パナマ運河

2008年06月30日 | 思い出の旅行
 6月14日 パナマ、クリストバル港出航 パナマ運河を通過して太平洋に向かう

 スエズ運河とパナマ運河通過はピースボート世界一周船の旅のハイライトの一つである。

 パナマ運河はスエズ運河を設計したレセップスが海面式運河(平らな水路にする方式)で挑戦したが難工事と熱帯特有の黄熱病やマラリアで3万人が亡くなる等、苦難の末、運河建設会社は倒産した。その後を引継いだアメリカは中央にある標高26mのガトゥン湖まで開け閉めできる閘門を備えた3段のゲート(巨大な水槽/幅33.5m、長さ305m この大きさが船舶の設計基準になっている、その基準をパナマックスと言う)をつくり、1段で9m、3段で26m、浮き上がらせるゲート式を採用し成功する。

ゲート式水位上昇プロセス 
1)船舶をゲートの中に電気機関車で牽引  *電気機関車は三菱重工製、1台/1億5000万円とのこと
2)後方の閘門を閉める(前方も閉まっている)
3)淡水が注水される
(1ゲート当り1億9700万ℓの淡水 *海水を使わなかったのはポンプアップコストと閘門の損傷が要因)
4)満水になると前方の閘門が開く
5)電気機関車が牽引して次のゲートに入れる

このように約9mづつ3回、計26m上げられた船はガトゥン湖に入る。(ガトゥン湖は船舶の待機場にもなっている)
ガトゥン湖から最も難工事であったゲイラード水路(12.6km)を通り、次は水位を下げるためにペトロ・ミゲル閘門で9m下げ、次のミラ・フローレス閘門で2段計16m下がり太平洋に抜ける。

 ゲート式は大量の淡水が必要となる。熱帯雨林地帯の雨、その雨水を貯める湖、ダム(発電した電気は電気機関車や閘門の開閉に使用)が不可欠である。近年気候変動で雨が少なくなり、自然環境やパナマ運河の維持に影響が出てるとのこと。

 パナマ運河を通過した過去最大の船はサンプリンセス号でその幅は何と32.25m、水槽の幅33.53mから引くと1.28mとなる。左右64㎝の余裕しか無い。ちなみにトパーズ号の幅は27m

 通行料金が気になるが一番安い例は 泳いで渡ったリチャード・ハリバートンと言う人で36セント。トパーズ号の通行料金は何故か教えてもらえなかった。多分、1000~2000万円と言ったところではないかと想像している。総トン数、積載量、船舶の種類で異なるとのこと。


 パナマ運河はアメリカ大陸の一番狭い所、80kmを水路で結ぶ事で12500km短縮できた。11時に運河に入り19時には太平洋に抜ける事ができたからわずか8時間で通過したことになる。このことからもパナマ運河はアメリカにとって貿易だけではなく軍事戦略上から重要であったことが難癖をつけて1999年12月31日までパナマ運河を手放さなかったことからも分かる。

 パナマ運河通過風景を紹介する。


     手を振る港湾労働者


    クリストバル港を離れる


     船首をパナマ運河に向け進む

 
       運河沿いのジャングルの風景


         不気味な大きな鳥


    タグボートの押されてゲートに入る


     1段目のゲートに注水開始/灰色


       満水になった水槽

     牽引用電気機感車


    ガトゥン閘門2番目/移動


   ガトゥン閘門2番目/移動


    急勾配の坂を上る電気機関車


     ガトゥン閘門の最後のゲート開く


      ガトゥン閘門三番目のゲート


     ガトゥン閘門三番目/注水


       ガトゥン閘門を抜ける


         ガトゥン湖


       ガトゥン湖周辺の風景


         腕相撲大会



         船上バザー


   ペデロ・ミゲル閘門/ゲートが閉まる


     ペデロ・ミゲル閘門/排水


          鳥


          鳥


     ペデロ・ミゲル閘門を抜ける


     ミラ・フローレンス閘門/排水



    ミラ・フローレンス閘門/見物風景


    夕暮れのミラ・フローレンス閘門


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