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定年夫婦の暮らし方(店長日記)

盛岡に住む定年夫婦(昭和20年生)の暮らしを分ち合います。

2006年ピースボート世界一周の旅30/エコツアー(アイルランド)1

2008年06月08日 | 思い出の旅行
5月27日 ツアー/アイルランドでエコロジー体験 その1
          エコセンター(Sonairte Ecological Centre) オーガニック農場 タラの丘

 バスは9時30分、ダブリンの北25kmの所にあるソナルテ・エコ・センターに向け出発。ダブリンから高速道路に乗り郊外に出るとなだらかな丘陵地帯になる。境界を樹木で囲んだ緑いっぱいの牧草地が果てしなく広がり、時折放牧されている羊や牛の群れが見える。たっぷり水分を含んだ樹木や牧草はヨルダンやリビアの乾燥地帯を見た目には一際みずみずしく輝いている見える。


       ダブリン郊外の風景



       ダブリン郊外の風景

 バスには「Sonairte Ecological Centre」のメンバー8名が乗っていて、大学の環境学の修士を卒業したと言う若者からエコ・センターの概要、課題等のレクチャーがある。
 「Sonairte Ecological Centre」は80年代に北アイルランド自然保護党が始めたプロジェクトで子供から大人までのエコ教育や有機野菜の栽培を行っているNPOである。補助金が打ち切られた現在では30名程のメンバーの寄付や入園料でまかなっている。
 高速道をを降り、しばらく田舎道を走ると「Sonairte Ecological Centre」の看板が見える。ダブリンからおよそ1時間であった。
 到着して直ぐエコロジーを理解するためのゲームを中庭で行った。まず、全員がバラバラに散って立ち、植物になったつもりでその場を動かないように指示される。次にスタッフが「水」、「空間」、「栄養」、「光」と書いたカードを均等になるようにばらまく。次に合図とともにその場を動かないでカードをなるべく沢山集める。次にスタッフが「植物にとって一番大切なものは光です、光が無いと植物は枯れてしまうので光のカードを持っていない人はその場で座って下さい。」と言う。持っていない人は座り、次に「次に大事なのは水です。水のカードを持っていない人は座って下さい。」と言う、そして最後まで残った人が植物として成長できる人であると宣言する。ゲーム感覚でエコロジーの基本を理解させる方法として効果があると言う。


   「Sonairte Ecological Centre」前で


        センターでのゲーム


 次に2班に分けて施設内を案内してもらう。まずリンゴ畑でこの地域の植物、鳥、動物についての説明を受けて、移動して野鳥観察を行う、葦が茂る川辺にサギが数羽見えた。ゴンクリートでの護岸工事を止めて鳥が繁殖しやすい環境をつくることが大事であるとの説明があった。若木の周囲に新聞紙を置いて雑草が生えない工夫も見られた。
 オーガニック・ガーデンでは栄養価の高い植物とその堆肥化の方法、雑草を生えさせない工夫、ビンールハウスでの苗作り、花の栽培を見学した。人間の手を入れない栽培方法を試みているとのことであった。出来た野菜はエコセンターやダブリンの生協で販売していると言っていたが畑の大きさから収穫量はわずかと思われた。





     エコセンターで係の説明を聞く



          わらび




         センターの畑



         説明をする通訳

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2006年ピースボート世界一周の旅29/ダブリン(アイルランド)3

2008年06月08日 | 思い出の旅行
 ダブリン編/その3 
百貨店、食品スーパーも覗いたがイギリスと同じような店造りでアイルランドの特徴は感じられない、マックのように世界中が共通化していっているように思えた。手に入れたスーパーのチラシは大雑把なデザインで特価商品だけを紹介するもので、チラシの原点を確認させられた。スパーでワイン1本とチョコレートを購入する。
 歩行者専用道路ではグループであるいは単独で音楽やアートのパフォーマンスをしている。通行人は気に入れば小銭を箱に入れるし、でなければすぐ立ち去る。観光客にとっては街の散策に変化を与えてくれ楽しいし気分にしてくれる。私たちはパフォーマーが街に溶け込んでいる風景にダブリンらしさを感じた。


      ストリートミュージシャン


      ストリートミュージシャン



      フェアトレードショップ

 コンビニでビールとサンドイッチを買って朝方通ったセント・スティーブンス・グリーン公園のベンチに座り休憩する。樹木と刈り込まれた芝生が美しい。
 夕方、帰る途中にあるタラ・ストリート駅の近くのパブ「Mulligans Pub」でビールを飲む事にする。店が分からず外で立ってビールを飲んでいる人に聞いたらここだと教えてくれる、パブの客だったのだ。
 中に入ると客の話し声が凄まじい、サラリーマン風の人が多いが何を話しているのか、アイルランド人は話し好きと言うが日本には無い風景である。我々はこの雰囲気に圧倒されながらもビールを注文しカウンターで飲む。


          パブ



          パブで



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2006年ピースボート世界一周の旅28/ダブリン(アイルランド)2

2008年06月06日 | 思い出の旅行
 ダブリン編/その2
2階にあるビッフェ形式のレストランでクロワッサン、アップルパイ、ビールの昼食をとって次の目的の聖パトリック大聖堂に向かう。


       博物館のレストランで

 博物館の向かいにあるアラン島の伝統的な毛織物や編物を販売する「クレオ/Cleo」を見つけたので寄ることにする。閉まっていたが呼鈴を押すと2階から若い女性が降りて来て開けてくれる。店内では手織り天然染料によるコート、ジャケット、スカート、マフラー、帽子等や手編みや機械編みのセーター、マフラー等が置かれていた。品の良いおばあさんが商品の説明をしてくれた、友人用のお土産としてマフラー2点、自分用としてネックウエアと帽子、孫に人形を購入した。


     手織り手編みショップ「クレオ」


      オーナーと記念撮影

 芝生が美しいセント・スチーブンス・グリーン公園の中を抜けて、路地を通り聖パトリック大聖堂に向かった。公園の池に鴨がおり鳥の巣があった。またベンチで大型犬と中年の男が抱き合っている不思議な光景を見た、まるで犬は自分は人間であると人間の方も犬を人間と思い込んでいるような風景だった。


     公園で

 聖パトリック大聖堂は存在を誇示するのではなく風景に溶け込むように建っていた。教会の灰色の石壁は庭の赤い花を一層引き立たせていた。
 5世紀にキリスト教の布教に来た聖パトリックにその由来があるこの大聖堂は12世紀に建設されアイルランド最大である。かって「ガリバー旅行記」の作者のジョナサン・スウィフトがここの司祭をつとめていたこともある。
 

       聖パトリック教会入口


          教会内部


 次に訪れたクライスト・チャーチ大聖堂は元は木造であったが1240年に石造ゴシック様式に立て替えられたものである。
 イタリアやフランスの大聖堂を見て来た者にとってはこれらの大聖堂は大変地味に感じた、国民性かイギリス支配の影響か、しかし祈りの場としてはふさわしと思った。
 クライスト・チャーチ大聖堂の質素な日本語版パンフレットにアイルランドがおかれた信仰上の苦しい立場が書かれていた。「略 1530年代になると宗教改革がイングランドよりもたらされました。ヨーロッパの政治情勢を受け入れるべく、ヘンリ-8世がローマ教会と反目するとアイルランドの教会は、意に反しながらもイングランドの要請に同意せざるを得ませんでした。略 チャーチ・オブ・アイルランドは宗教改革を通じて、(使徒)信条は改革されましたが、なおもこうして今日まで受け継がれてきたのです。つまり、中世ケルトのキリスト教と聖なるローマ教皇のカトリック教会の2つを同時に受け継いできたのです。キリスト教徒の祈りは聖堂の第一の勤めであり、宗派を問わず参拝者のみなさんを日曜及び平日の祈りに歓迎致します(アングリカン式)。」
 13世紀そのままの姿を残す地下室が興味深かった。 


    正面にクライストチャーチ教会が見える


    教会の内部


         教会の地下


 今のアイルランドの工芸を知りたいと思い工芸作家の作品を扱っているショップを覗く、陶磁器、ジュエリー、版画、木工等堅実な作品が売られていた。2階には小さなギャラリーがありアートぽい陶磁器が展示販売されていた。このような店がアイルランドの工芸振興に貢献していくものと思われた。女店員から京都、大阪に行ったことがあると話しかけられた。



     クラフトショップでの陶磁器展

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2006年ピースボート世界一周の旅27/ダブリン(アイルランド)1

2008年06月06日 | 思い出の旅行
アイルランド ダブリン編 5月26日(金)10:00~27日(土)23:00

5月26日(金)10:00 ダブリン市内自由行動
 ノルウェー、ソグネフィヨルドから2日間の航海でアイルランドのダブリン港に26日10時着岸。岸壁近くにゴミが浮かんでいるのが気になる。上陸許可が出ると直ぐに下船し巡回シャトルバスでゲートに向かう。所要時間わずか2~3分、港内が危険防止のため徒歩移動が禁止されているための措置。
 貨物港のため市内までの移動手段が無く、ゲートから市内の中心地までピースボートのメンバーと一緒に歩く。周囲は倉庫や工場だけで殺風景、やがてダブリン市内から流れるリフィー川が見えてくる。川沿いは歩道や自転車道が整備され歩き易い、しっかりデザインされたサインや彫刻そしてガラス張りのコーヒーショッピやレストランも設置されている。


        ダブリン港


    リフィー川沿にあった彫刻



     同 拡大

 風景を楽しみながら50分程歩くとオコンネルに橋に出る、大衆運動の原型をつくりカトリックの地位向上に貢献したオコンネルを讃え、橋と通りにその名前がついている。通りには大きな銅像も建っていた。
 橋を渡らずそのまま右に曲がって復活祭蜂起の激戦場になった中央郵便局に向かう。1916年4月24日の復活祭明けの月曜日に武装したアイルランド人1000名が中央郵便局を占拠して共和国国旗を掲揚し、暫定共和国樹立宣言を行った。英国正規軍の攻撃に1週間持ちこたえたが鎮圧され指導者15名は裁判にもかけられず即刻処刑された。この英国の措置が反乱に冷淡だったダブリン市民を武力による独立戦争へ駆り立て、700年間にわたる英国支配を終らせることになった。入口の壁には明らかに銃弾によるものと思われる補修の痕があった。


       オコンネル通り


    郵便局の内部



        弾丸の跡

 郵便局を見学後、「ケルズの書」を見るためにトリニティー・カレッジに向かう。この大学は1592年に創設されたアイルランド最古の大学でノーベル文学賞受賞作家始め多くの著名人を輩出している。入口から奇麗に整備された中庭を通り「ケルズの書」が保管されている図書室に向かったが既に長蛇の列が出来ていたのであきらめて近くにある国立考古学・歴史博物館に向かった。


      ウエストモーラ通り


     トリニティー・カレッジ


     トリニティー・カレッジの中庭

 途中、店の名にデザインと言う文字が入っている「Kilkenny Design Shop」を覗く、アイルランドの最先端のデザインが見られることを期待したがカットグラス、陶磁器、木工品等のアイルランドの伝統工芸品を販売していた。
 図書館の前でハンガーストライキをやっているおじさんがいた。理由は分からなかったが反骨精神はアイルランドの伝統になっているのかも知れない。


       デザインショップ


        ストライキ中

 博物館は先史時代の石器や土器、金属器、独特のケルト文様が施された金属装身具、楽器等が展示されていた。その中でブロンズの槍や斧の鋳込みに使用した石製鋳型、鉄板を鋲止めして作った鍋は興味深かった。装飾品に施された宇宙観を表していると思われる精密な同心円文様の力強さと日本人の感性に近い繊細な美しさを持っていた先史時代の土器に感動した。この博物館は小さいが故に展示品が絞り込まれ、ゆったりと見ることができた。


      博物館/剣の鋳型(石製)


        博物館/土器



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2006年ピースボート世界一周の旅26/ソグネフィヨルド

2008年06月05日 | 思い出の旅行
5月22日(月)23時ベルゲン出航  23日(火)4時ソグネフィヨルド~13時フロム

 ピースボート世界一周の旅のハイライトの一つ、世界最大のフィヨルドを遊覧する。トパーズ号は夜半にベルゲンを出航し早朝にソグネフィヨルドに入る。3万トンのトパーズ号船が航行出来るフィヨルド、その大きさを想像出来なかった。朝、起きた頃には既にフィヨルド内を航行。陸地には色とりどりの家が並ぶ集落が見える、まるで絵本のような世界が広がっていた。

 13時、フロムの手前でUターンし北極海向け航行。










          集落風景






          観光船


      絵本のような世界が広がる





   





   トパーズ号はUターンして北極海を目指す





         巨大な滝が見える
     
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2006年ピースボート世界一周の旅25/ベルゲン(ノルウェー)3

2008年05月21日 | 思い出の旅行
 ベルゲン/その3
 期待していた民具が無かったのでベルゲン博物館文化歴史館へ行くことにする。博物館を目指して坂を登っていくと雨に煙る港や街が見渡せた。静かで落ち着いた街だ。博物館は大学校内にあった。看板も無く苦労して探しあてたが閉まっていた。近くにあったヨハネス教会に入ろうとしたがここも閉まっていた。
 時間があったので中心部に戻りケーブルカーでベルゲンを見渡せるフロエン山に行くことにする。店のウインドウを見ながら商店街を通り抜け港の市場に戻る。

 
     日本刀を飾る刃物屋のショーウィンドウ

 ブリッゲンの手前を右に入ると奥にケーブルカーの駅があった。往復切符を買ってケーブルカーに乗込む。真っ黒い大きな犬を連れた婦人が乗ってきて途中で降りた。このケーブルカーは高台に住む住民の足になっているようだ。慣れているのだろう犬は床に座っておとなしくしていた。懸垂タイプのケーブルカーは標高320mの頂上まできつい勾配をゆっくり登って行く。
 終点の駅を出ると目の前が展望台だった。展望台から遠くかすんでフィヨルドの風景と手前に停泊しているトパーズ号が見える。ベルゲンがフィヨルドの中にある街であることが良くわかる。目の前には歩き回ったベルゲンの街が見える。風が冷たいので駅舎の隣にあった土産屋に避難する。


   展望台から/遠くにトパーズ号が見える



         街中の風景

 顔見知りも混ざるピースボートのツアーの一行がやって来た。景色のすばらしさに感動していたがやはり寒さに耐えられず土産屋に避難して下りのケーブルカーで下山して行った。我々は写真を撮り、スケッチをして歩いて下山することにする。ちょうど歩いて登ってきたピースボートの若者に復路の切符をあげる。針葉樹林の中をハイキング気分で歩く。途中でランニングする人に出会う。ゆっくり40分程歩くと住宅が現れた。道路から家の中が見えるくらい近づく。明かりが点き息づかい聞こえそうな距離だ。
 遠くから小太鼓の乾いた音が聞こえてきた。中学生から高校生くらいまでの生徒が旗を先頭に木製のモデル鉄砲を持って行進するところであった。


          鼓笛隊

 風雨が強くなってきたのでこれ以上歩くことはあきらめブリッゲンで土産を買い船に戻ることにした。土産屋には大勢のピースボートの乗客がつめかけていた。
 お土産を手に提げ、雨の中を歩いて帰る。部屋に入って熱いシャワーを浴びて暖まる。



  醜いほど効果があると言う魔除けの人形トロル





       ブリッゲンの建物群



          店舗



      伝統的な模様が入った帽子



        陶器製人形トロル
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2006年ピースボート世界一周の旅24/ベルゲン(ノルウェー)2

2008年05月21日 | 思い出の旅行
  ベルゲン/その2
11時に博物館に戻る、小さな中庭に満開の桜の木が1本あった。懐かしく一瞬日本に帰りたいと思った。


  お母さんに道を聞いたら睨みつけた子ども


       中庭にあった桜

 勇気を出して小さな入口から中に入る、収容施設をそのまま博物館にしているようだ。入場料を払い英語版の資料を借りて患者を隔離した病院の中に入る。木造2階建てで中央は吹抜けとなっている。周囲に小さな病室が吹抜けを囲むように並んでいる。部屋は2人分のベット、机、ロッカーが入っている3畳程。1階には同じ大きさの治療室と研究室があった。各部屋にはハンセン病患者の病歴や症状がイラストや写真で紹介されていた。発病時の可愛い子供が無惨な姿になって行く様子が分かる。ここの吹抜けの空間で食事や作業をして一日を過ごしたのであろう。一生病気と差別と戦わなければならなかった残酷な病気だ。
 ベルゲン出身のハンセンが1873年に癩菌を発見したことを記念してベルゲンで一番古いこのライ病院「聖ジョージ病院」を博物館として残すことになったようだ。


     ハンセン氏病記念館/内部

 左手にある入口から隣接する教会に入ることができる。患者はこの教会でどれほど奇蹟を祈っただろうか。病気が治る奇蹟はおこらなかったが患者は自分たちを看護し支えてくれたシスターや医者との信仰共同体の中でいやされたと思いたい。病室のマリア像がその証であったと思いたい。


      ハンセン氏病院付属教会

 入口の右手には大きな鋳物の鍋が下げられた調理用暖炉と炊事場があった。
 パンフレットを見ると開館期間が5月21日から9月3日となっている、昨日開館したばかりだったのだ。博物館を出ると一層庭の桜が美しく感じられた。
 ベルゲン駅前を通り美しい池のある公園に出る。緑に囲まれた住宅がある向かいの丘の景色は絵本の世界だった。


         絵本の様な景色

 ベルゲン美術館の前を通って工芸博物館に行く。4階建てのこじんまりした建物。近代の食器、家具、衣服、スカンジナビアの椅子に中国清朝時代の工芸品が展示されていた。入館して間もなく火災警報ベルが鳴り避難すると言うハプニングがあった。
 博物館の隣にあるレストランで生ハムサンド、スパゲティーミートソースそしてハンザビールの昼食をとる。若い中国人ウエーターが働いていた。


         工芸博物館

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2006年ピースボート世界一周の旅23/ベルゲン(ノルウェー)1

2008年05月21日 | 思い出の旅行
5月22日(月)ベルゲン編 自由行動 その1

 ティルブリー港を出航したトパーズ号は北極海をノルウェーに向け北上する。北に進みに従い寒さが増し、日の入時間が長くなる。まだ明るいと思っていると夜の11時過ぎだったり時間感覚が狂って寝るのが遅くなる。ベルゲン上陸説明会で感覚的に時間を計らないように、必ず時計で確認するようにとの注意があった。
 トパーズ号はフィヨルドの中に入り波穏やかなベルゲン港の入口の岸壁に着岸、上陸許可がでる頃には雨が降りはじめたので雨具を持って下船。ゲートの鉄の門の前で係官にIDカードを見せると扉のロックが外され外に出られる。
 途中にあったオーコン王の館とローセンクランツの塔を手始めに見物する。雨に洗われた庭の緑と自然石の敷石が美しかった。ヨーロッパ人は石の魅力を引き出すのがうまい、ここの建物の石壁も抽象画のようであった。


       ホーコン王の館

 更に歩くと世界遺産に指定された木造倉庫群ブリッゲン地区に出る。通りに面して茶色や薄い黄色に塗られた3階建ての大きな木造建築物が並んでいる。中世の北欧商業圏を支配した「ハンザ同盟」の拠点の一つがベルゲンであり、ここの倉庫は重要な輸出品の干し魚の倉庫としてつかわれたものである。現在はしゃれたショップに生まれ変わって外貨稼ぎに貢献している。


   世界文化遺産/ブリッゲン木造倉庫群


     銀器ショップ/ブリッゲン


      銀器製品/ブリッゲン

 建物の側面に雁木構造が見られた、雪国の共通の知恵のようだ。奥に入って行く。小屋のように見えた平屋の木造建築物があり、しゃれたショップになっていた。これらの木造建築物を魅力的な店舗に改装したノルウェー人建築家の力量を評価したい。
 銀、陶器、毛織物、木製品等の質の高い工芸品を扱っているショップと安い商品を揃えたスーベニアショップがあったが店舗同様に商品やディスプレーもレベルが高かかった。


    日本の雁木に似た構造/ブリッゲン



    倉庫群の裏にあった店舗/ブリッゲン

帰りに土産を買うことにして先を急ぐ。
 港の一番奥に魚や土産品を売るテント張りの市場があった。驚いたことに若いノルウェー人と日本人女性のカップルがスモークサーモンや瓶詰めを売っていた。
 ノルウェー人から美味しいから是非試してみたらと言われサーモンや蒸しエビのオープンサンドを見つけたが朝食をとったばかりだったので素通りした。


      朝市で出会った日本人



      朝市名物のサンドイッチ

 市場の向かいにあるインフォメーションで地図を手に入れ、ノルウェークローネに両替をする。ベルゲン観光の準備ができたので船内で計画した通りまずハンセン病博物館、工芸博物館をのんびり回ることにする。
 最初の目的地のハンセン病博物館が見つからず出だしから迷ってしまったが親子連れに聞いてようやく見つける。11時オープンまで時間があったので「Marken」通りにあったレストランでコーヒータイムをとる。奥の席にたまたまピースボートのアメリカ人英会話教師がいた。小さな街を訪れた1000人の乗客を実感した。



         商店街


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2006年ピースボート世界一周の旅22/ティリブリー(ロンドン)5

2008年05月20日 | 思い出の旅行
    ティリブリー/その5
5月20日(土) ロンドン自主行動
 6時にヨットクラブで朝食を食べティルブリータウン駅7時24分発の列車に乗るために駅に向かう。7時に往復切符を買い自主行動でロンドンに行く人達とホームで列車を待つ。風が冷たく建物の中に入って待っていたが到着時間になっても列車が来ない。イギリスの列車は遅れる事はあたりまえ、時に途中で運行中止になることさえあると事前説明会で聞いていたので納得して待つ。50分になって信号の故障で遅れているとの放送が流される。50分過ぎても列車は来ず、8時過ぎに列車の運行が中止されたと放送される。ホームで待っていたイギリス人はロンドン行きのバス乗場へ移動する。我々はロンドンにバスで行っても帰りがどうなるか見通しが立たないのでロンドン行きはあきらめ、ティルブリーの町中を散策することにした。駅前に郵便局、教会、レストラン、2軒の食料品店と住宅と幼稚園、小学校があるだけの小さな町、10分も歩けば元に戻ってしまう。
 時間が余ったのでレストランでコーヒーを飲んでスケッチをする。行く所が無いピースボートの乗客や休暇のクルーが入ってくる。若い店員は東洋人が押し寄せびっくりしている様子。
 スケッチを早々に済ませ席を譲る。余ったポンドを使うためにインド人がやっている食料品店でクッキー、リンゴ、即席ラーメン、飴、パスタ、ワインを買う。考える事は同じと見えピースボートの客が入ってくる。
 雨も降り出したのでシャトルバスに乗って帰船、ヨットクラブでゆっくり昼食を済ませる。イギリスの鉄道はあてにならないと言う注意がその通りになった。その代わりに小さなティルブリーの町を散策できたことで満足することにした。
 トパーズ号は3時ティリブリー港を出航する。


      ティリブリーの街の風景



          小学校


          幼稚園



          住宅街



         出航風景



          水門



       水門/水位を調整



        運河を進む



      運河からテムズ川に入る


     テムズ川を進む/工場が見える
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2006年ピースボート世界一周の旅21/ティリブリー(ロンドン)4

2008年05月20日 | 思い出の旅行
       ティリブリー/その4
料理が出てくるまで客を観察する。みそ汁付きの丼物を食べたり徳利と猪口で熱燗を独酌している白人客を見た時はここはロンドンだろうかと我が目を疑ってしまった。皆、箸を器用に使っている、箸を使うのはあたりまえになっているようだ。イタリアの百貨店の食器コーナーで箸が売られている事が納得できた。
 「わがままラーメン」は塩味でかまぼこ、厚揚げ、エビ、鶏肉、椎茸、シナチクが入っている。「焼きそば」はワカメ、ほうれん草、長ネギ、もやし、鶏肉、人参、揚げ、青菜、紅ショウガが入っている。互いに味見をしたが日本のラーメンでも焼きそばでもないと感じたが結構いける、イギリス人の好みに合わせた日本風の新しい食べ物と言った方が良いし、この日本風イギリス・ラーメンや丼が日本に入ってきても良いような気がした。
 寿司と同様、日本の食文化の国際化を目の前で見せつけられたようだった。こうでなければならないと言う伝統を守ることも大事だが発展させるためには色々な人間が関わって自由に発想しアレンジしていくことも大事な事と思われた。
 ビールとイギリス風日本食で元気を取り戻し、8時20分発の列車に乗り、無事帰船する。
 今日のロンドン訪問は改装中が多く不運に見舞われたがセントポール大聖堂での英国国教会のミサ参列やレストラン「wagamama」での不思議な体験ができたことで有意義なものとなった。


帰りの列車で乗員と一緒になる/彼らも外出を楽しむ
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