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Yacht BrisaⅡ 日記

北海道の田舎暮らしで家庭菜園とヨット「BrisaⅡ(Catalina28 Mk2)」を楽しむ爺のぐうたら日記

母が逝去しました

2021年12月08日 | 老々介護の日々
11月15日(月)に母が逝去しました。
行年九十七歳でした。
母が「サ高住・ルピナス館」に入居以来、ほぼ毎週日曜日には日用品や好物の果物を持って母を訪ねており、14日もいつもの通り施設を訪ねました。



新型コロナ感染の危険性が高いため、会えなかったり、ドアのガラス越しにマイク・スピーカーを経由して話をする日が続いていましたが、この日は「15分間だけ会えるから通用口から入館して下さい。」と係の方から云われ部屋に母を訪ねることが出来ました。
前日から母は呼吸が荒く、意識も無いような状態で会話は出来ませんでしたが、耳元で呼びかけると聞こえているような反応が僅かにしました。
あっという間の15分間でしたが、脳裏には母に死期が迫っていることを確信して部屋を後にしました。
翌日は午後に入浴の予定でしたが、朝方は心拍数も落ち着いて居たとのことで特別に午前中に「入浴」をしてくれたそうですが、昼には昏睡状態に陥り、連絡を受けて駆けつけたときには既に心臓や呼吸も止まり、瞳孔も開いているおり主治医から「死亡」が告げられました。
令和3年11月15日、午後1時9分のことでした。
大正13年6月18日、新潟県三島郡出雲崎町で生を受け、昭和23年3月31日に北海道浦河郡浦河町の父の元に嫁ぎ、呉服商を興し苦労努力して軌道に乗せ、2男1女をもうけました。
辛抱と努力の人だったと思います。
葬儀は自宅で家族葬を以て執り行いました。



みなさまには本当にお世話になり、有り難う御座いました。




要介護3

2020年11月01日 | 老々介護の日々
一昨日、母が入居しているサ高住のケアマネージャーさんから連絡があり、介護認定の見直しがあり母は「要介護2」から「要介護3」に変更になったとの事。
ご承知の通り、現制度下では要支援が2段階、要介護が5段階あり、該当度合いにより市町村・社会福祉協議会・医師等が協議して決定されます。
母は平成30年5月に町内にある「サ高住」に入居、その時の介護認定度は「2」でしたが、今回の見直しで1段階上がり、「要介護3」と認定されました。

「要介護3」とは、
中等度の介護が必要な状態です。
立ち上がりや歩行などが自力ではできないケースが多く、起床から就寝まで日常生活に全面的な介助が必要です。
状態や環境によっては在宅での生活が難しいため、要介護3から特別養護老人ホームへの入居が可能となります。
生活全般に介護が必要と認められたわけです。
支給限度額/月:27万480円

以前にベッドから滑り落ちて足や腰を打撲して以来、歩行に支障が出るようになりました。
失禁する事も多くなり、介護担当の方に面倒を掛けているようです。
差し入れしているバナナやミカン、菓子類についても一気に食べてしまい、3度の食事が食べられない事も在るそうですが、本人に問い質しても覚えがない様な返事しか帰ってきません。
食べた事を覚えていられないほどに「認知症」が進んできていると思います。
96歳という年齢を考えると、しょうが無いのかと思いますが、子供としては複雑な心境です。

今日も家内と共にドア・ガラス超しの面会に行ってきました。
いつも通り、大好きな「バナナ(3房/15本)」と「みかん(一袋/8個)」その他に飲み物8本(500ml)、菓子類(5種類)を一週間分の「おやつ」として届けてきましたが、介護の方に「管理」をお願いしてきました。
「管理」とは、口寂しい時の「おやつ」として、食べられる分だけを小口で渡して貰う事です。

プライドが高かった母も老いて、間違いなく「痴呆症」が進んできているのだと思います。
明日は我が身かも知れません。

母との面会

2020年09月20日 | 老々介護の日々
今年の今年の3月にサ高住・入所者への面会が禁止され、半年が経過しました。
それまでは毎週日曜日に夫婦で母を訪ね、部屋等の掃除をしたり足の浮腫をとるマッサージや化粧をしたりして一緒にお茶を飲み、近況を話す事を楽しみにしていましたが、「新型コロナ」が全国的にも蔓延し、緊急事態宣言が北海道にも出され、家族と云えども施設内に入ることが禁止されました。
そんな事から、毎週日曜日に日用品や菓子・飲み物等を届ける事は欠かさず行ってきましたが、面会は依然として許されずにおりました。
今年の6月からは、その規制も若干緩和され平日のみ管内に住む家族に限り、ラウンジで20分間だけ会えるようになりました。
7月からは北海道内在住の家族にも会えるように、更に緩和され今日に至っております。
しかしながら、共働きで日曜日以外に時間が取れない、私たちのような家族は依然として面会することが出来ないで居ましたが、このところ介護担当者の方が車椅子に乗った母を玄関まで連れてきてくれるようになり、漸く会えるようになりました。
会えると云っても、ドアのガラス越しで戸を開けて手を握ったりすることは出来ませんが、それでも母の表情からある程度健康状態を察する事が出来、感謝しています。
施設に入居したのが平成30年5月でしたから、2年4ヶ月が過ぎました。
入居した際はトラブルが絶えませんでしたが、この1年間は漸く落ち着いて、三度の食事も食べられるようになったようですし、お話しする友達も出来たようです。
入居当初、責任者の方から「此処での生活に慣れるまで1年位掛かる方も居ますよ」と聞いていたので、他の方より時間を要したかなぁと云った感じです。
しかし、何故、面会出来なくなったかとの理由については余り理解が出来ておらず、最初の頃は「家族に捨てられた」と云った感じだったと聞いていました。
今回は、大好きな「バナナ」と初物の「ミカン」、「秋物の長袖のセーター」を持って行ったところ、とても嬉しそうな表情をしていました。
ガラス越しの面会も僅かな時間なので、毎回、近況を綴った「手紙」を添えています。
目が悪いので文字を読むことは難しいかも知れないので、介護係の方に「手の空いた時に読んであげて下さい」とお願いして渡しています。
その手紙も既に24通になりました。
今年の6月に96歳になり、痴呆症も進んできているようです。
このところ失禁の回数も増えてきていると聞いており、徐々に機能の低下が進んでいるのを感じますが大きな病気をしないで元気に生涯を全う出来るように願っています。

物が無くなった?

2019年03月19日 | 老々介護の日々
「サ高住」に入居している母から、「物が無くなる」と云われ、室内を探したが見つけられない。
紛失物は「毛布」、「目覚まし時計」そして「爪切り2個」。

母の話では、最初に「爪切り」が、次に「目覚まし時計」、「毛布は」違う物が掛けられていて、よく判らないとの事。
一応スタッフの方に事情を伝えて様子を見る事にしたが、母は誰かが留守の間に持ち出したような感覚に囚われ、不安感を募らせ「此処は怖いから、自宅に帰りたい」と言い出す始末。
何とかその場を納めて帰ってきた。

翌週、新しい「目覚まし時計」を持って訪ねると、無くなった「目覚まし時計」が戻っていた。
また、「毛布」もスタッフの方が「これではないか?」とビニール袋に入った物を持って確認に来てくれた。
「目覚まし時計」は窓のカーテンの裏にあったとの事、私たちは探し得無かったが、スタッフの方が見つけてくれたらしい。
既に白い名入りテープが貼られ、所有者が判るようになっていました。
一方、「毛布」のタグには違う方の名前が書かれており、クリーニングの際に間違ったようです。

それにしても、母のところへ届ける際にクリーニングに出してキレイにしておいたのに、1週間で再度クリーニングしなければならなくなったとは、少々理解に苦しみます。
施設側からは「毛布」を再クリーニングし、ネームを訂正してから戻すと謝罪がありました。

その他にも他の入居者が勝手に母の部屋に入室し、置いてある「お菓子」や「果物」を無断で食べてしまったり、持っていてしまう事もあるので、今回は外室時、ドアに施錠が出来るように「鍵」を戴ける事となりました。
これで母も多少安心したようで、戴いた「部屋の鍵」を首からかけ、肌身離さないようにしている様です。
「爪切り」は別な物を使って貰うようにしました。

母がアルツハイマー型認知症だと診断され、幻聴・幻覚・虚言癖等、色んな事に遭遇し、都度、関係書籍を貪るように読んで何とか理解を深めようとしてきましたが、認知症には色んな症状があるようで、更には「発達障害」があったりすると何が起きても不思議ではないことが理解できます。
前頭葉型認知症では「ピック病」が発症し人格まで変わってしまうこともあるそうですし、発達障害により「プレクトマニア(盗癖)」が自制できなくなる人も居ると聞きます。

願わくば、老後は被害や加害を受けたり与えたりする事なく、いつも穏やかに暮らせたら幸せですよね。

私たちの老後は「すみっこくらし」が理想かな

初冬になってしまいました。

2018年11月17日 | 老々介護の日々
暫くご無沙汰し、申し訳ありませんでした。
前回のアップが4月でしたので、約半年以上もサボっていました。

5月に母が地元にある「サ高住」に入居、主治医が変わった事もあり再診察と投薬の見直しをした結果、今まで服用していた「アリセプトd錠(5mg)」を「メマリー錠」に替えることにして以来、今まで攻撃的だった言動や行動も消え、穏やかになって落ち着いた生活が出来るようになってきました。

認知症と診断された当初は脳の萎縮が認められ、記憶障害も認められた事から「イクセロン・パッチ(4.5mg)」を処方され、その段階を9mg、13.5mg、18mgと上げていきましたが、貼付部を変えても皮膚が赤く負けるようになつたため、「アリセプトd錠(5mg)」に、更には漢方の「抑肝散」を追加処方され暫く服用していましたが、攻撃的な言動・行動に加え幻聴・幻想も激しくなり家の内外に「塩」を撒き散らす始末。
食事は台所で立ったまま釜から直接食べたり、菓子類だけで済ませたり、更には水分摂取が極端に少なくなり脱水で救急外来にお世話になるなど日常生活を円滑に行えないような日々が散見され、困り果てていました。
社会福祉協議会のケアマネージャーさんに相談、月一程度で訪問して貰い様子を見守ってきましたが、改善するどころか益々悪化しているようになった事から自宅での介護が難しくなり、町立の「介護予防センター」へ入居して様子を看る事を勧められました。
家内と共に「介護予防センター」を訪ね、施設の見学と対応について伺って参りましたが、此処では最長入居期間が11ヶ月間、それを過ぎたら他の施設に移転を余儀なくされるため、看取りまで出来る施設を探す事にし、新しくできた「サ高住」の看護師さんに相談したところ、空きがあるとの事、早速、見学させて戴き環境・施設が良い事から直ぐに入居申込をして参りました。
入居先は確保したものの、入居するまでは本当に大変。
毎日のように「親を姥捨山に捨てるのか」とか「絶対に行かない、この親不孝者」など、大荒れ状態。
体調の良いときに何度も話し合い納得して同意しても、翌日には白紙、賽の河原状態の繰り返しで、入居するまで約2ヶ月間も掛かってしまいました。
半ば、強制的に車に乗せて施設まで行きましたが、車中も大暴れするような暴言の繰り返しでしたが、到着すると少し諦めたのか大人しくなりました。
母が入居してから、数日間は忘れ物があったりして、私か家内が連日施設に行ってましたが口を開くと「何時帰れるか」とか「早く帰りたい」等と同じ話の繰り返し、ある時、母から電話があり「話しておきたい事があるから来て欲しい」との事、何事かと思い職場に断って出かけていきましたところ、いきなり「迎えに来てくれたのかい、有り難う」と帰宅しようとする始末、持っていった荷物も段ボール箱に詰めて既に支度を終えていました。
私に嘘をついて呼び出し、帰宅しようと企てたようです。
「話があるというので来たわけで、退所するために迎えに来たわけではない」と振り切り後を振り返らずに帰ってきました。
その後施設の看護師の方から連絡があり、「担当医と相談した結果言動や行動がおかしく、副作用の影響も考えられるので投薬を変えてみます」との事、提案に同意すると「薬を変えて安定するまで2ヶ月くらいを要するかも知れないので、それまでの間は面会を控えて欲しい」と助言されたので同意しました。
それから2ヶ月後、恐る恐る訪ねていくと、まるで人が変わったように落ち着いて柔和になった母がそこに居ました。
それからは、幻聴・幻覚もなくなり、下痢・脱水も収まり何処にでも居る「痴呆老人」になっています。
相変わらず「家に帰りたい」とは云いますが、体調もよく食欲も順調そうです。
来年は95歳、母を見ていると長寿は幸せなのか否か、判らなくなります。
よく尽くしてくれる家内に感謝です。

アルツハイマー型認知症

2017年03月15日 | 老々介護の日々
母が「アルツハイマー型認知症」との診断され、「イクセロン・パツチ」の投薬を受け13.5mgまできたが、「かぶれ」が辛いと云うようになってきたので、主治医と相談の上、「アリセプトD錠」と云うのみ薬に切り替えて貰いました。
この薬は脳の働きを改善し、認知症症状の進行を抑えるらしく、3・5・10mgの3種があり段階的に単位を上げて行くとの事。
既に中間の5mgの投与を受けて久しいが、効果が余りないような感じがしたので、主治医にその旨を申し出たら、単位を上げるか若しくは「アリセプトD錠」と一緒に服用できる「メマリー」と云う錠剤があるが、副作用として「幻聴・幻覚」が出る恐れがあり、家族で相談してくれと云われました。
母は既に数年前から「幻聴・幻覚」の症状が見受けられたので、これ以上悪化したら面倒が見きれないとの結論から、投薬は現状維持にしました。
家内も病院では「療養病棟」に勤務しており、「認知症」の患者と日々接していることから、私も私なりに調べようと思い、ネット検索していると「水をたくさん飲めば。ボケは寄りつかない」と云う新書を見つけました。



この本は国際医療福祉大学大学院の教授である「竹内孝仁」さんが書いたもので講談社から発刊されています。
この著書の中で竹内教授は「1日1500ccの水を飲むこと、これが何より、認知症の予防と治療になる」と述べられています。
「せん妄や不眠など、夜に活発になる症状の原因は、ほとんど脱水によるものだ」とも述べられています。
そういえば、2月に体調を崩して救急外来で治療を受けた際も、担当医は検査の結果「脱水症状」だと診断されました。
それから毎日1500ccの水を飲んで貰おうと、いろんな方法を試みていますが、老人(93歳)にこの量の水を飲ませることは容易なことではありません。
油断していると、日中、水を飲まなく、夜になって軽い脱水症状に陥り、具合が悪いと訴えてきます。
夜間は「OS-1」のゼリータイプを与えると、症状が改善してきます。

毎日がこの様な事の繰り返しで、出掛けることもままなりません。

「しら爺」は家内の応援を受け、老体にむち打って毎日戦っているのです。