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しげさんの栗林公園ガイドブログ

香川県 高松市にある
特別名勝 栗林公園ガイドに関するブログです。
香川SGGの活動と合わせて記録しています。

エドワード8世 <イギリスの王室>

2010-06-07 23:47:36 | 
 松の木を植えた人

 商工奨励館の先に、お手植松があります。

 ご来園請けたわまった時のお手植えの松。



 向かって右から、
   秩父宮殿下、(大正3年) 1914年 3月21日
   高松宮殿下、(大正3年) 
   エドワード・アルバード王太子殿下(大正11年)1922年 5月6日
   良子女王殿下 (大正12年) 1923年5月10日
   北白川大殿下 (大正14年) 1925年12月7日
                              と、あります。

 ここで、疑問、
   なぜ、エドワード・アルバード王太子殿下なのか?

    *エリザベス2世(イギリスの国王)のおじにあたり、
     エドワード8世として、イギリス国王に就任しましたが、
     恋する女性のために、国王の地位をわずか1ヶ月足らずで
     退き、「王冠を捨てた恋」として、有名

   「王冠を捨てた恋」とは?
   なぜ、日本に来られたのか? ギモン
 
  エドワード8世って、どんな方?

  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

 エリザベス8世

 どうも、実り難い、恋だけども、がんばったようですね。

 じゃなぜ、日本に来られたのか?

 ~日本へは、1922年に昭和天皇(皇太子時代)の訪欧の返礼として訪問し、
  4月18日にイギリスの王族としては初めて靖国神社に参拝したほか、
  5月5日には大阪電気軌道(現近鉄奈良線)の奈良駅〜上本町駅間の電車に乗車した。~

 と、いうことは、大阪に行かれたあと、高松に来られた日程になります。
                           (28歳の時?)

 エピソードの多い人。印象大きい。

松平頼重 生い立ち

2010-06-06 20:00:55 | 
 松平 頼重(まつだいら よりしげ)
        出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』2010/06/06 

  江戸時代前期の大名。常陸下館藩主、讃岐高松藩初代藩主。
   生誕 元和8年7月1日(1622年8月7日)
   死没 元禄8年4月12日(1695年5月24日)
   父母 父:徳川頼房、母:谷重則の娘
   子 徳川綱方(長男)、
     徳川綱條(次男) →→水戸藩主へ
     松平頼剛(三男)、
     松平頼侯(四男)、
     松平頼芳(五男)、
     糸(有馬頼利正室)、
     長(鷹司兼熙室)、
     彦(松平頼常養女、大久保公卓室)
     養嗣子:松平頼常、→ →2代藩主(徳川光圀の子) 
     養女:(細川綱利室)
   
 徳川家康 男子

  男子
   長男・松平信康(母:築山殿)
   次男・結城秀康(母:小督局)
   三男・徳川秀忠(母:西郷局)
   四男・松平忠吉(母:西郷局)
   五男・武田信吉(母:お津摩)
   六男・松平忠輝(母:茶阿局)
   七男・松平松千代(母:茶阿局)
   八男・平岩仙千代(母:お亀)
   九男・徳川義直(母:お亀)
   十男・徳川頼宣(母:お万) 松平頼重、
                  兄弟 徳川光圀、松平頼元、松平頼隆、松平頼雄
   十一男・徳川頼房(母:お万)

  そもそも頼重懐妊時には、頼房より堕胎するよう命じられたのを、
  英勝院に相談の上生み隠して江戸で育てており、
  光圀懐妊時には、その事実が発覚しないよう、
  滋野井大納言に預けられ京都で養育される。
  その間天龍寺慈済院の洞叔寿仙に学問を学ぶ。
  その後1632年に、水戸からの招きで藩邸に入るも1637年まで、
  父頼房にお目見えできなかった。
  翌1638年に右京大夫を名乗り将軍拝謁をし、
  翌年常陸下館5万石を得、その後生駒騒動で改易となり天領となった、
  讃岐高松に12万石で入封される。

  将軍名代として、
   後水尾上皇に拝謁したり、
   交通の要所の讃岐を与えられるなど、庶長子とされていても、
   長男に相応しい待遇を得る。
   後に実子の徳川綱方、徳川綱條が光圀の養子となり、
   水戸藩家督は綱條が継ぐ。
   一方、頼重は光圀の実子・松平頼常を養子に迎え、高松藩を継がせた。
   延宝元年(1673年)、養子の頼常に家督を譲って隠居。
   元禄8年(1695年)に没した。

 いや~。すごい。ネットでこういうことが調べられることと。
 子沢山の様子がすごい。


高松藩主の歴史 人

2010-06-05 20:28:47 | 
 生駒家
     ① 1587-1600 生駒親正
     ② 1600-1610 生駒一正
     ③ 1610-1621 生駒正俊
     ④ 1621-1640 生駒高俊
    
       生駒騒動 お家騒動
 松平家
     ① 1642-1673 松平頼重
     ② 1673-1704 松平頼常
     ③ 1704-1735 松平頼豊
     ④ 1735-1739 松平頼桓
     ⑤ 1739-1771 松平頼恭
     ⑥ 1771-1780 松平頼真
     ⑦ 1780-1792 松平頼起
     ⑧ 1792-1821 松平頼儀
     ⑨ 1821-1842 松平頼恕
     ⑩ 1842-1861 松平頼胤
     ⑪ 1861-1871 松平頼聰
     廃藩置県