リコの文芸サロン

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男の哀しみ

2021-05-26 | 奇貨譚

①『わたしの愛する仏たち』の著者、紀野一義先生(1922~2013年12月28日)の略歴
大正11年山口県萩市の妙蓮寺の子息として生まれる。4 歳の時に広島市の本照寺に移る。昭和20年、22歳で学徒出陣中に広島への原爆投下により両親、姉妹を亡くす。
東京大学卒業。宝仙学園短期大学学長。著書100 冊以上。
12月28日は紀野先生の命日です。平成25 年、享年91でした。

 

紀野一義先生の『わたしの愛する仏たち』写真:入江泰吉
(1979年6月第1刷発行)

京都7、奈良8、飛鳥3か所お寺の佛さまを入江泰吉先生の写真と紀野一義先生の名解説の本です。
この本は絶版になっていると思います。

リコは英語版が出版されるのを待ち望んでいます。

写真は「大悲の如意輪」と題された、中宮寺如意輪観音です。
紀野先生は「母を思う時、如意輪観音をすぐに思う。如意輪観音を思う時、私の情念は浄められ、深められ、限りなく人を愛さずにはいられなくなるのである。」と書いてみえます。




 本の表紙裏の先生のサインです。

リコのブログの一番人気の興福寺阿修羅です。



上の写真は「男の悲しみ」と題された、興福寺阿修羅です。この本の中で先生は、「この像の眼ははるかあなたをじっと見守っている。私はこの顔を見ると、いつも、カール・ブッセの詩を思い出してしまうのだ。」

 山のあなた
  山のあなたの空遠く
  「幸」住むと人のいう
 
 噫、われひとと尋めゆきて
  涙さしぐみ かえりきぬ
  
山のあなたになお遠く
  「幸」住むと人のいう

平成30年5月27日に高野山・三宝院で紀野先生の法要がなされました。



師の教へ「凛と生きる」を座右とし三十七年の師弟の縁  涼風

歳晩の一周忌にと師の君にご朱印帳を供へ奉れり








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2 コメント

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Unknown (ちわき)
2020-06-12 09:12:38
リコさん、お早うございます。
〈『わたしの愛する仏たち』の著者、
紀野一義先生(1922~2013年12月28日)の略歴
大正11年山口県萩市の妙蓮寺の子息として生まれる。4 歳の時に広島市の本照寺に移る。…〉
この本も紀野一義先生も知りませんでしたが、エエッとここで目が止まりました。
広島市の〝本照寺〟…住所がないけど、わがk家の菩提寺です。他になければ同じ寺かと…ことある毎に本照寺には行きますし、お盆には宇部まで来て貰います。
先代かその前かが俳句をしていて、虚子を迎えて句会を本堂で開いたことがあると…
その時の句碑があったので解ったのです。私が始める前から義父も俳句をしていました。
不思議な縁で…ちょっとびっくりしました。
紀野先生は、4歳といえばどういう関係でここに来られたのでしょうね。
萩にいらっしゃれば、両親、姉妹とも亡くされずにすんだでしょうに…運命でしょうか? 合掌
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Unknown (risukurumi48)
2020-06-12 09:25:37
ちわきさん本当に不思議なご縁ですね
本照寺は今もあるのですか 顕本法華宗ですよね 先生のお祖父さんが管長さんだつたそうですが 当時は原爆で焼失したようです 先生は戦争から戻られたら東京で住んでみえました。
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