小澤 實・著『芭蕉の風景』上巻・下巻
下巻、第5章 おくのほそ道、
27頁 1689年4月3日の頃、2週間もこの地に滞在してる。
黒羽(黒羽・くろばね、栃木県大田原市)
30頁 「木啄も庵はやぶらず夏木立」きつつきもいおはやぶらずなつこだち
元禄二(1689年)旧暦4月5日に郊外の臨済宗の禅寺、雲巌寺に参拝した。
雲巌寺は芭蕉(1644-94年)の参禅の師の仏頂和尚がしばし滞在した寺で、師の修行の跡を訪ねたかったのだろう。
吉永小百合がモデルのポスターで人気の観光寺と成りました。
写真用のピンクの傘も置いてありました。
境内の句碑
36頁 4月18日 殺生石
「石の香や夏草赤く露あつし」 いしのかやなつくさあかくつゆあつし
賽の河原
突き当りが殺生石
昔、中国やインドで悪行を尽くした九尾の狐が日本に来て、帝を病にさせた。
この狐を陰陽師が退治し、逃げた狐が石になったと伝えられています。
今でも硫黄の匂いがして、風向きによっては、鳥や狐などの動物が死んだりします。
39頁 4月20日 遊行柳
「田一枚植えて立去る柳かな」 たいちまいうえてたちさるやなぎかな
田んぼの真ん中に在ります。
当時の柳らしいです(子孫?)
66頁 平泉 毛越寺(もうつうじ)
「夏草や兵どもが夢の跡」 なつくさやつわものどもがゆめのあと
当時の伽藍復元図。
69頁 中尊寺
「五月雨の降りのこしてや光堂」さみだれのふりのこしてやひかりどう
中尊寺本堂に向かう坂の麓に建っています。弁慶の供養塔(お墓とも)
西行の歌碑は坂の中程に在ります。
西行(1118-90年)の歌碑
西行(1118-90年)の歌碑
中尊寺、光堂
芭蕉の句碑
「五月雨の降りのこしてや光堂」さみだれのふりのこしてやひかりどう
山頂のレストランの昼食です。