昭和三十年五月一日発行 定価百三十円 文・宇野浩二
これは戦後版ですが初版は1938年に出ています。画家は本田庄太郎。『コドモノクニ』でもっとも登場した画家とあります(Wikipedia)。でも、この戦後版には画家の名前が二人出ています。本田と宮尾しげお。前半と後半の場面は宮尾で、真ん中が本田の絵です。圧倒的に本田の絵が優れています。この事情は推察になるのですが、戦後版の段階で原画の多くが紛失していたのではないでしょうか。本田に依頼したくてもすでに故人であり、宮尾にということになったのでしょう。
宇野浩二の文章はいただけません。読者である子どもの顔がまったく見えてこない文体です。それに文量(分量でしょうか)が絵本の器をこえています。いまでもときどき絵本という器(湯飲み茶碗?)に、丼飯を盛られる方がおられますが……。誰かって? それはいえませんよ、ああた。
瓢箪からの煙?の輪郭線は子どものいたずら描きです。「講談社の絵本」の天が切れていますが、裁断ミスのまま書店に並んでいたのでしょう。
本田庄太郎(ほんだしょうたろう、(1893年1月30日 - 1939年10月10日)は童画画家。静岡県浜松市に生まれた。小学校卒業後、17歳で上京。太平洋画会研究所(現在の「太平洋美術会」)で絵の技術、デザインを学ぶ。1913年頃から児童雑誌の挿絵を描く仕事を始める。日本童画家協会に入らなかったが、児童雑誌「コドモノクニ」では最も掲載回数が多い作家であり人気画家の一人であった。こがね丸」(講談社 1938年)「孫悟空」(講談社 1938年)
宮尾 しげを(みやお しげお、1902年(明治35年)7月24日 - 1982年(昭和57年)10月2日)は、日本の漫画家、江戸風俗研究家。 東京出身。本名は重男。岡本一平に師事し、1922年「東京毎夕新聞」に子供向け物語漫画「漫画太郎」を連載してデビュー。代表作は「団子串助漫遊記」。戦時中より江戸の庶民文化を研究、戦後はこれに専念した。
昨日はとんぼ返りで南の方へ。じいさまにはこたえたんでしょう。目が覚めたら10時間、眠っていました。あらら。
本日は台風接近中。帰宅の電車が心配な青梅線。ひねもす自宅に軟禁されています。もちろん鍵は南京錠でございます。
岩崎書店 1300円+税 本日発売
少年は歩く。あの道ではなく、この道を。故郷へ続く道を。おばあちゃんちへ続く、いちばんすきなこの道を。
『おばけのきもだめし』 内田麟太郎(うちだりんたろう) 文、山本孝 ... 西日本新聞
「このみち」♪あ~あそうだよ~おかあさあまと……♪思わず歌が出ました。早めにお帰りください。台風が待ってますよ。
今日は自宅です。ご安心下さい。
白秋の「この道」は母の里、南関へ続く道かとと思い込んでいましたが、
♪ああ 白い時計台だよ
は札幌のあの時計なんだそうですね。南関がいいなァ。わたしは母恋歌として歌っていたのでございますよ。
入門期の教科書は、絵ばかりで文字は一つもありません。それでも、子どもはお話しするんですよね。
文字がないと絵詞作家のわたしは失業するのですけど。文字のないページの絵本を作れたときが一番嬉しいです。
「みさき」「はくちょう」「うみべのいす」「ぽっかりつきがでましたら」など。その見開きが一番言葉を書いたような気がします。一文字もないのに。
いつか一度でいいから文字のない絵本をこしらえたく思っています。一度でいいんです。
あとはここちよい響きの言葉で。あこがれて、あこがれて、歩いて行きましょう。 いつもありがとうございます。体調はまだ大丈夫のようです。ご安心下さい。