http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/kyoukasyo/sub-book27.htm
第二十六 幕府政治の弛張 諸藩の治
吉宗は紀伊藩主光貞の第三子にして天性英敏謹厳なり。若くして支藩の主となりて具に辛苦を嘗め、やがて本家を嗣ぎて大いに治績を擧げたりしが、今や壮齢を以て將軍職に就き、決然文弱の弊を革めて幕初の舊態に復せんとし、しかも能く時勢の進運に合致するに努めたり。當時昇平年既に久しくして武を用ふるの時なく、士人おのづから懦弱に流れたれば、吉宗いたくこれを慨き、騎・射・剣・槍・柔術・水泳などの修練をすゝめ、またしばしば鷹狩・鹿狩を催し、みづから率先して武技を講じ、大いに士氣の振作をはかれり。これより尚武の風再び興りしが、文事の奨勵もまたこれと竝びて盛なり。吉宗夙に學を好み經史に通じ、學問の振興を怠らず、
しかも力めて空理を避けて専ら實用の學に就かしむ。すなはち
白石を斥けて
室鳩巣を用ひ、
六諭衍義を和解せしめ、
これを刊行して廣く
寺子屋の教科にあてしめ、また
湯島聖堂の講義は陪臣・町人に至るまでこれを聴講せしめたり。しかして吉宗の豪放なる、文武共に開放主義を執りて必ずしも祖法の傳統に拘泥せず、蘭船に託してペルシャ馬を求め、蘭人を聘して西洋の馬術を旗本・諸士に授けしめ、また天文・暦數・醫術などが蘭學の精緻なるに負ふところ多く、大いに實用に有益なるを感じ、始めて洋書輸入の禁を弛め、宗教に關せざる書籍の舶載購読を許したり。實に寛永の禁書以後百餘年にして、こゝに始めて蘭書の講習は許され、他日洋學發達の端を開きぬ。然るに前代以来財政の紊亂はいよいよ府庫の空耗を来し、一時家臣の俸禄の給與にさへ不足するの様なれば、吉宗はみづから綿服を着け、蔬菜を賄ひ、
また中門・沈香亭など華麗なる殿舎を毀たしめて、以て質素倹約の範を示し、大名には一時参勤の制を緩めて、上納米を課して府庫の充實をはかり、しばしば節倹の令を下して、士庶の衣服・調度より玩具に至るまで、金銀縫箔の類を禁止し、専ら華奢の風を抑へて質素の俗に復するに力めたり。また吉宗は一面大いに殖産興業を奨勵して、國利民福をはかりしところ多し。すなはち朝鮮人蓼を移植せしめてその高價を制し、甘蔗を栽培せしめて砂糖の製法を究めしめ、あるひは甘藷の繁殖をはかり、あるひは櫨・竹などの培養をすゝめて實用に供せしめたり。なほ廣く諸國に検地を行ひて田制を正し、水利開墾の業をすゝめたれば、山野薮澤、所在美田と化して、
米穀の産額いちじるしく増加し、連年餘ありし程なりければ、時人吉宗を綽名して米將軍と呼ぶに至れり。諸藩もこれにならひ、産業の興隆をはかりしより、諸國の土宜名産はたいていこの頃より興り、薩摩の煙草、土佐の鰹節、阿波の藍、四國・中國の食塩、紀州の蜜柑、甲州の葡萄、東北地方の蠶業など、今にその記念を残すもの少からず。
http://homepage1.nifty.com/keimurata/mm/b/14/03bumon_q.htm
様HPより一部抜粋
<江戸時代の学問・思想>
1 加賀藩主前田綱紀に仕えた儒学者は誰か。
2 1の弟子で、正徳の政治を推進したのは誰か。
3 1の弟子で、徳川吉宗に仕え、
『六諭衍義大意』を著わしたのは誰か。
4 山崎闇斎が提唱した神道思想を何というか。
5 岡山藩主池田光政に仕えた儒学者は誰か。
6 伊藤仁斎が開いた私塾を何というか。
7 古文辞学派の祖は誰か。
8 7の弟子で、『経済録』を著わしたのは誰か。
9 徳川光圀の命で『万葉代匠記』を著わしたのは誰か。
10 国学を大成させた人物は誰か。
11 10.死後の門人で、復古神道を大成させたのは誰か。
12 『群書類従』の編集者は誰か。
13 徳川吉宗の命で、蘭学を研究したのは誰と誰か。
14 ドイツ語医書のオランダ語訳を翻訳したものを何というか。
15 大黒屋光太夫の供述を元に『北槎聞略』を著わしたのは誰か。
16 貞享暦を作成したのは誰か。
17 寒暖計やエレキテル(摩擦起電器)を考案したのは誰か。
18 伊能忠敬が作製した地図を何というか。
19 『農具便利論』『広益国産考』の著者は誰か。
20 加賀藩主前田綱紀に仕え、『庶物類纂』を著わした本草学者は誰か。
21 『日本誌』を著わしたのは誰か。
<江戸時代の学問・思想>
<解答はここをクリック>
1 木下順庵
2 新井白石
3 室鳩巣
4 垂加神道
5 熊沢蕃山
6 古義堂
7 荻生徂徠
8 太宰春台
9 契沖
10 本居宣長
11 平田篤胤
12 塙保己一
13 野呂元丈と青木昆陽
14 『解体新書』
15 桂川甫周
16 渋川春海(安井算哲)
17 平賀源内
18 『大日本沿海輿地全図』
19 大蔵永常
20 稲生若水
21 ケンペル
http://www.nihontosho.co.jp/isbn/ISBN4-8205-0095-3.htm
日本教育思想大系 13
林羅山・室鳩巣
● 林 羅山 /室 鳩巣 著
● 定価(本体価格)10000円
● A5版
● 840頁
● 1979年
★ ISBN4-8205-0095-3
林羅山は惺窩門下にして林家の初祖。
理気合一説をとる。
春鑑抄 三徳抄 排耶蘇 他
室鳩巣は純粋朱子学を奉じたが、
子弟に人材を得ず衰退。
六諭衍義大意 駿台雑話献可録
五常名義 五倫名義
http://www.ll.chiba-u.ac.jp/culb/61/4.html
<資料紹介>
「四 庫 全 書」
様HPより一部抜粋
かって私たちの先人にとって、海を渡り日本へと招来された漢籍は非常に貴重なものでした。
それは
古く遣隋使、遣唐使の時代のみに止まりません。
例えば近きにおいては明治期を代表する思想家
福澤諭吉の名が、
漢学者であったその父の長年渇望していた漢籍
『六諭衍義』
の
書名に由来することも知られています。
六諭衍義
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2005/10/post_a944.html
極東ブログ様HPより一部抜粋
孝順父母
尊敬長上
和睦郷里
教訓子孫
各安生理
毋作非為
国語辞書との一致 (1~1件目 / 1件) 検索辞書:大辞泉 提供:JapanKnowledge
なかれ【勿れ・莫れ・毋れ】
《形容詞「なし」の命令形》禁止の意を表す。してはいけない。するな。「驚く―」「待つこと―」
なかれ21 【▼勿れ・▼莫れ・▼毋れ】
「なかれ」を大辞泉でも検索する
〔補説〕 文語形容詞「なし」の命令形
禁止の意を表す。…してはいけない。
[1] 動詞に直接付く。
・ 汝(なんじ)盗む―
[2] 名詞「こと」に付く。
・ 君死にたまふこと―〔出典: 恋衣(晶子)〕
・ 老来りて初めて道を行ぜんと待つこと―〔出典: 徒然 49〕
[ 大辞林 提供:三省堂 ]
http://miyahira.ti-da.net/e478088.html
2005年08月26日
第54回-「六諭衍義」の現代的解釈-
様HPより一部抜粋
「孝順父母(ふぼこうじゅんなれ)」とは「いたわりあう親子関係を築くこころ」。
「尊敬長上(ちょうじょうをそんけいせよ)」とは「互いの良さを尊敬しあうこころ」。
「和睦郷里(きょうりはわぼくせよ)」とは「ふるさとの自然や人を愛しなかよく助け合うこころ」。
「教訓子孫(しそんをきょういくせよ)」とは「教育を大切にするこころ」。
「各安生理(おのおのせいりにやすんぜよ)」とは「自分のやるべきことを成し遂げるこころ」。
「毋作非為(ひいをなすなかれ)」とは「善いおこないをするこころ」
http://www.netlaputa.ne.jp/~kitsch/siryou/edo/dic/ed-dic.htm
史料リスト・江戸時代-学術書-
様HPより一部抜粋
辞典、学術関係
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六諭衍義大意 范 1722年(享保7)/教育書。
元は
明の太祖朱元璋が民衆教化のために作った心得6ヶ条で、
順治帝がこれを基に六諭臥碑文を作成して全国に広め、
さらに
范 がこの6ヶ条の解説書としてまとめたのが
「六諭衍義」である。
これを琉球王国へ程順則が持ち帰って出版し、教育書として使った。
その後
徳川吉宗の命で島津吉貴が清国の仕置法を琉球に求め、その返答として本書が幕府に献上され、
教育書として
荻生徂徠が訓点を、
室鳩巣が要訳を
命ぜられてまとめられたのが
「六諭衍義大意」である。
主に
庶民の教科書として使われた。
http://rca.open.ed.jp/city-2001/person/03tei/03tei_4.html
『六諭衍義』は中国に昔からある
道とくの本。
やさしい言葉で書かれていて、中国語を学ぶためにもいいと考えた順則は、自分のお金をはたいて印刷して持ち帰った。
その後、
この
『六諭衍義』は
将軍吉宗(しょうぐんよしむね)の手にわたり、
寺子屋の教科書として日本国中に広まった。
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