『みんなのお寺』 ブッダによる幸せの種がまかれた園

宗派を超え、国境を超え、時を超えて、仏教・ブッダの教えの真理に触れる事の出来る幸せの精舎を目指す『お寺』です

ヒロさんのお母さんが幸せになりますように

2008年01月06日 | 悩み事・質問


高橋様へ
私のコメントにお答え頂き 有難うございます。
私は広島でいわゆる安芸門徒と呼ばれている浄土真宗の家柄に生まれ育ちました。母親も熱心な信者でした。
元来 人を疑わず 素直な性格から
死後はお浄土に参らせて頂けることを信じて喜んでいました。
ところが 近年認知症になり、以後は言う事が全く異なっています。 《人は死ねばただ灰になるだけ 極楽も地獄も有りはしない》 と いった具合です。
確かに、 死後の世界については 根拠のない事ですが
誰しも 死に直面すれば 心の拠り所を求めたくなるのが人情でしょう。
せっかく信心を頂き 喜んでいても 脳障害者になれば広大無限といわれている仏の力も及ばないものかと思うと・・・
年老いた母が とてもふびんです。
仏教の教えの中では
どのように説いておられるのでしょうか?

認知症になるのも その人が持って生まれた業というもの
 逃れる事ができない、 それほど罪深い人間だったというのでしょうか? あの優しい母がそれだというのなら 私などはとてもとても 浄土に行けることは叶わない身です。

いくらボケ老人となっても 死は怖いものだと思うのですが・・





ヒロさん、
世の中の真理は『無常・苦・無我』です
この世に存在させていただいている以上、誰の身にも悲嘆な状況が襲ってくる可能性は無きにしもあらずです
水は下へ、下へと流れおちてゆきます
もし水が上へ上へと流れていく事があれば、あなたが今感じている悩みを解決する方法があるでしょう
しかしあるがままの現実の苦しみを転じ消し去って安楽にする方法をブッダは教えてくれていません
『無常・苦・無我』というこの世の絶対的な当たり前の真理を、一般世間は『常・楽・我』という無意識的な認識から超える事は出来ません
この世に対する認識力の根底をくつがえす『覚り』を体得しない限り、苦しみは減っていかないでしょう
細かい仏教・浄土真宗の教義ばかりを逐一述べていってもあなたの問題は解決しないことは分かっています
あなたの苦しみを除き去る方法は一つ
あなたが今の苦しみを諦(あきら)めそれを受け入れる事です
それが覚る(諦める)という事かと思います

私にも母はいます
幼いころは絶対的で永遠に母親であり続けてくれる当たり前の存在だと思っていました
しかし最近母も年をとり、白髪になり、しわも増え、肉も垂れ下がり老人への道をまっしぐらです
私が幼いころに抱いていた絶対的な、たくましさは消えています
まさに無常の悲しさです
仏教を学んだ私には、母が命のはかなさ・虚しさの内にこの世の無常に沿って死にゆく未来も容易に想像できます
しかし、だからこそ、今は母に心から優しくできるのです
無常を学ぶ以前には思ってもみなかったいたわりの心で母に尽くすことができるのです

こんな心を込めて伝える事が出来ない、コンピュータの画面上ではヒロさんにブッダの心を『以心伝心』することはできません
けれども
あなたの命が生かされ続けているこの世の瞬間瞬間で無常を感じ続けられてはいかがでしょうか
あらゆる命と触れ合う瞬間瞬間
全ての命があなたに無常の生き方を伝えくれ続けているはずだと
わたくしは思います
雑草であろうと
花であろうと
小さな虫であろうと
食卓にのぼる魚や鶏や豚や牛であろうと
目覚まし時計の代わりにさえずってくれる鳥たちであろうと
あなたを喜ばす人たちであろうと
あなたを悩ます人たちであろうと

極楽も地獄も
別の世界が死後にあるわけではありません
この世で生きる喜びを、熱心な仏教徒なら感じたはず
人を疑わず、素直な性格で、優しいお方なら
多くの人々、生き物に、善き行いをしたはずです
死後は心配ありません
あなたがお母さんから受けた善行(功徳)を
ただただ感謝の気持ちで返してあげれば
あなたのお母さんの幸せは続いていくでしょう

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