『みんなのお寺』 ブッダによる幸せの種がまかれた園

宗派を超え、国境を超え、時を超えて、仏教・ブッダの教えの真理に触れる事の出来る幸せの精舎を目指す『お寺』です

『慈しみ』 スッタニパータ 143-152

2009年09月09日 | お経の紹介『スッタニパータ』
究極の理想に通じた人がこの平安の境地に達してなすべきことは次のとおりである

能力あり、なおく、正しく、言葉やさしく、柔和で、思い上がることのない者であらねばならぬ

足ることを知り、わずかの食物で暮らし、雑務少なく、諸々の感官が静まり、聡明で、高ぶることなく、諸々の人の家で貪ることがない

他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、決してしてはならない

一切の生きとし生ける者どもは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ


いかなる生物生類であっても、

怯えているものでも、強剛なものでも、

ことごとく、長いものでも、大きなものでも、

中くらいなものでも、短いものでも、

微細なもの、粗大なものでも、

目に見えるものでも、見えないものでも、

遠くに住むものでも、近くに住むものでも、

すでに生まれたものでも、これから生まれようとするものでも

一切の生きとし生けるものは幸せであれ


何人も他人を欺いてはならない

たといどこにあっても他人を軽んじてはならない

悩まそうとして、怒りの思いを抱いて、たがいに他人に苦痛を与えることを望んではならない

あたかも母が己がひとりごを命をかけても護るように、
一切の生きとしいけるものどもに対しても無量の慈しみの心を起こすべし

また全世界に対しても無量の慈しみの意を起こすべし


上に、下に、また横に、障害なく、恨みなく、敵意なき慈しみを行うべし

立ちつつも、歩みつつも、座しつつも、伏しつつも、眠らないでいる限りは慈しみの心遣いをしっかりと保て

この世ではこの状態を崇高な境地と呼ぶ


諸々の邪まな見解にとらわれず、戒めを保ち、見るはたらきを備えて、諸々の貪りに関する欲望を除いた人は、決して再び母胎に宿ることがないであろう


     (『ブッダの言葉』 中村 元訳 岩波文庫より)



スッタニパータの中にある『慈しみ』という詩

ブッダが唱えられた数あるお経の中でも私が最も好きなものです

全ての生きとし生けるものが幸せであるようにと願い思いやるブッダの心

そこには必然的に『慈しみ』と『正念』と『知足』が備わっています

このお経を読むたびにブッダの生の息づかいとともその肉声が聞こえてくるような気がします

ただただ、心静かに、味わうお経です

合掌