~Ring a Bell~いつもココロにほほえみを♡

大切な人との別れの時 大切なものを受け取っている

人生の中で、何度も永遠の別れを経験します。

その度に私達は、故人から何かのギフトを渡されているはず。

ずっと前、従姉妹とのお別れに際して、こんな文を記していました。

 自然界のもつ生命力の神秘を一番感じさせてくれるのは、如月という最も寒さの厳しい季節かも知れない。まもなく訪れる春に新しいいのちを輝かせるため、木々も草花も確実にエネルギーを蓄えているのだから。
 その息吹の歓びとはうらはらな、いのちあるものの宿命とも言える「終焉」を、私はいま見せられている。ごく身近な人との「死」に、生まれて初めて向き合うかたちで…。
 いや、正確には過去に祖父母との別れを経験しているのだが、あまりにも幼かったり、離れて暮らしていて交流がなかったせいで、哀しい別れという実感がなかったのだ。今ようやく、永遠の別れがこれほどまでにせつないということを、心の深奥にいかりを沈めたごとくズシリとした重みで、しみじみと味わう機会を与えられたのだ。

 私たちの魂はそれぞれ、この世に生を授かるとき、どんな両親のもとで、どんな人生を送り、どんなことを学んでいくのか、すべてを決めてやってくると言われている。その決めた通りの人生を送ることができたのかどうかは、あの世に再び戻ったときに、改めて振り返って知るのだろうか? それとも、この世を去る最期の最期の瞬間にわかるのだろうか?
 自分の決めてきた人生……それは、必ずしも幸福で光り輝いているとは限らないのかも知れない。なぜなら、私たちは皆それぞれに愛を学ぶため、この世にやってきているはずだから。そして、時につらく苦しい現実の中にこそ、大きな学びが隠されているものだと思うから。
 春の訪れを見ることなく逝ってしまった彼女は、いとこの奥さんで、私と同じ歳だった。肉体を容赦なく襲う病魔の前では、たとえ肉親であろうと私たちはあまりに無力だ。本人を勇気づけ励ますくらいしか、ひたすら祈ることぐらいしか、何もしてあげることがないのだから。そして、ついに祈りは届かなかった…。
 いつも穏やかで優しい笑顔の人だった。どちらかというと控え目で、内に秘めた強さを持っている、そんな女性。親しいというほどのつきあいではなかったけれど、年に一、二度、長野の実家に帰省したときには、その笑顔を見せてくれていた。宣告を受けてからも、すでに自らの身体に現れていた痛みや精神的な辛さを、おくびにも見せない我慢強い人だった。
 だから信じていた。彼女の芯の強さを…。きっと病を克服して、再びあの笑顔を見せてくれることを…。それなのに、こんなにもあっけなく別れがやって来てしまうなんて。

 今になって改めて思う。もっと心からいっぱい話して、つながっていたらよかったのに。力になってあげることは、いろいろあったはずなのに。病に伏してからでも、力強く勇気づけてあげることができたのではないか。もっと具体的に発展的に何かしてあげることがあったのではないか…。
 何一つできなかった自分に対して、悔しい想いが湧き上がる。何もかもが遅すぎた。いとことは、幼い頃から家が近く、兄弟のように育ってきたからだろう。身内のことのようにこたえた。

 こんなに短すぎる人生を、生まれる前に彼女は本当に決めて来たのだろうか? 
 たとえそれが宇宙の真理だとしても、残された家族にとって今は、愛する妻が、愛してくれる母がサヨナラも言わずに去ってしまったということだけが確かな現実。それはあまりにも強烈な痛みを伴って、目の前に立ちはだかっている。たとえ神様が「本当はお互いがすべて学びのために同意してきたことだよ」とおっしゃっても、そんな真実は流れ星の軌跡みたいなもので、実態も重みもまるで持っていないように思えてしまう。今はまだ……


 永遠の旅立ちの朝、天も哀しんでいるかのように、静かに雪が舞っていた。告別式の間じゅう、私は胸の奥底からこみあげる熱いものを抑えることができなかった。周囲からもすすり泣きが途切れることはなく、おそらく参列した人は皆、同じ想いだったのだと思う。
 愛する人を失ったご主人(いとこ)の辛さは、どれほどのものだろう。その背中は、ひとまわりもふたまわりも小さくなってしまった。そして、おかあさんの温もりを突然奪われた二人の子供たちの心の痛みを想像するに、誰もが胸をしめつけられたはずだ。
 11歳のおねえちゃんはすべての状況を理解しているようで、涙をこらえ紅潮した頬で、うつむき加減に座っていた。そして、まだ七歳の弟くんは「おかあさんのために、こんなにたくさんの人がお別れにきてくれた」と、そんなふうに思っていたのだろうか。笑顔すら浮かべ、目の前を通り過ぎる人たちに、ぎこちなくおじぎをしていた。そのあまりにも無邪気な表情に、いっそう涙を誘われた。子供にとって母は絶対的な存在なのに…。

 たくさんの花に囲まれた真正面の彼女は、在りし日のままの美しく穏やかな笑顔で、その若すぎる死を悼み涙する私たちを、逆に見守っているようだった。
 彼女を神の元へ送るための読経を耳にしながら、私は少しずつ少しずつ、心の波が静まるのを感じていた。

 今、あなたの魂はこの会場のどこかで、私たちの様子を眺めているの?
 あなたの人生は、こんなに早く幕を閉じてしまうことになっていたの?
 それとも、何かが足りなくて、突然のお別れになってしまったの?

 笑顔の彼女に向かって、そんな問いかけをしていた。


 彼女が亡くなった21日、不思議なシンクロニシティがあった。午後2時半頃のこと。いつものようにパソコンに向かっていると、突然窓の外で、ピカッとフラッシュをたいたような光が2度ほど瞬いた。何が光ったのかまったく見当もつかず、「あれ?いまのは何?」と隣にいたパートナーと首をかしげた。
 夜、母からの電話で彼女が亡くなったことを知らされたのだが、病院で息を引き取ったのは、ちょうど光を見た時間と同じだった。

 あのとき、わざわざお別れに来てくれたの? 私は何もしてあげられなかったのに…。
 この光景を、もう安らかな想いで眺めているのかも知れないね。
 すでに光になった今、天国へ向かう旅の途中で…。


 私はこうして、哀しみや痛みを感じることができる。もう少しだけ、この哀しみを抱きしめて味わってみよう。その感覚こそが肉体を持って生きている証しなんだもの。そしてそれはやがて、凛とした強さに変わっていくことがわかる。
 彼女が燃やした生命の炎は、一人ひとりの中で、こんなふうに生きる力を灯してくれているのかも知れない。それは彼女が残してくれた最後の贈り物なのだ。
 愛する家族には、もっとさらに強い灯火を届けているのだろう。いとこと二人の子供たちにとって、この試練がいずれは、魂の成長という大きなギフトに変わることを信じている。

 天国への旅立ちを見送る時間というのは、故人と関わった者一人ひとりの内側に、確かな生きる誓いをもたらす意味があるのだと初めて知った。
 ようやく波がおさまった私の心の深いところから、ひとつの想いが湧き上がってきていた。

「自分自身が日々、ちゃんと調和のとれた生き方をしていないと……
 宇宙の愛の流れにそって、光に向かって生きていないと、
 身近な人を救ってあげることさえできない。
 まず自分がしあわせでいなければ…。いつも輝いていなければ…。
 人としてまっすぐに生きていくこと。それが先立った人への一番の感謝」

 会場を出ると、すでに雪はやんで、清々しい青空が広がっていた。あの笑顔のように温かな陽射しが降りそそぎ、そっと涙をかわかしてくれた。
 さあ、前を向いて歩いていこう。純粋に生きぬいた彼女の分まで輝いて…。

 

パソコンのデータを整理していたら、なぜかこの文章が現れ、心に触れてきたのですが。

きっと彼女が「いつも見てるよ」と教えたかったのかな。

故人へ心を向けることが一番の供養になるとか。

忘れていないよ。あなたの分も生きてるよ!

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