初恋話
2010-11-10 | 日記
初恋の人が二人います。
え~~~っ!
でしようが、一人目の近所の男の子はもう顔も覚えていない。
どちらかと言えば男子に人気者の、カツオ君のような子だったような気がする程度の記憶。
もう一人は、自分ではっきり「好きだ」と自覚した、昨日のブログで触れた担任の先生です。
とにかくチャキチャキの母の元、鈍くさかった私は、妹曰く「お姉ちゃんはいつも叱られていて可哀想だなあと思って見ていた」というような状態で育っていました。
だから非常に自己評価が低く、でも心の奥にはプライドが・・・というような面倒くさい子でした。
それがある時、こんな自分なのに先生がちゃんと認めてくれて、好いてくれているって感じたのですね。
今思えば、それは私に限っての事ではなかったのですが・・・
例えば、クラスに一人か二人は、勉強が全然出来ない子っていましたよね。
6年生になっているのに、ひらがなも読み書き出来ない、足し算引き算も出来ない子。
そんな子がクラスに二人いました。
その子達に、私達がテストをしている間とか、自習したりする時間、そして放課後に、先生が特別に勉強を教えていました。
二人の将来の夢はラーメン屋さん。
「字が書けなければメニューも作れないし、足し算引き算出来なければお釣り渡せないからね」って。
後で母に聞くと、あの時代でもやはりPTAから苦情が出たらしいです。
えこ贔屓だって。
でも「義務教育中に放ってはおけない。ご理解頂きたい」と頑張っていたそうです。
代用教員上がりだったので、絶対偉くはなれない。
でも教師としては誠実でありたいし、何よりも子供達が好き。
そういう先生でした。
卒業文集では、それまでは先生に代筆して貰っていた二人が立派に自分で作文を書きました。
「こうやって作文書けて嬉しい」って。
実はこの先生に習ったのは2学期迄。
3学期になった途端病気になられ、入院してしまったのです。
クラスは解体され、他のクラスにバラバラに編入させられてしましました。
みんな先生が大好きだったし、クラスも仲良しだったので凄いショックを受けましたね、あの時は。
心細かったなあ・・・
三学期だったので、後半は卒業式の練習がよくありました。
その時は元のクラスに戻るのでホッとするのですが、何しろ自分達のクラスだけ先生がいない。
心細さが身に沁みます。
ところが最後の総練習の時、突然先生が現れたのです。
二コリともしないで隅の席で座って私達を見ている先生。
ザワザワして喜びが溢れそうになった私達もシンとしてしまうような先生の佇まいでした。
卒業証書を渡す段になって、先生が自分達の名前を呼んでくれると、総練習なのに泣きだす子達が沢山いました。
・・・辛かったでしょうね、先生。
ところでその先生が私にかけてくれた言葉。
「栞の心の中は暖かくて明るいね。」
たったこれだけの言葉が、私の中に自信を与えてくれたんですね。
そして多分他のクラスメートも其々に先生との係わりの中で「先生はちゃんと自分を見てくれている」と感じていたのだと思います。
年月は流れ、先生が亡くなったと知り、ご自宅宛てに感謝のお手紙を出しました。
その半月後位に、突然息子さんが訪ねていらっしゃいました。
やはり小学校の先生をされたいるその息子さんが言うには、私の手紙に書かれている父親の姿が自分の理想の教師像だと。
何十年も経っているのに、こうやって語ってくれた父親の教え子にどうしても会ってみたかったって。
その息子さんが又、私の知っている先生と驚くほどそっくり。
改めて「好きだったなあ、先生」と思ったものです。
これが私の正真正銘の初恋。
上等な男を好きになった、幼き日の自分を褒めてやりたい。
昔から男を見る目はあったんだわ~~
え~~~っ!
でしようが、一人目の近所の男の子はもう顔も覚えていない。
どちらかと言えば男子に人気者の、カツオ君のような子だったような気がする程度の記憶。
もう一人は、自分ではっきり「好きだ」と自覚した、昨日のブログで触れた担任の先生です。
とにかくチャキチャキの母の元、鈍くさかった私は、妹曰く「お姉ちゃんはいつも叱られていて可哀想だなあと思って見ていた」というような状態で育っていました。
だから非常に自己評価が低く、でも心の奥にはプライドが・・・というような面倒くさい子でした。
それがある時、こんな自分なのに先生がちゃんと認めてくれて、好いてくれているって感じたのですね。
今思えば、それは私に限っての事ではなかったのですが・・・
例えば、クラスに一人か二人は、勉強が全然出来ない子っていましたよね。
6年生になっているのに、ひらがなも読み書き出来ない、足し算引き算も出来ない子。
そんな子がクラスに二人いました。
その子達に、私達がテストをしている間とか、自習したりする時間、そして放課後に、先生が特別に勉強を教えていました。
二人の将来の夢はラーメン屋さん。
「字が書けなければメニューも作れないし、足し算引き算出来なければお釣り渡せないからね」って。
後で母に聞くと、あの時代でもやはりPTAから苦情が出たらしいです。
えこ贔屓だって。
でも「義務教育中に放ってはおけない。ご理解頂きたい」と頑張っていたそうです。
代用教員上がりだったので、絶対偉くはなれない。
でも教師としては誠実でありたいし、何よりも子供達が好き。
そういう先生でした。
卒業文集では、それまでは先生に代筆して貰っていた二人が立派に自分で作文を書きました。
「こうやって作文書けて嬉しい」って。
実はこの先生に習ったのは2学期迄。
3学期になった途端病気になられ、入院してしまったのです。
クラスは解体され、他のクラスにバラバラに編入させられてしましました。
みんな先生が大好きだったし、クラスも仲良しだったので凄いショックを受けましたね、あの時は。
心細かったなあ・・・
三学期だったので、後半は卒業式の練習がよくありました。
その時は元のクラスに戻るのでホッとするのですが、何しろ自分達のクラスだけ先生がいない。
心細さが身に沁みます。
ところが最後の総練習の時、突然先生が現れたのです。
二コリともしないで隅の席で座って私達を見ている先生。
ザワザワして喜びが溢れそうになった私達もシンとしてしまうような先生の佇まいでした。
卒業証書を渡す段になって、先生が自分達の名前を呼んでくれると、総練習なのに泣きだす子達が沢山いました。
・・・辛かったでしょうね、先生。
ところでその先生が私にかけてくれた言葉。
「栞の心の中は暖かくて明るいね。」
たったこれだけの言葉が、私の中に自信を与えてくれたんですね。
そして多分他のクラスメートも其々に先生との係わりの中で「先生はちゃんと自分を見てくれている」と感じていたのだと思います。
年月は流れ、先生が亡くなったと知り、ご自宅宛てに感謝のお手紙を出しました。
その半月後位に、突然息子さんが訪ねていらっしゃいました。
やはり小学校の先生をされたいるその息子さんが言うには、私の手紙に書かれている父親の姿が自分の理想の教師像だと。
何十年も経っているのに、こうやって語ってくれた父親の教え子にどうしても会ってみたかったって。
その息子さんが又、私の知っている先生と驚くほどそっくり。
改めて「好きだったなあ、先生」と思ったものです。
これが私の正真正銘の初恋。
上等な男を好きになった、幼き日の自分を褒めてやりたい。
昔から男を見る目はあったんだわ~~
ジュリー、
高校の現国の先生、
全日本バレーボールの大古選手・・・
18才までに好きになった男性は4人かなぁ?・・・
大古選手に至ってはマジで結婚したいと思ってた(笑)
うん、栞さんは男を見る目があります。
旦那様然り、ギリ37才の方然り(プッ)
担任の先生への初恋は普通に可愛らしいですが、
栞さんはその先生が亡くなってから心のこもった手紙を
出した所が普通じゃない(褒めてるんです)
「栞の心の中は暖かくて明るいね」
その言葉を私からも贈らせてチョ~~~
だから、その先生の言葉が意外でね。
多分元々は陽気な性格だったと思うのですが、母の管理下で縮こまっていたのね、きっと。
それが先生には見えていて、自信をつけさせてやりたいと思ったのかも・・・と今は思います。