別冊 どうも |^・ω・)/

今関心ある事を、まぁなんとなく、適当に。

1st contact 長浜ヾ(〃^∇^)ノ三成編

2012-07-17 13:49:16 | お城・史跡>長浜

  やっと行ってきました!三成出生地(≧ω≦)b

↑みちゅなりくん里帰りの図
ちびの隣は、長浜公式キャラ、三成くん
小僧版、佐吉くんもあるよ



長浜は大変ディープな所ですので、一回やそこらじゃとても周りきれません。
無計画な当家でも、シズガタケ編/小谷城~姉川編/石田町~横山城編と、エリア・目的別に分割して行く事に。
効率よく周って3回、おそらく我が家は5回位通いそう・・・。
気長にお世話になりますm(__)m

本日はファーストアタックという訳で、大雑把に資料館めぐりがメインです(*`д´)b
つか、観光地図・地元情報探りがメインです。

地図は、現地調達。
タダで貰う物(パンフレットや案内地図)が、一番親切で解りやすいっすね。
我が家はマイペースの度が過ぎていて、ガイドブック通りにすら行動できません・・・。

 ←歌もあるよ、三成song・・・譜面がないのが残念です。

さて、長浜ICから車で10分程でしょうか、石田三成生誕地の石田町、石田会館
一部では聖地とも言われているようですが、見たとおり、普通に田舎の公民館です。
多分、公民館として常用されてます。

土日はどうやら午後から開館らしく、行った時はまだ閉まってました。
「どうしよー、また午後来てみようか」とうろうろしていたら、たまたま中にいた方(当番さん?)がカギを開けてくれました。
いや、もう、開館時間の確認もせず、すみませんー・・・(;´Д`A ```
まるで特別拝観・・・VIPです・・・

土日でも午前中しか開いてない日もあるようなので、石田会館行こうと思ってる方は、事前に電話で開館時間確認された方がよいです。

↑石田三成40歳         
苦労人らしく老け気味(に見える)。
この右手奥には遊具なんかがあって、ちょっとした児童公園
左手(壁がちょっと見える)は、数年前焼けてしまった八幡神社の仮祠か?



入館は無料。
中は8畳間位のスペースに、ちょっとした三成解説資料があったり、三成の検地尺(実物)があったり、扇子があったり、石田家のお屋敷パノラマがあったり、佐和山城の絵図があったり、発掘された三成の頭蓋骨の写真があったり、三成の半生ビデオ(NHK?)も見れたり・・・けっこうあるな。
「誰の?つか、これ、井伊様の赤備えそっくり!」な、ふるーい具足も2体展示されてます。

畳敷きの広間の方は、公民館として常用されてる感じで、書状や絵図(いずれも写し)が鴨居の上に飾られてました。
うちの方の公民館でも、御当地ヒーローが同じように飾られてます。
量も質も、石田会館の方が全然充実してます>大事にされてて、いいなぁ・・・。
つか、主君の地元愛の濃度は、そのまま後世の地元民の、主君への愛の濃度ということでしょうか?
なかなか複雑な気分です。

  

↑石田会館に置いてある、三成所縁絵地図と解説チラシ
絵地図は、「別冊み~な・これぞ石田三成」にも掲載されてる
見やすいとは言えないが、なかなか便利な絵地図



個人的には、検地尺や扇子(伝?)が見れたりしたので大満足なんですが、資料館かと思って訪ねるとちょっと物足りないでしょう。
でもわざわざここまで来る人は、ほぼ三成ファンかマニアだと思いますんで、展示物云々より、ここに来る事に意味があるわけで。
ここに来たというだけで、本当は大満足です( ̄m ̄〃)
だからこそ、「聖地」なんて持ちあげられたりするわけですが。
お付き合いで来た方(うちのダンナ)や、歴史資料館を当てにしてた方には、ご足労さまでしたm(__)m

もちろんお土産も買います↓
 ←たぶんここ(石田会館)でしか手に入らない三成本(1000円)

欠点省いた、いい人三成満載。
昔の(つか戦前の)道徳教科書っぽいです( ̄∇ ̄ )
うん、確かに密林じゃ手に入らん内容の希少本
他にも武将ステッカーとか売ってた



石田のバス停↓から石田会館(下車2~3分)へ向かう道すがらにある八幡神社(下車1分)の裏口の、石田家供養塔へ移動。
  バス停、綺麗で可愛かった。

バスで来た人は、14本の街灯も要チェックですね!




反逆者三成の御先祖様のお墓は、地元の人が見つからないよう土中に埋めて守り、やっと外に出してもらえたのは昭和16年になってからだとか。
見つかってたら、徳川(つか、井伊様か)に粉砕されてたか、彦根城の一部になってたでしょう。
大事に守られてきたんですねぇ(ノω・、) ヨカッタ、ヨカッタ

旧石田村にも現石田町にも、石田姓の方はいないそうですね。
毎年井伊様に、「石田姓はいません」の誓約書提出が義務付けられていたそうです。
粘着質ですね、井伊様。
形式的とはいえ徹底した石田抹消著しい、暗黒時代を経てますなぁ。
つか、現代の石田さんは、さぞ石田町には越しづらいだろうよ・・・。

それより、そこまで虐げられてきた「石田」ですが、「石田」の地名はいつから名乗りを上げることができるようになったんだろう。
三成の出生地「(現)長浜市石田町」は、「(旧)坂田郡石田村」だそうですが、明治の(市町村)大合併で石田村は「北郷里村」に合併されている。
さすると「石田」の村名は、明治以前に使われていたことに。
相当古いのか?
地名から姓を名乗るなら当たり前なのか?
井伊様も、徹底した石田排斥や差別的であった割に、改名もさせず地名は残すって、なんか中途半端な温さだな。


さてさて、墓地には、三成の詠んだ自筆の歌碑とか↓
  ←達筆なのか悪筆なのか解らん。人に読ませる字じゃないのは解る。

辞世の句碑↓ とかありました。
  ←この人の字なら読める

なんとも三成濃度が濃いポイントエリアです。

ここから車でさらに5分程行くと、小僧見習いしてた三成が、秀吉にスカウトされたと言われている観音寺(木之本 法華寺説あり)

  ←ひなびた風情にぞくぞくします

人はいないわ、駐車場あるはずなんだけど見つからないわで、苦労しました。
お寺の右手はすぐ民家なんですが、たまたま外で作業してたおばあちゃんに駐車場の場所尋ねる。
「脇からはいってくと、中腹にもあるよ」って教えてもらって、ずうずうしく車で侵入。
「ここ停めていいの?」と、びくびくしながら強引に停めてしまったんだけど、本当によかったんだろうか?( ̄- ̄;)
もうしませんから赦してください。

門をはいってすぐ左折すると、三献茶の湯の井戸。
  三献茶。

賢い三成エピとして有名すぎて、説明するのも面倒なんで、
知らない方はクリックでどうぞ


これも井戸って言うんだ・・・( ̄。 ̄;)
ちょっとイメージしてた「井戸」と違ってたからびっくりした。
いや、原理は井戸ですね・・・。

参道(100m位?短いっす)から観音寺本堂へ。

  

質素素朴なよい風情なのですが、痛みもはげしいようで、離れの屋根にかかったブルーシートが痛々しかったです(´_`。)
ここが三献茶の舞台となるお寺。
実際お茶飲んだのは、本堂右手の離れだったかもしれないけど。

このお寺のすぐ右隣の山が「横山」。
信長の浅井攻めの時真っ先に落城させ、重要拠点として秀吉に番城させた横山城は、このお寺からも行けます。
でも、三成の生家御近所の石田公園から行く方が楽だそうです。

  ←この石仏さま(38体あったっけ?33体だったかも)を

辿って山を登ると横山城へ着くらしい。
4体位まで登ったけど、誰も登る人いないのか、結構荒れた狭いけもの道。
雨上がりでぬかるんでて足場悪いし、藪蚊が多くて途中で挫折。
蛇出そうだし。
いずれ仕切り直します、であります∠( ̄◇ ̄)



どうやらこの辺一帯は、石田氏の縄張りのようっすねぇ?
まぁ、土豪だったらしいしな。
三成の父ちゃん(正継さん、浅井家臣だったらしい)、結構早い時期に浅井から秀吉に寝返ったのか?
当時三成10歳(イメージ=小4)、兄ちゃん14歳(イメージ=中2)。
兄弟揃って、人身御供には程良いお年頃ですな。


信長さえいなければ、三成も浅井家臣としてもう少し長生きできたことでしょう>さぁ、どうかな?
そんな訳で、御近所の小谷城へ移動します。