別冊 どうも |^・ω・)/

今関心ある事を、まぁなんとなく、適当に。

ちょっくら熊本城 2

2013-05-10 12:02:37 | お城・史跡>熊本城

数寄屋丸二階の能舞台でご挨拶

熊本城案内マップはこちら

天守のすぐ脇にある数寄屋丸 は、宴会に使ったり、接待に使ったり、能や狂言を楽しむ所だったりしたそうです。
数寄屋って言うくらいですから、大規模茶室って感じかしらん?

↑は、能舞台なんだそうで?
能舞台と聞いてイメージする空間とはなんか相当違うんで、かなり違和感あったりしますね。
床には一切の釘をつかっていないのだそうです。
ただの板の間っていうより、やはり何らかの「舞台」だったのかしらん・・・?
プライベートレッスン場?
古典芸能の仕来りは全く無知なんで、「へー」って感じで見学してしまいました。

建物造ったら、用途に関係なく取りあえず狭間や石落としは通常設置ってあたり、さすがです。
でもって、無粋とか言われないあたり、さすがです。


さて、この数寄屋丸の庭先から見る石垣群が格好よかったです。

←桜が咲いたり、靄がかかってたら、相当かっこいいと思う

写真ではなかなか伝えるのが難しいっすけど、三重に連なってる石垣の層が、重厚で威圧感ありますよ。

私的には、熊本城石垣鑑賞のベストビュースポットでしたヾ(〃^∇^)ノ
ナイスだ、清正


もう一つ熊本城と言えば忘れてならんのが、

  井戸だったり

  井戸だったり

  井戸だったり

       井戸だったり

  ・・・・・・・・・・

どうやらこの辺からずいっと先に繋がる長櫓があったんだそうで、その発掘作業中だそうです。
残念でした>なにが?

清正の水への執着は相当なもので、熊本城には確認されているだけで140以上の井戸があるのだそう。
そんなに穴空けたら、水も枯れてしまうんじゃないか?と思ったりしますが・・・ともあれ、史上最多の井戸の数のようです。

清正がやたら井戸を掘りたがった理由は、慶長の役での蔚山籠城戦が相当きつかったからって説が有力だそうですね。
慶長の役の終戦間際、食料はもちろん水も足りない状態での籠城戦だったと言われてます。
最も苦労したのが水だったそうで・・・つか、やっぱそうだよね。
蔚山近郊は、水が出ない土地だったんでしょうか・・・李舜臣ネタの際でも、そこらへんおさらいしておきましょう。

ところで、明治神宮には「清正井」っていう、清正ゆかり?の井戸があるんだそうで、ちょっと検索したらとんでもない人気パワースポットだとか、実はマイナスパワースポットだとか、なんだか色々言われているようですねぇ。
金運云々って話ですが、清正所縁の井戸なら、あまり金運には期待できない気がしたり・・・しなかったり・・・。
ずいぶんきれいな水を蓄えてる湧き井戸のようなので、機会があれば見学してみたいですね。
明治神宮かぁ・・・、この歳で、わざわざ行く用事はなさそうなトコだな・・・。

まぁ、清正に纏わる逸話は思った以上に多彩で根強く、江戸時代でもすたれることなく神格化され続けてきていた、その知名度や影響力には驚きます。
この際、井戸を見たら清正に因縁吹っ掛けるってことでどうでしょう・・・・( ̄∇ ̄;)


天守閣から見た 宇土櫓

  ←清正時代に建てられた400年超えの建造物


最初、敵対していた小西領・宇土方面を睨んだ櫓なのかと思ったんですが、そうではないそうで。
関ヶ原後、清正が召し抱えた小西行長の家臣どもにこの櫓を守備させたことから、宇土櫓って名が付いたらしいです。
宇土衆櫓ってところでしょうか。
なんか、ゲットーみたいだな・・・( ̄Д ̄;)

小西家臣団、キリシタンが多かったと思うんですが、日蓮宗派・清正との折り合い、どうだったんでしょうね。
小西くんとの根深い確執もありますし、ことごとく苛められたんじゃないかと心配です。
と心配してたら、やっぱり清正のキリシタン狩りはなかなか執拗だったみたいですよ。
黒歴史だけに、殆ど知られてないような気がするけど・・・。
八代で殉教したキリシタン女性の逸話は、宣教師によってヨーロッパへ報告され、その末路があまりに悲劇的だとオペラにまでなったそうです。(参考:小西行長

同様に、いったんは召し抱えられた小西家臣たちのその後も、決して恵まれたものではないようです。
まぁ、忠臣であればあるほど致し方なく、忠臣でなければないで致し方ないことなんですが・・・。
歴史と人の苦い部分です。
が、その辺に詳しい文献にはまだ当たれてません。
小西関連資料は、やはり少ないです・・・o( ̄ー ̄;)ゞううむ


ちょっとお話が湿っぽくなってしまいましたが、重要文化財・宇土櫓、さすが趣きがありますね!
漆喰塗りのお城より、木目むき出しのお城の方が好きだったりするので、見ているだけでワクワクします。
中も公開しているそうなので、築400年のお城へ、早速見学、見学~~ヾ(〃^∇^)ノわぁい♪

櫓なので、がら~んとしてて何にもないんだけど、しっとりと落ち着いた雰囲気がいい感じ。
床も随分すり減ってるんですけど、ささくれ立ってなくて・・・やっぱいい木を使ってるんでしょうかねぇ?
うちのリビングの床の方が、よっぽど深刻ですよ・・・( ̄~ ̄;) ウーン

ちょっとやそっとじゃ壊れやしないことはわかってはいるけど、古い建物だけあって、歩くのもドキドキです。
飛んだり跳ねたりする勇気はありません。
否が応でも、粛々とした気分になります。

中でもこの階段↓ は、上り下りがなんだか怖かったのよ。

 

なんだろう?
ゆがんでいるのかな?
よく見ると、階段中央部分が窪んでいるような?
たったそれだけの事でも、ずいぶん不安定な気分になるんですね。
一度ご体感ください。

そういえばお城の石階段とか、どこもすっごい登りづらいですが、あれって微妙に一段ずつ高低差を変えたり奥行きの幅も不規則にしたりたりして、わざわざ上り下りをしづらくしてあるんですってね。
この階段も、わざわざ怖い作りになってるんだろうか?
・・・そりゃないかw

小西家臣たちが、ここでどんな思いで過ごしたのか気になってなりません。
なにかエピソードの一つでも残ってないものか。
実に名残惜しいのですが、厳かで貴重な宇土櫓を後に、心機一転、ぼちぼち外をお散歩しますヽ(*⌒∇⌒*)ノ


・・・が、まだちび加工をしてないんで、この週末、ぼちぼちとやります~。

そんなわけで皆様、また後日