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ロータリープロジェクトアーカイブ

国際ロータリー第2670地区(四国)におけるロータリーアンの奉仕プロジェクトをご紹介します。

2015年3月 月次レポート

2015-04-16 10:29:47 | 奨学生(地区補助金)
【2014-2015年度】地区補助金奨学生 木原 慎一朗さん(今治南ロータリークラブ推薦)

英国にも春が来ました。

キャンパスのサクラは満開を迎え、芝生ではリスが走り回っています。
イースター休暇には、大学までピクニックに来ている家族連れを多く見かけました。
こちらのサクラは日本の桜と比べてスレンダーなスタイルをしており、同じさくら並木でも新鮮な感じがします。

英国の気候は極端なもので、つい最近まで夕方4時には真っ暗になっていたのですが、サマータイムが始まった途端、夜8時過ぎまで明るい日が続いています。
とは言っても、朝方は3度くらいまで気温が下がるので、まだまだ冬の気配も残っています。
半袖短パンに衣替えした現地学生が増えてきましたが、私はまだダウンジャケットが手放せません。

1月から始まった今ターム(Spring Term)は、あっという間に過ぎました。
心配していた毎週の課題も何とか乗り越えることができ、今はほっとしています。
最終講義では、教授を囲んで絵本を読みました。
その最中、昨年9月の渡英からの楽しかったことや苦しかったことが思い出され、教授の優しい語り口も相まって、泣いてしまいそうになりました。
(その時の写真を後から見てみると、自分1人が険しい顔で写っていたので笑ってしまいましたが)
修士論文を仕上げるために、指導教授との面談はこれからも続きますが、もう講義が行われることはありません。
本当に、あっという間の院生生活でした。

ロータリークラブへのレポートとして、前ターム(Autumn Term)の論文課題のことを書いたのが、つい昨日のように感じられます。
そうかと思うと、もう今タームの論文課題の提出締め切りがやってきました。
前タームと同じく、4000語の論文課題が3本です。
内容は前回より難しく、ちょっとした統計処理をしなければならなかったため、例によって、4月13日の締め切り当日まで書いていました。
正直なところ、そのクオリティーに満足できないまま提出したので、どのような評価が返ってくるか不安です。
成績が発表されるのは1ヶ月後なので、それまでは修士論文の準備を進めるつもりです。

今回のレポートにて、1つ訂正したいことがあります。
11月の月次レポートで、英語を話す際には、内容が充実してさえいれば、流暢性(fluency)を重視する必要はないという趣旨の文章を書きました。
今タームのコミュニカティブ・ランゲージ・ティーチング(Communicative Language Teaching(CLT))に関する授業を通して、
その考えは、少なくとも英国内では通用しないことを学びました。
その授業のために読んだ文献は全て、コミュニケーションにおいて流暢な英語を話すことの重要性を指摘しています。
流暢性の定義は、研究者によって異なります。
多くの研究者が、発話の速さ、もしくは発話中の沈黙の少なさをその定義に含めていますが、これに発話量の多さを含めるべきだと主張する研究者もいます。
しかし、適切な意志疎通のためには、対話者とのテンポのいいやり取りが必要であるということが、研究者の間の一応の共通認識です。
そのテンポに乗り切れないと、肝心の話の内容を聞いてすらもらえないことも頻繁にあるようです。
それを聞いて、グラスゴー時代に、運送会社に電話した際、私の英語のあまりのたどたどしさのせいで、
相手を呆れさせてしまい、途中で電話を切られそうになったことを思い出しました。
文献によっては、文法の正確さや単語の適切さを少々犠牲にしてでも、流暢性が必要であると書いてあるものもあります。
話の内容は、コミュニケーションの中の意味交渉(negotiation for meaning)によって深められるため、その意味交渉のために流暢性が要求されます。

映画「英国王のスピーチ(The King’s Speech)」では、吃音に悩まされるジョージ6世が、言語療法士のライオネル・ローグと共に、その克服に向けて奮闘する姿が描かれています。
ジョージ6世のスピーチの内容自体には問題はなかったようですが、流暢性の欠損のために、その内容を聞き入れようとしない聴衆が多かったそうです。
流暢性とは少し離れるかもしれませんが、映画「マーガレット・サッチャー:鉄の女の涙(The Iron Lady)」でも、同じような状況が描かれています。

スピーチと対話は別物です。
相手の発言に迅速に対応する必要がある対話においては、スピーチよりもさらに流暢性が求められます。
英語を外国語として扱う学習者にとっては、流暢性の習得には限界があるでしょう。
しかし、流暢性がないために、自分の話が聞き入れられないとしたら、それは孤立につながってしまいます。
英語ネイティブであるジョージ6世やサッチャー元首相がそうしたように、多くの日本人も、流暢性の習得に向けて努力する必要がありそうです。


★大学寮裏庭


★サクラ


★最終講義


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