goo blog サービス終了のお知らせ 

良い加減で行こう!スピリチュアルの道

生まれつきサイキックな能力を持つハルと
霊感ゼロの鈍感すばるのスピリチュアル奮闘記

過渡期は波乱含み

2013年03月12日 | すばる
前回、次のステージの扉が開きそうだ、と書きましたが
これがネクスト・ステージへの過渡なら激しすぎると思います(涙

まず年末に父方の伯母が亡くなりました。
この伯母とは過去に色々あったので、私の家では名前すらタブーだったのですが
子供なく亡くなったので、父が相続人の一人となり。

そして私は正月開けからトルコへ旅行するも、
ツアー最終日の前日、父死去の知らせが。
切り上げるより日程をこなしたほうが早いということで
1/14 に帰国するも、その日は例の首都圏大雪の日。
千葉の自宅に帰る電車はなく、逆に北上する新幹線は動いているという
まさに「まっすぐ実家に帰れ」状態(笑)←私の実家は北海道です。
結局、スーツケースを引きずって新幹線に乗り込みました。
トルコは厳寒だったので、その装備は北海道ピタリで良かったのですが。

そして、他人の人生や死に敬意を払う感性が欠落している実母と
寂しい葬儀に参列し、数日、実家に泊まってトルコから続いていた
長い旅を終えて、千葉のアパートに帰宅したのが1/18 でした。

そして、父が相続する伯母の遺産はスライドで母と私へ。
ところが母が「あんたの分、よこしなさいよ」と意味不明な要求。


そして、3/2 、ハルが消えました。
詳しく書けなくて残念ですが、文字通りです。
(いつか書ける日がくると思いますが、今は無理)
死んだわけではありません。
別れたわけでもありません。
でも、私が好きになって4年半つきあってきたハルはもういない。


母とのこと。
ハルのこと。
お金のこと。
この先のこと。


この大波が引けた砂浜には、どんな海からの贈り物が残されているのでしょうか。

決意が次ステージの扉を開く

2012年12月14日 | すばる
ご無沙汰しております<(_ _)>

更新のなかった8ヶ月をざっくり振り返るならば
5月から相方ハルとの再びの同居生活が始まり、
6月には四国周遊の旅に、
9月下旬から40日間ほどは断食道場に籠っておりました。
そして12月からは千葉県へ転居。

この間、スピリチュアルとは余り縁のない生活をしておりまして
どうもご報告するようなことがないな、と更新していませんでした。
相方のガイドは、ライラさんとザラキエルさんのまま。
人生の終盤でザドキエルさんとご縁が待っていることが判明したくらいで
私にもたらされたハル関係の情報はそんなところです。
まあ、私があまり興味を持たないので言ってこないだけだと思いますが(笑)。
あ、そうそう、古今東西の隠者の生活に同行しているようです>夢の世界で。

そんな中、久しぶりにスピネタをゲットしたのでご報告せねば。

ええと、のんびり貯金食いつぶし生活も3年目となれば
マジで「なんか暇でやることなくて沈む……」という気にもなります。
貯金も確実に減っているし、このままだと来年半ばには底を尽くし(笑)。
ただ、働くとなると、このデブ加減じゃパートの制服も入らねぇ……(遠い目)
ということで、働く云々の前に痩せることにしました。
162センチで72キロ、この2年で25キロ太り、とにかく醜い私です。

方法は色々あったのですが、手っ取り早く「金」で痩せることに。
秩父の山奥にある断食道場、1泊1万円、30日コースです。
(結果的に40日かかりましたけど、これは契約?で延長料無し)

ま、道場の詳細は省くとして、ざっくり説明するなら
東洋医学系の理屈で、小食(→断食)と柔軟体操メイン、ノンケミカル徹底という感じ。
当然のことながら、かなりスピリチュアルな香りのする場所でしたね。
ま、食べ物や食べ方を吟味し、自分の身体と向き合えば
自然とスピ風味になるのは仕方ないことかも知れませんが。

そこでイイ感じに痩せ始めた頃、問題が勃発しました。
私が神奈川県で住んでいるアパートの大家が、留守番ハルに詰め寄ったというのです。
要約すれば「契約者(すばる)以外が住んでいる!又貸し?おまえ出て行け!」ということ。
確かに単身者用アパートですし、大家の言う事はもっともなのです。
が、それでハルが出て行く先もないので、私が道場から電話をしました。
「すみません、私、今、身体を壊して施設に入っているので
 その間の留守番として親戚に滞在してもらっているのですが。
 私への差し入れや植物の世話などお願いしているのです」
嘘八百とは言いませんが、嘘八十くらいで言い訳してみたのです(^_^;
ところが大家さんは全く聞く耳を持ちません。
電話では何とでも言える、と。
そこで「施設に入所証明書を書いてもらって提出します」
と言ってみたのですが「そんな物はいくらでも偽造できる」とな。
うーん……どうも、単純に契約者以外の者が住んでいるなんて(怒)!
というだけじゃない感じ。
ピンと来て「そもそも年末までには出ようと思っていたのですが」
と言ってみたら、手のひらを返したように軟化した大家。
それも「出て行って欲しくない」方向ではなく「さっさと出て行け」方向に(笑)。
なーるほど、そういうことか。
ある事情があって、ある店子をたてて、他を切らざるを得ないことを察し、
こうして私は、唐突に引っ越さなければならなくなった訳です。

それを道場のスタッフさんに愚痴っていたところ。
彼が面白いことを言いました。

「次のステージの扉が開いたね」

どういうことか?と尋ねると教えてくれました。
彼はこの仕事が長いスピリチュアリストなのだけれど
割と真剣に取り組んでいる人には、ここに居る最中に某かの大きな出来事が降り掛かり、
予定を切り上げて帰る人さえいる、と。
本人は慌てふためいているけれど、僕には何となく扉が開いたのが分かるんだよ、と。

何故なら、病気以外で太った人というのは、怠惰な習慣の積み重ね。
「痩せよう」と決意してここで行動に移した人というのは、
その習慣を断ち切ろうと努力していることに他ならない。
つまりこれまでの自分を変えて前に進もうとしているわけで、
それってスピ世界では、法則が実感を伴って動き出す呪文と同じこと。

すばるさんも、ここでの柔軟体操、気に入っただけじゃなく
家でも続けたいけれど1ルームじゃスペースがない、って嘆いてたじゃない?
引越上等!じゃないの(笑)?


……なるほど。
決意が次ステージの扉を開く、ってか。
ダイエットも、本気度合いによってはスイッチなんだ。


ちなみに道場から帰ってから、もう1つ4年越しの大きな問題もさっくり解決し
驚くやら何やら「スイッチ入るってスゲー!」って感じです。
新居捜しも、何かに導かれるようにナイスな所が決まったし、
今度の大家さんはメチャいい人だし、間取りも街もジャストだし。

ま、そんなこんなで年明けには何かに導かれるようにトルコ旅行です☆


春が来た……かも

2012年04月20日 | すばる
精神世界というジャンルを知って、ちょうど1年ほどが経ちました。
ちょうど無職という時期も重なって、むさぼるように知識を詰め込む日々。
新しい世界が広がったようで、とても楽しかったですね。

「いいな」と思うことを、それなりに実践した時期もありました。
愛を発信する、あらゆるモノに感謝する、ポジティブで居続ける……等々。
でもいずれ、どれも行き着くところは同じということに気付きます。
頭(知識、思考)で「いいな」と思ったことというのは
体感(実感、感受)したわけではないので、いつか偽善になる、と。
「~するべき」「~する自分であるべき」というエゴに過ぎない、と。
肉を食べる時、感謝を忘れて食べ始めてしまうことがありました。
途中で気付いて「おっとっと……」ってね。
これは私が「動物の犠牲は尊い、有り難い」と頭で思っているだけだから。
もし私が愛犬家で、犬を食す国に暮らす事になり、犬肉を避けられない環境だったとしたら、
どんな時でも、犬肉を前にして、その罪悪感を忘れることがあるでしょうか?
「犬を食したくない、犬を食べるなんて野蛮だ、犠牲にしてごめんね」
そういう気持ちを体感し、本音本心から出た想いを失念するなんてありえません。
つまり私は、牛や豚の犠牲に対して感謝するべきとは知っていても
実感として身に染みているわけではないということなのです。
当時の私は、スピリチュアルに傾倒するあまり、
その教えで「よい」とされていることを手当たり次第に実行しつつ、
実は全て偽善だったと言えます。
真似事でも続けていれば、いつかは本当になるだろう……
という考え方もあるでしょう。
でもそれは、私好みじゃなかった(笑)

とは言え、せっかく知る事が出来た叡智?の数々を
知らなかったように生きて行くのもまた、抵抗がありました。
実際に根付いたモノもたくさんありましたしね。

そして、ここ数ヶ月、私の課題は「これからどうするか?」に集約されました。
のんびり無職生活を続けて来た私も、いつか動き出す日がやってきます。
この1年で、モノの見方、捉え方、価値観もずいぶん変わりました。
でもそれは社会生活から隔絶された環境で温めたものであり、
いわば、洞窟の仙人の修行に近い、他者の存在がない場所で成立しているだけ。
いつかは、人との係わり合いの仲で磨いていかなければならず。
氾濫するスピ知識の中で、私が拠り所とするものの取捨選択に迫られました。

そして、私が心から納得し、なにものにも左右されない例外なき規範として
「これでしょ!」と思った教え?が2つありました。

・三次元の特色である喜怒哀楽を噛み締め、あらゆる体験を惜しみなくせよ。
・凪いだ心で中庸(バランス)を保て。

ところが、私の狭い認識では、この2つは相反すると感じました。
喜怒哀楽をしょっちゅう爆発させていたら、心が凪ぐ暇がないじゃん??
泥臭く必死に生きつつ、心は常に凪いでいるとか……必死と凪の併用って神?w
でも、どちらにも深く納得していた私は、どちらかだけを捨てられず、
かと言って、融合も出来ず、しばし悩み続けることになりました。


そして、ついさっき。
相方に相談したところ、あっさり答えをくれました(笑)
簡単すぎて笑えます……でもきっと、自分では辿り着けなかっただろうなぁ。
視点を変えればいいだけなのだけれど、独力では無理だったね。

「すばるの悩む2つのテーマは、独立した別々の教えではないんだよ。
 原因と結果、表と裏のような、それぞれを互いに含むテーマだということに気付いて。
 つまり、たくさんの体験をすれば心が凪ぐようになる、ということ。
 なんでも初体験は気持ちが振れて当然、でも2度目ならそうでもないし、
 数回目なら、心は凪いでいられるだろう?」


わーお、目からウロコ……確かに、確かに☆
考えてみれば、悟っちゃったような面持ちの巷の好々爺、
長く生きて来た中で体験を積み重ね、動じなくなり、
現在24時間365日、凪いでます(^-^)v ってことなのか。


うーん、つまり。
とどのつまり。

やっぱりスピ知識なんて必要なくね(笑)?
そこそこまっとうな人なら誰でも、
「一生懸命、前向きに生きてきて、今は穏やかに過ごしてます」
くらいにはなれそうだものね。

うん、そうなんだよね。
やっぱり世の中、うまく出来てるんだよね。
前を向いて歩いているだけで幸せになれるとは。
さすがは神。

そして、スピ知識がいつまでもアングラでオカルトであることにも納得。
生きるのに絶対必要ならば、とっくに一般知識になってるはずだもんね。


……あ、あれ?
もしかして「あるがままに、なるままに」って
このことなのかな?
よく聞きますよね……「あるがままでいいのです」
あれれ? もしかして繋がったのかな、コレ(笑)?




click please !
精神世界ランキング
スピリチュアル・精神世界ランキング
人気ブログランキングへ

そして「見る」ということ

2012年04月14日 | すばる
「悟り系で行こう」「クリシュナムルティ」「超訳 般若心経」
と書いてきましたが、続きます。


さて、1月にザラキエルさんから言われたことを踏まえつつ、
私がそれでも精神世界に関わってきた過程をご紹介したのですが、
何か気付かれましたでしょうか?
これでもか、これでもかとチラつくキーワードを?

そう、「見る」「視る」「見つめる」ってやつですよ。

ザラちゃんは、ハルに「黙して見つめよ」と言う。
那智さんも「見つめてたら悟った」と言う。
クリちゃんも「キチンと見ること」(※)と言う。
お経までもが「とにかく視よ」と言う。

なんか、見るって凄く大事みたいです。
出典は忘れましたが、有名な思想家か哲学者も言っていますね。
「人は生まれてから死ぬまで、ずっと眠っている」と。
これはつまり、目覚めていない=見てない、ですもんね。


そして、私は始めてみました……意識して「見る」ことを。
まあね~、一見、アホですよね、そんな私w
でも、ひたすら、暇があれば、窓から外を見てましたよ。
薄汚れて散らかった部屋を、ずっと見ていました←片付けろw
手を見、空を見、テーブルの上のポットを見ていました。






















気付き has come !


その瞬間、うおぉー!と思いました。
一瞬にして「私、いま、いいこと気付いたよね!」と分かりました(笑)

話は単純です。
私の部屋は狭いので、普段、ベッドがソファ代わりなのですが、
横の窓を開けると、お隣の戸建て一家の裏庭が見えます。
季節のお漬け物作業や洗濯物などを見ていると、
しっかりしたご夫婦が穏やかなで堅実な生活を楽しんでるように見えます。
その手入れされた庭に、桜が咲きました。
一足早い開花に、私はうっとりと見とれていましたが、
ふと奥のほうには、これまた見事な紅梅が咲いているのです。
「春だなぁ……」としみじみ眺めていたところ、
ふと、気付いたのです。

桜や紅梅の、どちらかに視点を固定して眺めていると
「きれいだな」「春だな」「そういえば昔見た桜は~」
などと、様々な思いが頭をよぎります。
しかし、両方の美しさを同時に楽しみたいと思い、
双方を視界に入れるべく、庭全体を見ていると……、
何故か、頭が空白になるのです。
そして穏やかな気持ちと言うか、満ちた心というか
プラスではあるけれど、言葉にならない思いが胸に満ち、
そこには、ただ庭を見る私がいました。

……そうか!
一点集中(選択後)の「見る」では思考モードに
俯瞰の「見る」では感じるモードになるんだ!
今の私は、今ここを生きていた。
思考が自然に止まり、感じることで今ここを生きた。
嗚呼、「考えるな、感じろ」とはこのことか!

「考えるな、感じろ」とか「今ここ」とか、
私の中では、別々なところから学んだ、別々の教えでした。
でも、それが繋がった。
知識にすぎなかった学びを、今、体感した。
色んな教えはこうして繋がっているのか!
頭でっかちだった私が、本当の意味で体感もしくは認識という
本当の学びをした最初の瞬間でした。


ハルに電話して、興奮しながら報告しました。
ハルは一言、
「Welcome to our Spiritual World !」




(※)
クリシュナムルティの教えについては、前回記事で触れました。
そのような世界の見方を提示した上で、彼が実践を進めたのが「見る」です。
彼は本当に見る、本当に聞くことが、最も難しいこととしたうえで
このように言っています。
あなたは試したことがありますか? 1本の木のような対象物を見る時、
どんな連想もなしに、あなたがそれについて獲得してきたどんな知識もなしに、
どんな先入見、どんな判断、あなたとその木の間にスクリーンを作り出し
あるがままの実際の姿でそれを見るのを妨げるどんな言葉もなしに、
自分がその物を見ているかを。
その木をあなたの全存在で、あなたのエネルギーすべてを傾けて観察する時
なにが起こるか試してみなさい。
その強烈さの中では観察者はまったく存在しないということに、
あるのは注意だけだということに、あなたは気付くでしょう。
観察者と観察される物が存在するのは、不注意な時だけです。
あなたが何か完全な注意と共に見る時、そこに観念や決まった方式、
記憶が入り込む余地がありません。(中略)
あなたが普段見ているものは、イメージです、記憶です。
私があなたを知っているという時、それは昨日のあなたのイメージです。
これらのイメージが、あなたとあなたの見る物の間に空間を造り出し、
その空間に、あなたの葛藤・対立が生じるのです。
あなたが対象物を愛したいのなら、その空間を生じないように見るべきです。
イメージではなく、あるがままの「今」の対象物を。

彼が、観察者の存在が消えるほど集中して見ろ、ということは
つまり「今ここ」という状態を造り出すことを示唆しています。
「今ここ」「ありのまま」を体感する術の1つが、彼の言う「見る」なのだ、
と私は感じています。





click please !
精神世界ランキング
スピリチュアル・精神世界ランキング
人気ブログランキングへ


クリシュナムルティ

2012年04月12日 | すばる
「悟り系で行こう」から続いています。


前々回の記事で書いたようなわけで、
私は、原始仏教とか悟りとかアリだなぁと思っていたのです。

そこで、著者がハイパーリコメンドしていた
クリシュナムルティの著作を読んでみることにしました。
先にググッてみたところ、経歴が面白い。
世界的に認知された人であるにも関わらず、
出自に「神智学協会」とか出ちゃってるし(笑)
みなさん、ご存知とは思いますけれど、
ブラヴァツキー夫人が始めた神智学協会というのは
ばりオカルトじゃないですか……そこ出身なんてね。

彼は、子供の頃に認められてスカウトされエリート教育を受け、
(この段階で霊能力者ですよね、もろw)
マイトレーヤ(世界教師)として教団を継ぐも、
「信仰に組織はいらない」と勝手に解散……そんな人です。


で、著作が多過ぎて、最初の一歩に迷ったのだけれど
取りあえず「既知からの自由」を購入しました。

衝撃でしたね、いやはや……表紙にもですが、もちろん中身にねw

彼の言葉で有名なのに「私は何も信じない」というのがあるのですが、
それを比較的、平易に説明している内容なのですが面白い。
ざっくり言うなら(というか私が受け止めたカタチで言うならば)、

目の前に広がる世界は完璧だ。
しかし自分の目には完璧に見えない。
その現状認識の隔たり=自分の無駄な価値観(エゴ、自我)というフィルター多数
無駄な価値観を剥ぎ取れば、完璧ということが分かる。

というような感じなんですわ。

そしてその価値観は、生まれた国、時代、家庭、教育、経験などでくっついた。
価値観を剥ぎ取れ、あるがままに見ろ、そこに完璧が広がっている、と。

さらに重ねて彼は言うのです。
「既存の価値観に依存するな、常に自由であれ。
 あなたは何を拠り所としている?
 国か、人種か、金か、道徳か、神か?
 どれにしたところで、それは依存で、あなたは自由ではないのだ。
 ……今、あなたは私のこの言葉に深くうなずいたかも知れない。
 でもそれですら、それまでの価値観から、私が提示した価値観に移行したに過ぎない」

ドキドキしましたよ、私。
競争社会や資本主義、既存の宗教、社会通念から自由になれたと喜んでいたのに、
結局、その全てを「霊的真理」に置き換えただけで、まるで自由ではない私を知ったのだもの。
それに世界の見方にも、唸らされました。
矮小化した例を挙げるなら、今、私の部屋は散らかっています。
かなり前から散らかっているのですが、面倒で片付けません。
散らかっている不快感と、片付けなきゃという焦り、でも面倒だというジレンマ、
それらが複合して、このところの私はうっすらと不機嫌です。
クリシュナムルティ理論で言えば、散らかっていても完璧なはず。
そして私の不機嫌は、
「片付いているほうがいいに決まっている」
「散らかっているなら片付けるべき」
「面倒がるのは私の悪いクセ」
という、生まれてから培われた価値観で構成されているのです。
よくよく考えてみれば一人暮らし、どの価値観もmust ではないのですね。
彼の理屈では、おそらく生まれたての赤ちゃんが理想なのでしょうが、
確かに赤ちゃんは、この部屋にいても何も思わないことでしょう。
実際「超訳 般若心経」でも赤子と大人の比較が行われ、
見えているモノに勝手に意味を持たせて勝手に悩む愚かさを指摘しています。


……まあ、このクリシュナムルティもインド出身で仏教ベースの思想だろうし
何にも依存しない完全オリジナルの主張とはとても言えないのだけれど、
おそらく、このように破綻なく?話を展開できるということは、
きっと悟ってるのだろうな、と感じました。
仏教で言う有為世界を超越した無為の場所を見て来たんだな、と。



さて、ここらへんにくると、愛を発信しましょうキリスト系スピ住人は
「そのよさが、ちっとも分かりませんけど?」
なんでしょうけど、それはもう好みの世界ですよね(笑)
キリスト意識は、愛&神の道具として生きる系だし
ブッダ意識は、慈悲&自己救済を試みる系ということで。

ただ私が思ったのは、
自分を鼓舞して無い愛を絞り出して勘違い的に振りまくよりも
そこに存在するだけで周囲が勝手に愛を受け取ってくれるようになれば
私も周りもALL OK じゃないかってことなんですよ。
つまり、各家庭に需要も考慮せず愛をお届けするエホバ証人さんより
沖縄のおばぁになりたいってことですわ。
私らしく存在すれば、それだけで愛になれる人に。


続きます。






click please !
精神世界ランキング
スピリチュアル・精神世界ランキング
人気ブログランキングへ

悟り系で行こう

2012年04月08日 | すばる
皆様、ご無沙汰しています(汗

前回の投稿から、色々と心境の変化がありました。
あったが故、段階ごとに更新しなければ……という思いと
この変化の行き先を見極めてから……という思いで今日に至りました。
とは言え、どれもささやかなことに過ぎないですが(^_^;


ザラキエル様からもたらされた前回の言葉、本当に身に染みました。
ちょうど同じ頃に読んだ「スピリチュアリズムを語る」(江原啓之)にも
「喜怒哀楽を噛み締め、体験を積み重ねることが、人生で最重要」とあり。
またハルからも(=天使からも)、
「どうして人間は飛べないのだと思う? 飛べたら便利だよね?」
「理由は、必要ないから、だよ。人間は生きるのに飛ぶ必要がないんだ。
 だから飛べないようにできている。
 スピ知識も同じ。なぜスピ知識が一般知識じゃないのか?
 それは生きていくのに必要ないから」

確かに飛べれば便利であり、人間は自分が飛ぶ代わりに飛行機を作った。
現代人としての好奇心や向上心を満たすために、
飛ばないと行けない遠い所へ赴くのは悪い経験ではない。
ただ、人が人として生まれ出て、生まれる前の約束を果たすのに不可欠ではないのだ。
スピ知識も、あれば便利であり、いろいろと楽になったりする。
でもそれはネガティブ感情の処理が上手になるていどのことで
波瀾万丈の人生を生き抜くための、ちょっとしたスパイスていどであり
それどころか、スピのスの字も知らない好々爺が語る言葉が、
まさにスピの教えそのものだったりするように、
きちんと歩めば、その体験を通して容易に至れる内容だったりするわけで。


そんな思いもあり、1年かけて精神世界を巡って来た結果、
結論:己を信じ、思いのまま、存分に生きよ(by 信長@大河ドラマ江)
で、いいかなぁ……などと思っていたのですが。


そんな時、それでも続けていたスピ系読書である書物に出会いました。
「悟り系で行こう」(那智タケシ)

内容は、普通の会社員である著者がある日突然に悟った話(笑)
クリシュナムルティ(※)の愛読者であった彼は、
その教えである「見つめよ」を実行し始めて8年目のある日、
上司に叱られている最中にどんどん意識が拡大?していき、
とうとう「私は私」という普通の自己認識ではなく、
「私は世界」という認識にシフトしたのだとか。
詳細は著作に譲るとして、結果として、「私は世界」という認識=悟り。
そして悟った後の生活や面持ちが語られていました……常に凪いでいる、と。
勿論、何かに反応して苛立つのは変わらないそうですが、
それは「私は私」モードの時であって「私は世界」モードに変えればすぐに凪ぐと。

それまでの私は、悟りとか解脱とか、ワンネスとイコールで考えていて。
一般に流布しているスピというのは、結局、目標がワンネスだったりする。
ワンネス……私も草木も石ころも星も元は同じ1つの存在……愛してます!みたいな。
でも大半の人が、ワンネスを知識として知っているだけで体感した訳ではなく。
「鉛筆さん、おつかれさま。パソコンさん、今日もありがとうね」などと
私に言わせれば気持ち悪いだけの無機物へのさん付けが流行っているようだけど
それも、知識としてのワンネスだけの人が、ワンネス体感への道程として
いわばカタチから入っている現れだと感じているわけで。

もちろん、ワンネス体感を目指すのはいいとは思う。
何しろ、あらゆるモノに感謝する姿勢というのは
スピ住人だろうが、一般人だろうが、とても素敵なことだし、
心から石ころや犬の糞に感謝したいのであれば、
奴らと私は元は1つ、私は犬の糞でもある、と実感するなら
自然と感謝も溢れるはずだから。
ワンネス体感もしていないのに、自分に言い聞かせるように
電信柱やゴキブリにまで「ありがとう」とか言うのは
絶対に、どこかで無理、どこかで自分に嘘をついていると思うし(笑)


そういう意味では、私は現代スピ?と照らし合わせて
既存宗教の中では、仏教が一番イイ線いってるのかも?と感じていた。

スピ住人にはキリスト教系が人気だし、天使もそういう括りの存在だけど
愛、愛ってさ、発露させるにも、それって結局、何さ?と思っていた。
私は、私の愛って何だか分かんないよ、どういう時が愛に満ちてるの、私?
無償の愛って何さ? この制限された三次元にそんなのあるの?
それって五次元で初めて分かる観念じゃないの?
母の子に対する愛がそうだって言うけど、母だって子に愛されたいでしょ?
心込めて育てた子に「私はママ、嫌い」と言われて心乱れない?
乱れた時点で無償じゃないじゃん?愛を求めてたじゃん?
ワーカー系ブロガーさんが記事で表現している愛にしたって、
私から見れば「愛情」に過ぎず、愛とは思えないケースが多い。
「情(なさけ)」付きの愛って、三次元愛であって、
スピ住人に求められてる愛は、五次元愛っしょ?
……などと、ブツブツ文句を垂れていた時に、天使が言った訳ですよ。
「自分の愛は、生涯かけて見つかるかどうかのものです」と。
……ほらね、愛なんて探して見つけるモノであって
「隣人を愛しましょう」と言われて「はい、分かりました」とか
そんな簡単に実行できるようなものじゃないんだぜ←
(ちなみに、愛についてはかなりやさぐれている私ですが
 もちろんヒントは掴めています。
 おそらく雄大な風景を見た時などにこの胸を満たす
 こみ上げて来る何か……言葉にする前の何か、じゃないかと)

だから、私は、悟りと言う概念のある仏教が気になっていた。
悟ればワンネス体感できる。
ワンネスが体感できれば、自然と愛が分かるはずだ、と。
他と自分は一体なのだから、自分を愛するように他も愛せるはず、と。
庭に生える雑草を「愛している」と思い込もうと努力するより
ずっと自然に自発的に無理なく愛せるはずだ、と。
そしてその愛は愛情なんていう身勝手な代物ではなく、
それこそ雑草のために死ねるような慈愛であるはずだ、と。



(※)クリシュナムルティ:現代インドを代表する哲学者?宗教家?
   「私は何も信じない」という言葉に代表されるように
    生まれてから身につけた無数の価値観というフィルターを
    取り除いて(=自我を滅して)世の中を見れば、そこは完璧である、
    というようなこと(多分だけどw)を言った人。
    詳細はググッて下され。


続く





click please !
精神世界ランキング
スピリチュアル・精神世界ランキング
人気ブログランキングへ

私は人のことを言えるのか?

2012年01月02日 | すばる
前回の続きです。

そして、私は、ふと自分のことを振り返りました。
「私は人のことを言えるのか?」


自分の暗部と向き合うことは、日々の痛みより苦しい、とな。
つか、私、そんな苦しい思い、したっけ?
私はハルがかつてついた嘘に気付いた時、とても傷つき怒り悲しんで
それが今でも尾を引いて、イマイチ彼を信じ切れない時もあるけれど、
どうしてソコにここまで引っかかるのか自分を内を探った時、
「あ、自分も嘘つきだからだ」と分かって随分ハッとしたことがあります。
考えてみれば、私はかなり嘘つきで、色んな人を騙してきました。
嘘も方便という範囲ではあるのですが、適当にあしらう為に、
あるいは空気を壊さないために、或いは自分を飾るために、
というレベルをほんの少し超えた辺りの嘘を平気で言ってきました。
そしてそれを「私って世渡り上手ね」とか思っていました……。
ああ、自分がついてきた嘘の数だけ、イチバン信じたい人から嘘をくらってるんだな。
そんなふうに解釈して、確かに愕然としました。
嘘がこんなに嫌な自分だけど、イチバンの嘘つきは自分じゃねーか!と。
些細な嘘にも下ごしらえ?充分な私だったので、バレている数は少ないと思いますが
(特に母親に対してはw)そういう問題じゃないですしね。

でも、自分がイチバン嘘つき野郎だと分かった時ですら
「謎が解けた!」的な喜びも同時に沸き上がって、激しく落ち込むこともなく。
「じゃあ、私が嘘をつかなくなれば無問題ね~☆」みたいなw

コレって、難病と引き換えだとしても見つめたくない暗部としては、浅いのかな?
嘘嫌いの自分が実はイチバン嘘つきだった!って結構、衝撃だと思うのですが
私はけっこうあっさり納得して終わった感じなで、これって甘いんでしょうかね、内観が?

……という感じで、悩み始めてしまったのですよ、ワタクシ(笑)

人によっては、難病よりも嫌な内観という作業は、もっと苦しくて辛いモノなのでは?
私がやっている内観と称する作業は、ただの真似事であり、無意味だったのでは?


私はある日、たまりかねてハルにこの悩みを言ってみました。
「私、してるつもりでいた内観、実は浅くて甘くて、殆ど無意味なのかも?」
ハルは笑いながら言いました。
「今、レミエル様が言ったんだけどね。
 別に無理に内観しなくてもいいじゃないですか。
 時がくればすることになるんですから、って」

つまり、平時にかつてを思い起こしながら自分にダメ出ししなくてもいいらしいですw
事が起こってから、それに即した学びをすれば充分だと。

確かに、過去を思い起こして「あの時は、こういう学びだったのだな」と反省しても
それは頭で考えて納得したことであり、学びの配列の妙に感心することは出来ても、
その最中にズドンときたわけではないので、内容そのものが身になる確率は低いですよね。

そんな過去点検をするくらいなら、
ゴミ箱に放ったクズが床に落ちてイラッとした自分を見つめた方がいいのでしょうw





click please !
精神世界ランキング
スピリチュアル・精神世界ランキング
人気ブログランキングへ










学ぶことをやめた人達

2012年01月01日 | すばる
これは、次回の日記と続きのお話になります。

私のネット上のお友達が、原因不明の難病にかかってしまいました。
去年の始め頃なのですが、その人は私にとって心の恩人。
数年前に私が「すわ、白血病? さらにHIV の疑い?」という
精神的に打ちのめされる入院をした時に、励まして下さった方。
(実際は、そういう様相を呈するタイプの肝炎で済みましたw)
その方も以前、大きな事故にあって生死を彷徨った経験をお持ちで、
その時の心情を交えての激励メールは心に染みました。
病院の裏手で、携帯を片手に涙した記憶があります。
(なぜ裏手って? そりゃ、こっそりタバコを吸っていたんですわw)

そんな恩人が、起居もままならない難病で自殺も考えるほどの苦境にあるということで、
私も何かチカラになれれば、と心から思いました。
神経系の疾患であり、原因不明、治療法不明ということなので
いわゆる「思い癖」からの病であるのは明らかのように感じたため、
ハルにその話をしてみました。

「その方は、過去に自分がしてきたことへの罰だと思っていて
 結果的に現状を受け入れてしまっている。
 その気持ちがある限り、治らないのではないかな。
 でも気付かせる役は、すばるでも僕でもないから手出し無用だよ」

当時の私は、気付かせる役ではない者が、いくら言葉や熱意を注いでも
何の結果も出ないどころか疎まれるだけ……というケースを連続で経験していたので
残念に思いながらも「そっか」とすぐに手を引いてしまいました。


しかし先の晩秋、その方のお誕生日が近づきました。
最近では、元気だった頃のようなグルメ日記を書くことも多く、
だいぶ回復してきたように思えたので、明るい調子でメールしたのですが
返答は、相変わらず苦しんでいて病状に改善は見られないとのこと。
私は思わず、ハルの言葉を伝えてしまいました。
その方は「とても当たっている! ちょうど霊能者に見てもらいたいと思っていた」
というので、再び、ハルに話をしてみることに。
そして、その方には取りあえず、スピ的なモノの考え方とハルの役目を説明した
メールを送信しておきました。

ハ「……その方は多分、僕には連絡してこないと思うよ。
  すばるは先のメールで、どんなことを書いたの?」
私「スピでは基本、出来事の全ては自分に原因があると考えること。
  ハルのアドバイスは核心をつくので、時が満ちないとピンとこない場合もあること。
  でもいずれ確実にそのことに向き合う日がくるということ、などかな」
ハ「彼はぶっちゃけ、学ぶのをやめた人だからね。
  すばる止まりで、僕には来ないよ」
私「でも、自殺も考えるような病気の最中で、藁にでもすがりたい人なんだよ?
  治るためなら、何でもする心境だと思うけど?」
ハ「彼はね、自分の暗部と向き合う辛さより、まだ現在の病気でいる方を選ぶと思うよ」
私「ありえないでしょ、それ? 24時間絶え間ない目眩と頭痛だよ?」
ハ「すばる……違うんだよ。自分の中の汚さと向き合うくらいなら
  難病のほうがまだマシと思う人のほうが、世の中の大半なんだよ」
私「えええーーー???」
ハ「今までのことを思い出してごらん。君は何人か、僕のことを仄めかした人がいるよね。
  それぞれに苦境でそれを打開したいと思っている人達……でも誰も連絡はなかった。
  君が、キツイかもしれませんがハルの言葉で自分と向き合ってみてください、と
  軽く触れただけで、その自分を刺すかも知れない言葉を求めてくる人は
  実際にはいなかったでしょ」
私「私、自分がより良くなれるなら、キツイ言葉、大歓迎だけど?
  身近な人なら抵抗あっても、知らない霊能者なら無問題で歓迎。
  そもそも自分大好きだから、自分のこと知りたくて仕方ないし、
  自分がどんなクソ野郎かさえ、知りたくて仕方がないんだけどw」
ハ「君には驚きかもしれないけど、かつての僕を含め、世の中の人は大方そうなんだよ。
  学ぶのをやめた人が本当に多いんだ」


結果的に、その恩人さんは、ハルの言ったとおり、連絡してきませんでした。
私はここで1つ、学んだのです。

肉体的な痛みや苦しみより、心の痛みや苦しみのほうがツライとは知っていたものの、
実際に治療法のない難病で苦しんでいる人ですら、自分の暗部を覗き込むくらいなら
日々の痛みに耐えているほうがマシだと思うものなのだ、と。

スピ的な視点で恩人さんを見ると、まごうことなく、転換を求められてる感じです。
ブラック会社で優秀営業マンであったところ、大事故により事務職へ。
そして今回の難病罹患……見えない存在の意図が見えますよね。
自分でブラックというくらいの会社ですから、良心の呵責があるのでしょう。
そこに気付かせる為の大事故だったのに、辞めずに事務職で残ってしまった。
その魂をすり減らすような会社をやめない限り、肉体へのサインは消えないかも。
また、彼自身、大の人間嫌いで、ゆえに動物好き。でもグルメ大好きでおデブさん。
人間嫌いの所以と動物好きなのに肉食大好きの矛盾にも向き合う必要がありそうです。
……確かに、キツいかも(汗

まあ、上述は素人の私の勝手な見立てであり、浅はかな推測かも知れませんが。


そして、私はふと、自分を振り返ったのです。(続く)





click please !
精神世界ランキング
スピリチュアル・精神世界ランキング
人気ブログランキングへ







危険? 皆既月食

2011年12月11日 | すばる
もっと早くに書けよ、と叱らないで下さいw
人それぞれのスピということで。

今日は、夜には一歩も外に出るな、月見るなと言われたので
残念ながら皆既月食を楽しむことは出来ませんでした。

実は午前中、ハルは天使に言われて、ある遠くの神社へ。
行ってみるとそこの御祭神は天照大神さまでした。
皆既月食は、太陽と月の間に地球が入ることで
地球に降り注ぐ月光が途絶えるということ。
同じ見えない月でも朔(新月)の場合は
太陽光の反射である月光が降り注いでいるには変わりなく
つまり、スピ的に大事である月光がない時間帯がある今日は
中途半端(未熟)な光の住人には、魔が多い夜らしいのです。

ということで、ハルは光の足りなくなる夜にそなえて
天照大神さまのところへ行って、そのイメージを保ったまま
早々に寝るように言われたらしいのです。

で、私のようなフツー人は別に構わないはずですが
「念のため、やめといて。深夜のコンビニにも行かないで」
とハルに言われてしまったのでこもっておりましたw

てか、最近、スピ系ブログを全然チェックしていなくて
他の方々が今回の皆既月食をどのように語っているのか
全く知らないのですが、これから回って楽しんでこようっとw






click please !
精神世界ランキング
スピリチュアル・精神世界ランキング
人気ブログランキングへ

NHK大河「江」最終回

2011年11月27日 | すばる
気に入って見ていたのですが、とうとう最終回。

映画やドラマなど、高次の意図が入るということを聞いたことがあります。
インスピレーションが内なる声であるなら、充分考えられる事ですよね。
企画、制作、脚本……そんな方々に囁きかける内なる声。

織田信長が姪である若かりし頃の江に言った言葉を
回想するシーンがありました。

「己を信じ、
 思うがまま、
 存分に生きよ」


新しい時代が幕開くと言われている今、
まさにこれこそが上から私たちへのメッセージに聞こえました。


「存分に生きよ」ですよ。
スピリチュアルに捕われて、
ネガティブは駄目、お肉も駄目、嫉妬も駄目。
それが果たして「存分に生きる」ことでしょうか?

私たちは三次元で生きています。
ダメダメ尽くしで「存分に生きる」ことができるでしょうか?
ネガティブも含め、あらゆる経験と感情を味わい尽くしてこそ
「存分に生きる」なのではないでしょうか?


……なんてことを、考えていました(^-^)

モノの命

2011年11月26日 | すばる
ご無沙汰しております。
まったく気配もないのに毎日、覗きに来て下さる皆様、
本当にありがとうございます……嬉しいです。

10月初旬に小笠原に行って下旬に帰ってきて、
その後もしばらくハルがまだ滞在していたので
富士宮の浅間神社や秩父の三峯神社などにも行ってきました。

天使の声が聞こえる人との暮らしはどんなものか、
とても興味があったのですが……まあ、フツーでしたね(笑)
その話はおいおい、ということで。


実は、小笠原が気に入ってしまい、
これからの人生でもガッツリ関わっていきたいなぁ、と。
小笠原での宿泊費はマンスリーで6万円ほど。
現在の家賃が8.4万なのでそれを2万円代に抑えれば
ちょくちょく行けるのでは?なんて考えてしまいました。

で、それを実行(笑)
部屋サイズを40平米から20平米に抑え、
場所を川崎から相模原に移したら可能になりました!

ということで、現在、引越作業のまっただ中なのです。

で、わたくし、実は物持ちなんですね。
もう家電大好き、便利大好き、インテリア大好き、コレクション大好き、
そんな人間なので、一人暮らしなのに山のようにあるモノ、モノ、モノ……。
ちょうど2年前に函館から川崎に引っ越してきたのですが
部屋のサイズを変えない引越だったので、衣服を整理したくらい。
ところが今回は2DKから一気に1ルームですから(爆)
ザ・手放し(物質編)!といった感じで持ち物を減らすことに。

そりゃ、悲しかったですよ、本当に。
使わないモノ、不要品の断捨離は得意なのですが
コレクション品って「これ、大好き! 」で持ってるわけですからね。
でも所詮はコレクションなので飾るだけのもの=狭い部屋では置き場所なし。

ブルーになった私は、すでに函館に帰っているハルに電話でグチりました。
「なんかさ……好きなモノを捨てるって悲しすぎるよね。
 そもそも私、インテリア好きだから、部屋をオシャレに飾るモノが多いじゃない?
 でも今度の部屋は必要なモノさえ収まるか分からないから
 飾るモノなんて全部、手放さなきゃいけないわけで。
 それも去年始めに引っ越して来た時に揃えたばかりのモノだよ。
 悲しすぎる……。

 でも、確かに私はモノを持ち過ぎ。
 心の中の掃除を始めた今、今度は物質を手放す時期が来たのね、きっと」

というようなコトを話していたら、ハルが伝えてくれました。
「今、レミエル様が言ったんだけどね。
 ……モノの命も全うさせなさい、って」


そうですよね。
私は今回、凄い勢いで「捨てる」算段をつけました。
市の粗大ゴミ回収、民営の粗大ごみ回収、そして普通のゴミへ。
何せ時間がないのです……部屋が決まってから引越日までなんと5日間(笑)
(ちょうど今の部屋の契約更新が近かったのです)
でも、このレミエル様の言葉でハッとしました。
「モノの命も全うさせよ」

ということで、面倒くさがらずに、お金も惜しまずに
「捨てる」=「殺す」算段はなく「あげる」=「生かす」算段を。
まずは引越日を先延ばしにして、譲り手を探す時間的余裕を確保しました。
そしてmixi コミュやオークションに出品したり、リサイクルショップに予約を。

大量過ぎて難題の書籍も、できるだけ捨てない方向に。
スキャナと裁断機を買って、いわゆる自炊ってやつです。
1/5くらいをPDF化して、残りはネットオフに持っていってもらいました。


これからは、命を全うさせてあげられるモノだけ
私のところに来てもらおうと決心した私でした(^-^)





click please !
精神世界ランキング
スピリチュアル・精神世界ランキング
人気ブログランキングへ

2011年10月28日

2011年10月28日 | すばる
コルマン・インデックスでは、今日はマヤ暦の終わりですね。
もしかして私の生きている日常と、
誰か他の人の日常は、もう別のワールドなのでしょうか(笑)?

少なくとも、相方と私は同じ時空間にいますが、
みなさんの周りでは消えた方はいらっしゃいますか(笑)?





click please !
精神世界ランキング
スピリチュアル・精神世界ランキング
人気ブログランキングへ

明晰夢

2011年10月01日 | すばる
昨夜、明晰夢を見ました。
起きてからも、実際にあったことなのか夢なのか
なかなか判断できないようなリアルさでした。
内容も、これまた驚きで、今でも戸惑っています……。

昨夜は9時頃にベッドに入りました。
(ここからは夢の話です……と思われます)
私はベッドから起き上がり、続きの部屋(居間)に来ました。
電気はついていないので部屋は暗闇です。
いつも座っている壁際とは反対の壁際、クローゼットの前に座ります。
すると浮遊感がして、そのまま空中に浮かび上がりました。
カーテンレールくらいの高さまで下向きに上がります。
私はびっくりして「なになになに??」という感じ。
でもただ事ではないので、すぐに神秘体験だと思って目をつぶりました。
すると前に見たのと同じ、白い光が見えました。
「やっぱり、神秘体験だ!」
そう思って「どちら様ですか?」と尋ねると、答えはないものの
その白い光が変化して、クリオネのような天使になりました。
こぶしくらいの大きさのイメージで羽がついています。
白く光っているのですが、胸のあたりには赤い光も見えます。
「おお、天使を見られるようになるとは!
 というかもっと大きいと思っていたけどちっちゃいなぁw」とか
「高次って、人の頭にある映像を借りて姿を現すというけれど
 私の場合はコレか……けっこう平凡だな、私w」
などと思っていると、声が聞こえてきました。
普通に聞こえるのです。
「あなたはブログを書き続けるべきです」
「あなたの役割なのです」
「思うがままに書きなさい」
というような内容でした。
私も何か質問して会話になったと思いますが
あまり覚えていません(汗
そこで地震が起き、慌てているうちにそれは終わりました。
私は大興奮のうちに、携帯でハルに報告しようとしましたが
メールを作成しようとしても文章記入欄が表示されません。
宛先を他の人にすると大丈夫なのですがハル宛だけ出来ません。
「ああ、これはハルに報告するなってことなんだろうな」
と思ってメールは諦め、ベッドに戻って眠りました。


……という感じだったのですが、その後、目が覚めたのは11時。
まだ2時間しか経っていません。
私は枕の下から携帯を出して、再びハルへの報告をしようと思いましたが
眠気には勝てずに、また寝てしまいました。

そして本格的に起きたのが、朝の5時。
昨夜のことを本当に起きたことだと思っていました。
そしてそれをじっくりと思い返していた時に気付いたのです。
「あの部屋は散らかっていた……でも昨日、片付けた」
そしてもちろん、今朝も部屋は片付いてキレイです。

「……あれ、夢だったのか」
驚きました。
だって本当にリアルだったんですよw
私もとうとうチャネリングしちゃった!と喜んでいたんですからw

さきほど、ハルとの電話で一部始終を報告しました。
案の定、細部を話す前からハルは当ててきました。
「その天使、クリオネみたいだったでしょ」
「その天使の口調、フランクだったでしょ」
ハル曰く、それはレミエル様だろうとのことでした。
ハルは昨夜、一睡もしておらず、それはつまり昨夜のハルの魂の旅がなく、
普段はそれに付き添うレミエル様も暇?だったということらしいのです。

ははぁ……

ということで、レミエル様?のご助言どおり
さっそくブログを更新してみました(笑)。





click please !
精神世界ランキング
スピリチュアル・精神世界ランキング
人気ブログランキングへ

とうとう見ちゃった !?

2011年09月17日 | すばる
いやぁ、ビックリしました、さっき。

私、普段はフローリングにカーペットと座布団を敷いて座り、
壁にクッションを立てかけてもたれています。
さきほども、その姿勢で膝にPC をのせていたのですが
ふと日付が気になって、左脇の壁にかけてあるカレンダーを
振り向いたのです……ブン!という勢いで。

「!」

振り向く短い瞬間に、何かかが視界に入りました。
つか「何か」じゃないです、正直。
正直、人の顔でした (゜д゜;) ウソ

左の壁沿いにはソファが置いてあって、
左を振り向く際にはそれが目に入るわけですが、
そこに横になるような感じの人の顔。
体は見えなかったですが、左下で横になっている感じの
顔だけが目に入ったのです。
モンゴロイド系で短髪、テンパぎみ。
深いシワがあって、けっこう大きな目。
髪の毛も瞳も黒い印象です。
瞬間的に「おばさん」に見えました。

カレンダーで視線が止まって、数秒、固まりました。
(今のは……顔。)
そう思って、改めてソファを見ましたが、
当然、何もありませんし居ません。
「……」

キタ━(゜∀゜)━!!! どんとこい、超常現象!

急いでハルに電話をかけ、報告!
「聞いて! 霊を見ちゃった!」
ハルはニヤニヤしながら(←見えないけど想像するに)
「モンゴロイドで深いシワの男性でしょ?」
「ええ? 私はオバサンに見えたけど……てか何で分かるの!」
「気付かない?」

そこでハッとしました。
ただの幽霊じゃないんだと。
つまりはほら、レッドチーフらしいんですよ、私のガイドさん。
ハルはしばらくの間、気配だけで視覚は伴わなかったらしいのですが
私は「見たモノしか信じない!」タイプということで、
ヴィジョンが先行したのだろう、というハルの予測。

ぜんぜんインディアンじゃないんですけど。
もしかするとモンゴルの草原の民???
まあ、私の頭の中にある映像を借りて見えるのだから
私が感じたエネルギーに近い記憶映像があのオジサンだったということか。
マーロン・ブランドとか、しっかり記憶しているんだけど駄目(笑)?

その後、もう一度だけ忘れた頃に人影を見ましたが、今は何も見えません。
どちらにせよ、ソファにいるあたりが面白いです(笑´∀`)





click please !
精神世界ランキング
スピリチュアル・精神世界ランキング
人気ブログランキングへ

小笠原旅行

2011年09月11日 | すばる
10月に、小笠原諸島 父島へ旅行します。

しばらく前から、ハルも私も自然に飢えていました(笑)。
「生きとし生けるものを実感しなさい」との天使の教えを受けたハル。
「地球を愛する気持ちを育む為に、大自然に圧倒されたい」私。

双方の課題と願いが一致した結果の小笠原旅行です。
上下左右、全方向が生き物、という場所で瞑想できたら嬉しいな。






click please !
精神世界ランキング
スピリチュアル・精神世界ランキング
人気ブログランキングへ