水郷町の八重桜が満開です゜+.゜( ̄  ̄人)゜+.゜
356号線の利根川側に一本入った市道の片面に植えられているのですが、途中から枝垂桜、次に吉野桜が道路側にあるので、満開の八重桜はすでに葉桜になってしまった桜に隠れてしまっています。まだ歩いたことがないのですが、双方の桜の中は遊歩道になっているんです(= ̄ー ̄=)
八重桜は子供の頃の思い出があって、父が敷地の周囲に植えていました。日本の桜は吉野桜が基準ですから、シーズンを過ぎたら桜の話題は終了・・・やっぱり春を告げる吉野桜の後は影が薄いのですねぇ~でもね、その後に何枚もの花びらが重なって、もっともっと濃いピンクで咲き乱れるんですよぉ~私は毎年懐かしさを感じながらこの八重桜を楽しんでします(o^―^o)ニコッ。
3月末から香取市内で土蔵の解体を行いました。築155年だそうです!155年前って江戸時代?調べると1856年(安政3年)幕末の時代です。解体をお願いした業者は、厚い壁の土蔵を解体するにはかなり手こずっていました。そしてやっとやっと建物が撤去されると、なんと!床下から貝殻が原形のまま大量(半端ない量)に出てきました。ここって155年前って海?そんなはずはない・・・
どうして貝殻が大量に敷き詰められたんだろう?調べてみました。
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修復の過程で、写真に示すとおり床下から大量のシジミの貝殻が発見された。この修復に携わった中津川督章氏によると貝殻の量は2トン積みトラックに一杯を超える量であったという。貝殻はマシジミではなく、汽水産ヤマトシジミのものであることが判明した。床下にシジミ貝殻を大量に敷き詰めた理由としては、調湿のためであると推測されている。「120422.pdf」をダウンロード
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上の内容は「手賀沼マシジミ・ガシャモクだより」の中から9ページを抜粋したのですが、江戸時代末期の我孫子市井上家の土蔵の修復作業の時に大量に出てきたシジミの貝殻の記事です。画像を見ると貝殻が茶色で、同じシジミのように見えます。調湿のためであると推測・・。棟梁の知識・采配によりシジミが活用されたものと推測され・・・
とありますが、同じ時期に建てられ同じように土蔵の下から出てきたしじみ、我孫子から佐原、この棟梁の采配だけでどの地域まで広がっていたんでしょうか?検索したら突き詰めたくなるような興味深い出来事でした。
今日はワンコ達の狂犬病の予防注射の日でした。生憎の雨・・参ったナァ~どうやって5匹を連れていこう?おまけに町内の公民館の所要時間はたった30分!私にとってはかなり過酷の30分になりました(@△@;)。
まず娘と4匹のMダックスを車に乗せ(乗せるだけで大騒ぎ)到着してからハガキを渡しお金を払い、降りしきる雨の中1匹づつ抱えて注射をすることに、続々と外に集まっているワンコ達の吠える声で車の中では「外に出せ~ぃ!」とワンワンキャンキャン暴れまくっているし、ハァ~やっと4匹が終わった~車も洋服も毛だらけ・・・後はモナだけだ。モナは車にも慣れているので移動は楽々、注射も難なく終了。一日のエネルギーを午前中使い果たしたようでしたε-(;-ω-`A) フゥ…。