今日は模試二日目でしたが、家に帰ってから昨日の模試をやっていないため平日中に昨日受けていない模試をやらなければなりません。
「ゆうきゆう」の本で人間がネガティブなのは進化の過程で仕方ないという例で旧時代の人間がマンモスを狩るとき、マンモスを狩ろうとした人物はポジティブだが、マンモスに殺され、マンモスから逃げたネガティブな人間は他の場所でチャンスを手にして生きたため人間はネガティブなのだと、、、
ただこれって逆のことでも言えません?
ポジティブな人間だけが生存戦略で残ることもあるため、上の例は正しくないのではないでしょうか?
さあ!誰か私を轢いてくれ!
ということで、積極的自殺をして失敗してしまうと病院に入れられてしまい自殺するのが困難になってしまいます。「死ぬ」ということを目標にするならば消極的自殺をした方が理にかなっていると私は考えています。
そのため、横断道路を通るときに私は左右を見ないでスピードをつけて自転車で通ります。そのとき私は「さあ!誰か私を轢いてくれ!」などと思いながら通っています。これは学校に行く時でも同じです。
主体的に生きるとは何ですか?
何をしたら社会的に生きている と言えるのですか?
私はそういう面でいえば受動的に生きていると言えます。「生きている」のではなく「生かされている」もう少し踏み込んでいえば
「生きていない、死んでいないだけ」だと思います。
こういうことを言うのは不謹慎だというのは分かっているのですが。
能登半島地震のような大規模地震の震源が自分の家の真下で起きていることを強く望みます。その際に死なない程度に痛めつけるのはやめてください。
やるなら、やる完璧に殺してください。
おやすみなさい。