遠見山古墳は復元すると88mの墳丘長が見込まれる大型前方後円墳で、総社の勢力が上毛野内においてスターダムにのし上がるきっかけを作った最初の有力者が眠っています。
到達容易
墳丘登頂可能
説明板あり
お勧め度:
*** 本ページの目次 *** 1.基本情報 2.諸元 3.探訪レポート 4.補足 5.参考資料 |
1.基本情報
所在地
群馬県前橋市総社町総社1386-2
現況
墳丘登頂可能
史跡指定
出土遺物が見られる場所
総社歴史資料館にてパネル展示が見られる
2.諸元
築造時期
5世紀後半(『群馬の古墳物語 上巻』)
前方後円墳集成編年:8期
墳丘
形状:前方後円墳
墳丘長:70m、後円部径39m、高6m、前方部幅31m、高5.5m(前方後円墳データベース)
段築:
葺石:あり
埴輪:円筒Ⅴ式、器材型埴輪
主体部
不明(築造時期からすると竪穴系)
出土遺物
周堀
あり
3.探訪レポート
2015年5月4日(月)
この日の探訪箇所
総社二子山古墳 → 総社愛宕山古墳 → 光巌寺 → 宝塔山古墳 → 蛇穴山古墳 → 総社城跡 → 遠見山古墳 → 山王廃寺跡 → 上野国分尼寺跡 → 上野国分寺跡 → 妙見寺および妙見社 → 上野国府跡 → 蒼海城跡 → 宮鍋神社 → 大友神社 → 総社神社 → 石倉城跡 → 王山古墳 → 前橋城跡 → 前橋八幡
⇒遠見山古墳の前に訪れた総社城跡はこちら
城川公園にある総社城の説明板から今度は南の方向に向けて、住宅街の中をニョロニョロ歩きます。
すると、遠くに墳丘らしきものが見えました。
あれに違いないので、ショートカットして空き地を進みます。
ところが畑の跡のような感じで、足がかなり土に埋まります。
トレッキングシューズを履いてきてよかった・・・
墳丘の前に来ました。
きれいな花が咲いていますね。
どういうわけか、古墳と花ってとても良い組み合わせに思えます。
あ、でもこの花は墳丘に咲いていたものではなく、古墳の敷地内に咲いていた花です。
説明板があります。
では墳頂に登ってみましょう。
遠見山古墳は現況では墳丘長70mほどの前方後円墳ですが、復元すると88mの大型の前方後円墳となります。
見た感じでは、墳丘の形状は前方部が低くなっていますねえ。
主体部に関しては調査がされていません。
墳丘から周溝跡を見下します。
周溝は10mから20m程の幅で残っているそうです。
現地の説明板では6世紀初頭ごろの築造と推定していますが、墳丘の形状を見るともう少し古いような印象を受けます。
それではここで一旦総社古墳群から離れて、直線距離で1.5kmほど南西にある山王廃寺跡へ向かいましょう。
4.補足
2020年4月3日
遠見山古墳や総社古墳群の各古墳の築造時期は、総社二子山古墳のページの「4.補足」でも述べている通り、現在ではこのような構築順と考えられています。
※『東国の雄 総社古墳群』より転載
総社古墳群にはこのあと何度も訪れているものの、遠見山古墳はこの時しか訪れていないので記憶が確かではないのですが、自分でも前方部が低いとレポートしていますから、王山古墳より前と考えるのは自然ですね。
以下、『総社古墳群範囲内容確認調査報告書Ⅰ 遠見山古墳の調査』(前橋市教育委員会/編)の記述を元にいつくか興味深い点を羅列します。
一段目の斜面全体に葺かれていた葺石には、保渡田八幡塚古墳の復元で私たちが見ることができる縦位に目の通った石列は確認されませんでした。
埴輪列に関しては確実なものは見つかっていませんが、存在した可能性があります。
周溝は二重の可能性が高いですが、中堤や外堤は見つかっていません。
主体部を突き止めるためにトレンチを入れましたが、痕跡すら見つかりませんでした。
墳丘の構築方法は、いわゆる「西日本工法」。
この報告書は2020年3月に発行されたばかりの最新のもので、私もまだざっとしか目を通してないので、もう少し詳しく読んでみようと思っています。
5.参考資料
・現地説明板
・『群馬県史 資料編3 原始古代3』 群馬県史編さん委員会/編 1981年
・『群馬県史 通史編1 原始古代1』 群馬県史編さん委員会/編 1990年
・『東国の雄 総社古墳群』 前橋市教育委員会/編 2017年
・『群馬の古墳物語 上巻』 右島和夫/著 2018年
・『総社古墳群範囲内容確認調査報告書Ⅰ 遠見山古墳の調査』(前橋市教育委員会/編) 2020年
・「国指定文化財等データベース」 文化庁
・「前方後円墳データベース」 奈良女子大学