日本史大戦略 ~日本各地の古代・中世史探訪~

列島各地の遺跡に突如出現する「現地講師」稲用章のブログです。

北ノ作古墳群 附 生まれ故郷みのり台探訪|千葉県柏市・松戸市 ~下総における最古級の古墳の一つ~ 【故郷下総古代史探訪 ⑦<最終回>】

2020-01-03 16:29:50 | 歴史探訪
 ⇒前回の記事はこちら

 佐倉市から柏市へ向かいます。

 でも次の古墳を見る前に寄っていきたいところがあります。

 白井市内にある祖母のお墓です。

 古墳、つまり他人様のお墓ばかり行っていて全然自分の親族の墓参りをしていないので、雷電號があるうちに行ってこようと思います。

 おばあちゃん、久しぶり。



 稲用家と書いてありますが、松山ともあります。

 でも祖母は元々は豊丸家出身です。

 いろいろあったんですよ。

 墓石に彫られている家紋は稲用家とは違います。

 稲用家は藤原・工藤・伊東の流れなので木瓜です。

 またしばらく来れなくなると謝り、遺跡めぐりの続きをします。

 ちなみに、祖母の墓がある場所は縄文や古代の集落があった場所で、墓地として整備される前に発掘調査がされて、その発掘調査報告書も持っていますし、お墓の管理棟には遺物の展示もありますよ。

 ところで、時刻は13時半を過ぎましたが、まだ昼を食べていません。

 ローソンに寄って休憩しますが、夜のラーメン代を取っておきたいので、昼はこれだけで我慢です。



 ローソンで売っているこのパン、美味しいですよ。

 というわけで、本日最後の古墳がある旧沼南町にある北ノ作古墳群へ向かいます。

 いつものごとく脳内をナヴィに支配されながら、遺跡の近くまで来ました。

 お、猫ちん!



 白猫なので日光を受けて身体が光っています。

 ここが入り口ですね。



 標柱が立っています。



 それでは林の中へ行ってみましょう。



 右側には墳丘らしき高まりが見えてきましたよ。

 一段高い場所へ登ると、説明板が見えました。



 到着。



 ここにも調査の経緯が簡単に書かれていますが、1号墳は昭和34年の調査では円墳とされ、2号墳は昭和35年の調査では前方後円墳とされたのです。

 ところが、平成6年の調査により、それぞれ方墳、前方後方墳ということが分かりました。

 墳丘平面図を見ればわかる通り、1号墳は方墳と言っても、周溝が全周しておらず、一片の中央に陸橋部分があることから前方後方墳になる一歩手前であることが分かります。



 説明板には1号墳の出土遺物の写真がありますが、土師器のデザインは在地のものではないですね。



 「土師器」という文字の上の高坏は濃尾に出自を持つ元屋敷系高坏で、濃尾の廻間Ⅲ式前半に併行するものと考えられています(『千葉県の前期古墳』)。

 こちらが1号墳です。



 墳頂に登ってみますが、なんだかよく分かりませんね。



 1号墳の築造年代に関しては、市原市の神門3号墳と同じころとされ(『千葉県の前期古墳』)、比田井克仁氏は、3世紀第3四半期としています(『関東における古墳出現期の変革』)。

 神門古墳群に関しては、神門5号墳のレポートがこちらにありますが、古い順に5号墳、4号墳、3号墳と築造され、現在でも5号墳を見ることができます。



 ※神門5号墳。

 1号墳から2号墳を見ます。



 では降りて2号墳へ行ってみましょう。

 こちらが2号墳。



 手前が前方部で奥が後方部です。

 周辺を見てみましょう。



 後方部の裾側から前方部を見ます。



 墳丘に上がってみましょう。



 説明板に書いてある通り、この2号墳は墳丘長30mの前方後方墳です。

 でもこの古墳たちが関東の古墳時代の幕開けを探る上ではとても重要な古墳なんですよ。

 1号墳と2号墳のどちらの方が古いか考えた場合は、出土遺物からはほどんど年代差はないですが、墳丘デザインから見ると1号墳の方がやや古いかも知れません。

 いや、同時期かも知れないなあ。

 時代的には先ほど見た飯郷作遺跡と同じころなので、下総の最古級の古墳で現在見ることができるものを探すと、飯郷作遺跡とこの北ノ作古墳群がツートップとなるのです。

 この古墳もずっと見たかった古墳なので、こうして見ることができてとても嬉しいです。

 これで今日の歴史探訪の目的は果たしました。

 ところで、さっきの猫ちん、いるかな?

 ありゃ、違うのもいる。







 この子は逃げもせず、さりとて寄ってくることもせず・・・





 あ、獣道発見。



 さて、歴史探訪は終わりますが、もう一つ所用を済ませる必要があるので柏市内をさらに北上します。

 おー、超久しぶりの手賀沼!



 中学生の頃はよく自転車で手賀大橋近辺まで魚釣りに行きましたよ。



 手賀沼には雷魚がいるということでしたが、ついに私は一度もお目にかかれませんでした。

 さて、到着したのは柏市内にあるエアコン資材の専門店。

 ここは買取もやっています。

 5年くらい前にエアコン掃除用に高圧洗浄機を買ったのですが、車もなくなるので活躍の場はもうないと考え、売ることにしました。

 店に入ると店長さんがニコヤカに出迎えてくれて「コーヒー飲みますか?」と言って、温かいコーヒーを出してくれました。

 美味い。

 店長さんは「もう使わないんですか?もったいないですね」と言いつつ、予想以上の値段で買ってくれました。

 助かった・・・

 というわけで、今月残りの生活費を手に入れ、つづいて松戸へ向かいます。

 でも柏から松戸って道路がめちゃくちゃ混むんですよね。

 しかも日曜日の午後ですからなかなか進みません。

 運転中、朝連絡した石井からメールがあって、他の友達に声を掛けたら川又も来てくれるということでした。

 石井の家の近くには加藤や学も住んでいますが彼らはこれず、伊藤は今はちょっと遠い所に住んでいるので無理でしょう。

 というか、私が急に思いつきで来たので、即時対応できる人は限られていますよね。

 ようやくにして、16時に松戸市稔台に到着しました。

 ここは私が生まれてから小学校に上がる直前まで住んでいた町です。

 松戸市内の別の場所に引っ越した後は訪れた記憶がないので、もしかしたら訪れているかもしれませんが、記憶の中では40年ぶりとなります。

 当時住んでいた賃貸マンションの前はバッティングセンターだったんですが、行ってみると駐車場になっていました。

 ここに車を停めて散策開始です。

 当時住んでいたマンションはまだ健在でした。



 40年前も子供ながら古いマンションだなあと思っていたのですが、あれからさらに40年も経ってまだ建っているのですから凄いですね。

 ただ、あまり人は住んでいないようでした。

 駐車場には一台も車がありません。



 我が家は一番奥を借りていて、何を考えたのか、父のセリカの屋根の上に登って遊んでいたことがあり、父に見つかり偉く怒られました。

 1階は店舗ですが、シャッターが閉まっています。



 ただ、事務所だったり居酒屋だったりで、借りている方はいるようです。

 昔は一番奥がオモチャ屋さんでよくトミカを買いに行きましたし、手前には同じ3階に住むミーちゃん家の寿司屋がありました。

 確か名前は「亀寿司」だったと思う。

 ミーちゃんは3歳くらい上でしたが、かなりはっちゃけた女の子でいろいろやられました。

 当時は子供もたくさん住んでいて、トモちゃん・ナオちゃんの姉妹や、みゆきちゃん・よっちゃんの姉弟ともよく遊んでいました。

 家族ぐるみで旅行に行ったりもしましたし、当時は賑やかでしたよ。

 この店舗が並ぶ上は庇がありますが、当時、2階の廊下の柵を乗り越えて庇に乗っかり、そこから銀玉鉄砲で通行人を狙撃して遊んでいたのですが、ある日、運動神経の悪い私は柵を超えるときに庇側に頭から落ちてしまい、大量出血して大ごとになったことがありました。

 そのときは2階のどこかのお父さんが救出してくれたのですが、変ないたずらをしているとバチがあたるんだなあと身をもって知ったわけです。

 さて、このマンションは新京成のみのり台駅から徒歩3分くらいで非常に良い立地なのです。

 みのり台駅へ行ってみましょう。

 マンションの隣はスーパーのタイラヤになっていますが、往時はヤマザキパンや洋食屋の「するが」がありました。



 「するが」のハンバーグが大好きで、私の中でのハンバーグのデファクトはいまだに「するが」です。

 タバスコの瓶の蓋に付いていた液体を指にとって舐めてその辛さに驚き泣いた記憶もあります。

 通りに出るとマンションがあります。



 往時は1階の角には不二家が入っていて、レストランと呼ぶほどじゃなかったかもしれませんが、店内に食べる場所もありました。

 よくケーキを食べに連れて行ってもらい、わざとホッチキスを自分の指に当ててパチンして怪我したことがあり、その後連れて行ってもらって痛さを紛らわせたことも覚えています。

 うちによく来ていた東邦生命のおばちゃんは、そこでちょっと高めのチョコレートを買ってきてくれることがあり、とても嬉しかった記憶があります。

 なお、メインの通りを駅と反対方向へいくと、当時はセイフーというスーパー(のちにダイエーに吸収)があり、一時母はそこでパートをしていましたが、今はマンションとなっています。

 メイン通りを駅へ向かいます。

 最近知ったのですが、古代の東海道はだいたいこの通りを通っていたんですよね。



 みのり台駅に到着。



 新京成も随分とカッコよくなりました。







 みのり台駅から松戸方面を見ると、隣の松戸新田駅のホームが見えます。



 隣の駅が見えるということでちょっと有名なんですよ。

 ちなみに、今でも新京成の駅名は全部言えますが、松戸新田の次は上本郷で、その次は松戸です。

 今は高尾に住んでいますが、みのり台の方がよっぽど東京に近いですね。

 しかし、みのり台駅の近辺は賑やかでいいです。

 松戸は人の多さでは負けませんから。

 さて、一旦先ほどのマンションまで戻り、今度は当時遊んでいた公園や通っていた保育園に行ってみようと思います。

 この道だ。



 公園の手前が登り坂になっていた記憶があるのですが、改めてみると谷地地形になっています。

 いったん坂を下ります。



 ここを登ると公園があるはず。

 あったー。



 あれ、こんなに狭かったっけな?



 しかも思っていたより家から近いです。

 公園に入って右手側が少し地形が高くなっていた記憶がありますが、そのままでした。



 紙芝居屋さんが来たこともあったなあ。

 当時遊んだ砂場も健在です。

 祖母や従兄弟が公園のすぐ近くに住んでいて、従兄弟たちともよくここで遊びました。

 私は妹がいるので一応は兄なのですが、小さい頃は従兄や従弟ともよく遊んでいて、よく従兄には我がままを言って甘えていました。

 私の面倒を見るのは大変だっただろうなあ。

 祖母は共同トイレの風呂なしのアパート(「市川荘」だったような)に住んでいて、遊びに行くと昼でも酔っぱらいのおっさんと出くわしたりして怖かったのですが、さすがにそのアパートはもうありませんが、それと同じくらい古そうなアパートは1軒残っています。

 重要文化財級だな。

 ここから保育園へは一本の道で繋がっていたのですが、今はその道がなく、マンションの敷地になっています。

 でも通れそうなのでお邪魔します。

 保育園に到着!



 そうそう、保育園の向こう側も地形が落ちていたのを思い出しました。

 というか、こんなに近かったっけ?

 たまたま、保育園の向かいに住んでいるおじさんが出てきたので「40年前、ここに通っていたんですよ」と声をかけ、私が卒園したあとの保育園の歴史を簡単に聞くことができました。

 ということで、そろそろタイムリミットですね。

 多分40年ぶりとなる、幼少時に過ごした街の探索は当然ながら懐かしかったし、楽しい感じもするしその反面寂しい感じもするし、何とも言えない気分になりました。

 ではつづいて、船橋市へ向かいます。

 20代後半くらいまでは石井の家にも行っていたのですが、何十回も行ったのに、近くまで行ったら場所が分からくなりました。

 電話して場所を教えてもらい到着。

 そうしたら、同じくこちらへ向かっていた川又から「道に迷った」と連絡があり、石井を乗せて川又を迎えに行き、そのままラーメン屋へ向かいました。

 石井の家の近くにはラーメン屋とタイ料理屋が合体した面白いお店があるということで、私も最近タイ料理が食べたいと思っていたのでそこに決定。



 私は味噌ラーメン。



 今日は車で来ていますから酒は飲みませんし、元々二人は酒を飲まないので、ノンアルコールでタイ料理。



 タイ料理の分は川又が出してくれるそうだ。

 ありがたい。



 しかし、二人とも突然の訪問なのに会ってくれてありがとう。



 タイ料理、美味い。

 食べたいものを食べられるって幸せですね。

 食後は、石井家へ移動して、昔からよく遊んでいた部屋でおっさん3人で遊びます。

 何をして遊ぶかって?

 YouTube鑑賞!

 昔はよく石井の部屋でいやらしい映像を見ましたが、今はもうそういうのは見ませんよ。

 基本的に高校時代の友人はみなオタクで、石井と川又は超合金の話で盛り上がり、昔のロボットアニメの超合金(何万もする)を組み立てる動画を見て喜んでいます。

 そんな感じで意外と時間が経つのは早く、22時になったのでそろそろ私は帰ろうかと思います。

 雷電號で川又を自宅近くまで送り、コンビニで少し休憩して、さあ帰ろうと時計を見たら22時45分。

 帰りも下道ですよ。

 夜中なので都心も走りやすいですが、都心のタクシーはエグイ運転をしますね。

 私も負けませんが。

 ちょうど0時頃、新宿駅の南口を通過。



 新宿を超えると、自身のテリトリーに近くなるので気持ち的に楽ですし、ナヴィも必要ありません。

 夜中の甲州街道を走り屋さんの車を煽りながら、こういう遊びができるのも今日が最後だなあと感傷に浸ります。

 1時15分、自宅に到着。



 雷電號は明日(正確には本日)の午後、引き取られていきます。

 3年3ヶ月で2万3000㎞ほど走りました。

 雷電號のお陰で歴史の調査もかなり進展しましたし、いろいろな人を乗せて楽しい思い出もたくさんできました。

 雷電號、本当にありがとう。

 つぎの持ち主にも可愛がってもらってね。

 (了)


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