⇒前回の記事はこちら
つづいて下野薬師寺跡へ向かいますが、その途中にある古墳を一基見ていきましょう。
ありました。
ここですね。
御鷲山古墳。
広い基壇を有した下野型の前方後円墳で、墳丘長は63mですから中型の前方後円墳と言えます。
築造時期は後期後半。
古墳時代後期になると、関東でも横穴式石室が一般化しますが、石室は南向きに開けるのが普通ですので、この時代の前方後円墳は東西軸の方向で造られることが多いです。
しかも下野型は前方部に主体部を設けるという他の地域とは違う独特な思想を持っており、この古墳も前方部側に主体部があります。
私は前方部側に来たようです。
では墳丘に登ってみましょう。
墳丘は整備されておらず、草ぼうぼうです。
ん、あれ?
何かいる?
え!?
私もビックリですが、向こうもビックリです。
いや、あの表情から察するに、向こうはビックリしていないかもしれません。
「また古墳見に来たやつがいるよ」くらいにしか思っていないかもしれません。
みな優し気な表情をしていますね。
ロープで繋がれているためにこちら側まで来ることはできないようです。
しかし昔、岩手の山城跡でツキノワグマに遭遇したときは戦慄しましたが、そういった恐怖は無いものの、想像だにしていなかった生物と突然遭遇すると、一瞬意味が分からなくなりますね。
毛並みはいいです。
可愛いなあ。
墳丘の下を見下ろすと牛舎が見えるので、そこの方が飼っている山羊さんでしょう。
山羊は山岳に住んでいますから、古墳の墳丘はちょうどいいかもしれません。
というわけで終了。
これ以上古墳の散策はしませんよ。
帰りましょう。
麓からも山羊さんの姿がチラッと見えます。
おっと、この木は素晴らしい。
下野市名木30選のコブシです。
こちら側から直登しないでよかった。
実際、登れるような感じにはなっていませんが、もしこちら側から登って行ったら先ほどの山羊さんたちの行動範囲内にいきなり入り込むところでした。
しかし驚きましたが、面白い経験でした。
では、下野薬師寺跡へ向かいますよ。
⇒この続きはこちら
つづいて下野薬師寺跡へ向かいますが、その途中にある古墳を一基見ていきましょう。
ありました。
ここですね。
御鷲山古墳。
広い基壇を有した下野型の前方後円墳で、墳丘長は63mですから中型の前方後円墳と言えます。
築造時期は後期後半。
古墳時代後期になると、関東でも横穴式石室が一般化しますが、石室は南向きに開けるのが普通ですので、この時代の前方後円墳は東西軸の方向で造られることが多いです。
しかも下野型は前方部に主体部を設けるという他の地域とは違う独特な思想を持っており、この古墳も前方部側に主体部があります。
私は前方部側に来たようです。
では墳丘に登ってみましょう。
墳丘は整備されておらず、草ぼうぼうです。
ん、あれ?
何かいる?
え!?
私もビックリですが、向こうもビックリです。
いや、あの表情から察するに、向こうはビックリしていないかもしれません。
「また古墳見に来たやつがいるよ」くらいにしか思っていないかもしれません。
みな優し気な表情をしていますね。
ロープで繋がれているためにこちら側まで来ることはできないようです。
しかし昔、岩手の山城跡でツキノワグマに遭遇したときは戦慄しましたが、そういった恐怖は無いものの、想像だにしていなかった生物と突然遭遇すると、一瞬意味が分からなくなりますね。
毛並みはいいです。
可愛いなあ。
墳丘の下を見下ろすと牛舎が見えるので、そこの方が飼っている山羊さんでしょう。
山羊は山岳に住んでいますから、古墳の墳丘はちょうどいいかもしれません。
というわけで終了。
これ以上古墳の散策はしませんよ。
帰りましょう。
麓からも山羊さんの姿がチラッと見えます。
おっと、この木は素晴らしい。
下野市名木30選のコブシです。
こちら側から直登しないでよかった。
実際、登れるような感じにはなっていませんが、もしこちら側から登って行ったら先ほどの山羊さんたちの行動範囲内にいきなり入り込むところでした。
しかし驚きましたが、面白い経験でした。
では、下野薬師寺跡へ向かいますよ。
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