日本史大戦略 ~日本各地の古代・中世史探訪~

列島各地の遺跡に突如出現する「現地講師」稲用章のブログです。

白鳥古墳および白鳥山法持寺|愛知県名古屋市熱田区 ~ヤマトタケル伝承を持つ後期の大型前方後円墳~

2021-01-03 13:37:50 | 歴史探訪


白鳥古墳は、断夫山古墳に続いてそのすぐ南に築造された本来は100mクラスの大型前方後円墳で、六鈴鏡や馬具などの貴重な資料が出土しました。

発見容易
簡単な説明板あり
墳丘登頂不可能

お勧め度:

 *** 本ページの目次 *** 

1.基本情報
2.諸元
3.探訪レポート
4.補足
5.参考資料

 

1.基本情報                           


所在地


愛知県名古屋市熱田区白鳥1-2



現況


白鳥公園

史跡指定




出土遺物が見られる場所



 

2.諸元                             


この項目は特に断りがない限り『日本の古代遺跡 48 愛知』を参照

築造時期


6世紀前葉
6世紀初めごろ(現地説明板)

墳丘


形状:前方後円墳
墳丘長:削られてしまった前方部を復元すると100mクラスとなり断夫山古墳の相似形と推定
 現状では74m(現地説明板)
墳高:
段築:2段?(現状の観察)
葺石:
埴輪:

主体部


近代以降、調査がされておらず不明だが横穴式石室の可能性が高い

出土遺物


江戸時代に主体部と思われる場所から六鈴鏡、魚佩、f字形鏡板、剣菱形杏葉

周堀


現存せず

 

3.探訪レポート                         


※本墳は2021年1月29日出発の濃尾の古墳ツアーで探訪する予定ですので、参加予定の方で事前に知っておきたくない方は閲覧しない方がよいかも知れませんが、時間の都合で法持寺には詣でることはできないかもしれません。

2020年12月26日(土) 濃尾ツアー下見2日目 その6



この日の探訪箇所
尾張国衙跡 → 尾張国府宮 → 朝日遺跡およびあいち朝日遺跡ミュージアム → 星社河原神社 → 熱田神宮 → 白鳥古墳および法持寺 → 断夫山古墳 → 高倉古墳群および高倉貝塚 → 尾張元興寺跡


 熱田神宮の境内を散策した後は、白鳥古墳へ行きます。

 ツアーでは、熱田神宮から白鳥古墳、そして断夫山古墳は歩いて案内するため、道もしっかり覚えておかないとなりませんね。

 熱田神宮の西門から出て広い国道22号線を渡ろうと思いますが、歩道橋がありますよ。

 すなわち「歩道橋チャンス」ですぞ!

 歩道橋は面倒くさがる方が多いと思いますが、歩道橋に登ると少し高い場所から望見できるので、遺跡の近くに歩道橋があったときは登ることをお勧めします。

 お、古墳の森のようなものが見えます。



 位置的にこれから目指す白鳥古墳でしょう。



 歩道橋を進むと位置的には白鳥塚の右方向のさらに遠い場所にもう一つ古墳の森らしきものが見えます。

 こちらは断夫山古墳かな?



 歩道橋を降りて住宅街の中を歩いて行くと、白鳥古墳の森が眼前に現れました。

 

 地図で確認すると白鳥古墳は法持寺の境内にあるように見えるので、まずはお寺に詣でてみようと思います



 法持寺は白鳥山(はくちょうざん)と号する曹洞宗の寺院です。



 尾張名所図会の説明。



 この辺りではこの看板もよく見ますよ。



 織田信長が桶狭間へ向けて進軍したルート上に置かれているようで、そのルートをたどって人生の大逆転を成就させようという面白い試みですね。

 しかし私は小学6年の時に歴史に興味を持ち、中学生以降は光栄のシミュレーション・ゲーム「信長の野望」をプレイしまくったこともあり、信長に関しては思い入れは半端無いんですよね。

 ところが、今はすっかり「古墳のおじさん」になってしまったこともあり、今回もせっかく信長の本貫地に来ているのに、信長関連で見たものはさきほどの熱田神宮にある「信長塀」くらいです。

 いずれはゆっくり、古代史と関係なく個人的に信長ツアーをやってみたいものです。

 では、境内にお邪魔します。

 本堂。





 詳しい由緒書があるので説明しないで楽だ。



 信長も桶狭間の戦いの際、こちらにも立ち寄って戦勝祈願をしたとありますね。

 イメージ的には信長は神仏を恐れぬ人のような感じがありますが、普通に信心深い人だったのではないかと思います。

 ただし、天下人(畿内とその周辺を統治したため、当時の感覚では天下統一は完了している)として行動するにはすべては「政治ベース」でなければならず、後に信長が仏教に対して酷い仕打ちをしたことも、私はその背景に天下人としての政治観があったのではないかと考えています。

 あ、今日は古墳だった。

 なるほど、境内の西側に南北方向の墳丘が見えますね。



 でも、お寺からは墳丘には入れないようです。

 このお堂は墳丘のために屋根の後ろがありません。



 墳丘チラリズム。



 古墳へは境内からは行けないため、古墳の周りをグルっとめぐってみましょうか。

 南側の道を歩いて行くと墳丘が見えますね。



 白鳥古墳は主軸が南北方向で、こちらの前方部側はバッサリと切断されてしまった様子が分かります。

 南側からも入れないようです。



 では西側の堀川沿いの道を北上します。

 お、入口発見!



 「白鳥公園」の石碑がありますよ。



 こちらの石碑には「白鳥御陵」とあります。



 この地域で白鳥と言えばやはりヤマトタケルなわけですが、それはそうと、普通に公園になっていたんですね。



 簡単な説明板もあります。



 ヤマトタケルに関しては一時期少し調べたことがあって、都内にも結構伝説が残っていて、浅草近辺では悪者を退治した伝承が残っていますよ。

 ところで、墳丘内には入れないようになっていますね。

 柵の外から墳丘を見ます。

 ちょうど鞍部あたりから前方部にかけてのラインかな。



 そのやや北寄り。



 私が入ってきた公園の入口方向(西側)を望みますが、この先は、往時は現在の堀川の辺りまで海が迫っていたということで、白鳥古墳は海に横腹を見せる形で築造された古墳です。





 さらに先ほど歩いてた南側も往時は海が迫っており、そちらの方向は万葉集にも出ている「年魚市(あゆち)潟」と呼ばれる入海が広がっていました。

 あゆち潟からは前方部側が見えたことでしょう。

 なお、今回は訪れませんが、白鳥古墳からあゆち潟を挟んだ南方向約7㎞の場所には、かつて兜山古墳という直径45mの前期の円墳がありました。

 三角縁神獣鏡も出土しており、尾張南部では数少ない前期の古墳として注目されますが破壊されてしまったのが残念です。

 前期の円墳で45mというのは結構大きいですよ。

 つぎに訪れる断夫山古墳は白鳥古墳の北側にありますが、公園の出入り口が北側にもありますので、後円部の墳丘を観察しながら公園を出るとしましょう。







 後期の前方後円墳ではオーソドックスな2段築成かな?



 墳丘内に入れなかったのは残念ですが、断夫山古墳を見るにあたっては必ず一緒に見ておきたい古墳ですね。

 では、つづいて尾張最大の古墳、断夫山古墳へ行きます。

 ⇒この続きはこちら

 

4.補足                             



 

5.参考資料                           


・現地説明板
・『あゆち潟の考古学』 名古屋市博物館/編 1994年
・『日本の古代遺跡 48 愛知』 岩野見司・赤塚次郎/著 1994年
・『なごやの古代遺跡を歩く』 服部哲也・木村有作・纐纈茂/著 2008年


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