⇒前回の記事はこちら
既述した通り、男には負けると分かっていても戦わなければならない時があるわけですが、墳丘が残っていないからと言って、それが負けであるとは限りません。
墳丘が残っていなくても、被葬者と魂の交流ができれば、すなわちそれは勝利なのです。
何を言っているのかさっぱり分かりません。
鹿島神社を出て、北鹿島古墳を目指します。
ちなみに、私はこういった街歩きをするときは、オリジナルの地図を作ってきます。
いまはスマホの地図を見ながら歩く人も多いですが、私は伝統を重んじる「紙派」なんですよね。
ビジネスの世界でもペーパーレスが叫ばれて久しいですが、何でもかんでもペーパーレスにしようとするのは、平易な言葉で表現すると「バカ」です。
紙と電子のそれぞれの良いところをうまく活用しましょう。
紙の地図を作る利点は多いですが、例えば作るという行為によって脳内に地理がある程度インプットされます。
さらに、紙ですから書き込みが自由です。
私は地図に様々なことをメモ書きしていくため、探訪が終わった後は強力な資料になるのです。
なお、今回はマイナーな古墳ばかりですから、WWWにある「東京都遺跡地図」を見てオリジナル地図にプロットしてきました。
ただ、「東京都遺跡地図」で示されている場所は意外とずれていることが多いので、実際には現地に行って確かめてみないと何とも言えません。
おや、前方の地形が落ちていますよ。
「東京都遺跡地図」ですとこの辺なのですが、右側の空き地はそれらしくないですねえ。
まずは地形を確認してみましょう。
おっと、小さな日枝神社があります。
あ、鳥居の先に墳丘らしきものが見えますよ。
これでしょう。
鹿島北古墳です。
わずかながらも墳丘が残っていて良かった。
ただし、この古墳についての詳細は、さきほどの鹿島古墳以上に分かりません。
『多摩地区所在古墳 確認調査報告書』(多摩地区所在古墳確認調査団/編)には、直径約3m、高さ約0.7mの地膨れが残っていると記されていますが、元々の大きさは不明で、地元では付近に存在した古墳を合祀したという話が伝わっているそうです。
主体部についても一切分かりません。
でも、八王子市もこれは古墳として認めています。
境内には主祭神として日枝社があります。
その隣にはは御嶽社もあります。
さきほど、地形を確認しようとしていてまだ見ていないので、境内の外に出てみましょう。
地形が落ちた先には楢原小学校がありました。
なるほど、こういう地形は現地に来ると良くわかりますね。
鹿島古墳も鹿島北古墳も北浅川の段丘の縁に並んでいるわけです。
現地を見るまでは漠然と川口川流域の古墳だと思っていましたが、さきほど話した通り、川口川は再度きちんと調べないと駄目です。
段丘のすぐ下には水の流れがあります。
※帰宅後、地図で調べてみたらこの流れは浅川の支流で名前も分からず暗渠部分も多いのですが、北浅川と南浅川が合流した直後の鶴巻橋の付近でこの流れは浅川に合流しているようです。
古墳のある段丘を見上げます。
この段丘の上の縁の部分に鹿島古墳や鹿島北古墳が築造されているわけですね。
では引き続き、一本松古墳を見つけてみましょう。
⇒この続きはこちら
既述した通り、男には負けると分かっていても戦わなければならない時があるわけですが、墳丘が残っていないからと言って、それが負けであるとは限りません。
墳丘が残っていなくても、被葬者と魂の交流ができれば、すなわちそれは勝利なのです。
何を言っているのかさっぱり分かりません。
鹿島神社を出て、北鹿島古墳を目指します。
ちなみに、私はこういった街歩きをするときは、オリジナルの地図を作ってきます。
いまはスマホの地図を見ながら歩く人も多いですが、私は伝統を重んじる「紙派」なんですよね。
ビジネスの世界でもペーパーレスが叫ばれて久しいですが、何でもかんでもペーパーレスにしようとするのは、平易な言葉で表現すると「バカ」です。
紙と電子のそれぞれの良いところをうまく活用しましょう。
紙の地図を作る利点は多いですが、例えば作るという行為によって脳内に地理がある程度インプットされます。
さらに、紙ですから書き込みが自由です。
私は地図に様々なことをメモ書きしていくため、探訪が終わった後は強力な資料になるのです。
なお、今回はマイナーな古墳ばかりですから、WWWにある「東京都遺跡地図」を見てオリジナル地図にプロットしてきました。
ただ、「東京都遺跡地図」で示されている場所は意外とずれていることが多いので、実際には現地に行って確かめてみないと何とも言えません。
おや、前方の地形が落ちていますよ。
「東京都遺跡地図」ですとこの辺なのですが、右側の空き地はそれらしくないですねえ。
まずは地形を確認してみましょう。
おっと、小さな日枝神社があります。
あ、鳥居の先に墳丘らしきものが見えますよ。
これでしょう。
鹿島北古墳です。
わずかながらも墳丘が残っていて良かった。
ただし、この古墳についての詳細は、さきほどの鹿島古墳以上に分かりません。
『多摩地区所在古墳 確認調査報告書』(多摩地区所在古墳確認調査団/編)には、直径約3m、高さ約0.7mの地膨れが残っていると記されていますが、元々の大きさは不明で、地元では付近に存在した古墳を合祀したという話が伝わっているそうです。
主体部についても一切分かりません。
でも、八王子市もこれは古墳として認めています。
境内には主祭神として日枝社があります。
その隣にはは御嶽社もあります。
さきほど、地形を確認しようとしていてまだ見ていないので、境内の外に出てみましょう。
地形が落ちた先には楢原小学校がありました。
なるほど、こういう地形は現地に来ると良くわかりますね。
鹿島古墳も鹿島北古墳も北浅川の段丘の縁に並んでいるわけです。
現地を見るまでは漠然と川口川流域の古墳だと思っていましたが、さきほど話した通り、川口川は再度きちんと調べないと駄目です。
段丘のすぐ下には水の流れがあります。
※帰宅後、地図で調べてみたらこの流れは浅川の支流で名前も分からず暗渠部分も多いのですが、北浅川と南浅川が合流した直後の鶴巻橋の付近でこの流れは浅川に合流しているようです。
古墳のある段丘を見上げます。
この段丘の上の縁の部分に鹿島古墳や鹿島北古墳が築造されているわけですね。
では引き続き、一本松古墳を見つけてみましょう。
⇒この続きはこちら