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日本史大戦略 ~日本各地の古代・中世史探訪~

列島各地の遺跡に突如出現する「現地講師」稲用章のブログです。

浦山古墳および浦山公園古墳館|福岡県久留米市 ~装飾の施された石棺に入れる極めて破天荒な管理状態の古墳~

2021-04-19 21:49:43 | 歴史探訪


浦山古墳は、5世紀後半の帆立貝形古墳ですが、横口式家形石棺に入ることができる極めて珍しい古墳です。

発見容易
登頂可能
石棺侵入可能
説明板あり
駐車場あり
トイレあり

お勧め度:

1.基本情報                           


所在地


久留米市上津町1386-22 成田山久留米分院



現況


境内

史跡指定


国指定史跡
指定日:

出土遺物が見られる場所



 

2.諸元                             


築造時期


5世紀後半

墳丘


形状:帆立貝形古墳
墳丘長:60m(説明板)
段築:
葺石:あり
埴輪:

主体部



出土遺物



周堀




 

3.探訪レポート                         


2021年4月3日(土) 



この日の探訪箇所
御塚古墳 → 権現塚古墳 → 浦山古墳および久留米成田山 → 浦山公園古墳館 → 横道遺跡(筑後国府跡) → 筑後国分寺跡 → 高良大社および神籠石 → 田主丸大塚古墳 → 大塚2号墳 → 寺徳古墳 → 中原狐塚古墳 → 朝倉橘広庭宮跡 → 平塚川添遺跡 → 仙道古墳

 今回の下見に出かける前にちょっと知りたいことがあって久留米市教育委員会に電話をしたのですが、そのときに久留米市内でおすすめの古墳をお尋ねして、浦山古墳のことを知りました。

 横穴式石室に入れる古墳は珍しくありませんが、浦山古墳は何と石棺に入れるそうなのです。

 なんでそんな凄い古墳のことを今まで知らなかったのか不思議でなりません。

 もしかしたら、かつてどこかで知ったのかもしれませんが、その時はまだ自分の古墳レヴェルが石棺を楽しむ領域まで達していなかったため記憶に残らなかったのかもしれません。

 今なら行ける。

 機は熟しました。

 浦山古墳がある場所は久留米の成田山分院の境内ということで、大きな観音様はこちらに来ると必ず見ており、迷わず到着することができるでしょう。

 ところが、車を運転しながら観音様を見つけようとしますが、あの白く輝く身体が全然見えて来ません。

 その代わり、変な高層ビルのようなものが遠くに見えます。

 おかしいなと思いつつ近接すると・・・

 なんだ、こういうことか!



 観音様は足場に囲まれていました!

 いまは改修中だったんですね。

 では、駐車場に車を止めて古墳へ行ってみましょう。



 説明板があるので読みます。



 え、え!

 観音様の原型を作った仏師は松戸の方だったんですね!

 いつも私は生まれ故郷の松戸を紹介する際は、ドラッグストアのマツモトキヨシと松本清市長と「すぐやる課」、それに20世紀梨の話をしていますが、これからはこれも話せます。

 ちなみに、唐突に「松戸市」と言われてもどこにあるか分からないかもしれませんが、千葉県ですよ。

 久留米の観光案内図。



 久留米と言ったら個人的には久留米ラーメンとダルム(焼き鳥)かな。

 お寺の縁起などはこちら。

 私は将門ファンなので、実は成田山ってちょっと・・・



 あ、でも将門について触れていなくてよかった。



 まあ、目的は古墳ということで、将門も許してくれるでしょう。

 石棺が納められている石室に入るためには、本堂脇に行って鍵を借りないとならないそうです。

 行ってみましょう。

 石段には朝の清掃をされている方々がいます。



 こちらが本堂です。



 本堂脇に行きお寺の方に声をかけると、帳面への記帳を促されました。

 パッと見た感じでは、何日かに一人、全国各地から石棺を拝みに来る方がいらっしゃいます。

 お寺の方は鍵と懐中電灯を貸してくださり、あとはご自由にということです。

 では行きますよ。

 墳丘はどちらかしら?

 説明板らしきものが見えますね。



 古墳の説明板でした。



 後円部の墳頂らしき場所に建物が見えますよ。



 この中に石室があるんですね。



 ここにも説明板があります。





 おもむろに扉を開き中に入ります。

 穴がある。



 おー凄い凄い、石棺が見える!



 ひやー、凄いですねえ。

 横口式の家形石棺がありますよ。



 天井石は2枚残っています。



 まずは石棺の蓋を外側から観賞します。



 環状縄掛突起が面白いですね。



 妻側には突起はないです。

 同じような石棺では広川町の石人山古墳の石棺を見慣れていますが、あちらは蓋の外側に文様が施されているのにこちらの場合は外側には無いようです。

 久留米市教育委員会の方からは、石棺に足をかけるようにして降りると聞いているので、罰当たりですが、そうせざるを得ない状況なのでそのようにさせていただきます。

 降りました。

 石室の奥の方を見てみます。



 今日は天気が良くてこの覆屋の中も明るくて雰囲気が良いですが、これは暗いときに一人できたらちょっと怖いかも。

 でも、異様に興奮を覚えるのはなぜでしょうか。

 この喜びを分かち合える人がいないため、一人で歓喜の奇声を発します。

 ではいよいよ・・・

 入ります。

 おっと、デジイチだと撮れない・・・

 コンデジで撮ります。

 家形になっているのが良く分かりますよ。



 いいねえ。



 本物の石棺の中に入ったのは出雲の大念寺古墳に続いて2つ目です。



 凄い、装飾が見える。



 いや、いいねえ、いいよ。



 説明板には内部は赤く塗ってあるとありましたが、現況ではあまり色味は見えません。





 石棺内から外を見ます。



 では生まれ出ましょうか。

 天井石を中から見ます。



 楽しかった・・・

 今度のツアーはもう行程が決まっているためこの古墳を入れることはできないので、もし続編ができることになったら浦山古墳は絶対に入れる!

 説明板には横穴式石室で羨道はくびれの方へ向かっていたと書いてありますが、現在の状況を見るとちょっと想像が付きません。

 横穴式石室ではなく、竪穴系横口式石室なのかなと思いますが、もうちょっと調べてみたいと思います。

 後円部からの眺望。





 そういえば気持ちが石棺に行ってしまっていて、墳丘を全然見ていませんでした。

 後円部から前方部を見ます。





 下に降りて墳丘を見ます。





 では車に戻りますよ。

 この感動を分かち合える人がいないため、石段を掃いているお寺の方に思わず「あちらの古墳凄いですね」と話しかけてしまいました。

 少し雑談していると、この近くに展示コーナーがあることを教えてくれました。

 折角なのでそちらへも行ってみます。

 教えていただいた通り、浦山公園の駐車場へやってきました。





 そうそう、浦山公園には浦山古墳群があるんですよね。

 でも今日は時間の都合で公園内を散策することはしません。

 あの建物が展示コーナーかな?



 本当だ、展示コーナーになってますね。



 浦山公園古墳館と名付けられています。



 浦山古墳の模型があります。



 これを見ると、成田山の本堂まで墳丘がかかっているように見えますが、前方部は造出のように短いのでしょうか。

 おー、先ほど見てきた御塚古墳の円筒埴輪がありますよ!



 古墳を見ると遺物も見たくなりますから嬉しいです。

 でもこの円筒埴輪の突帯は控え目な作りだな。

 こちらは装飾古墳の説明。



 資料館などに行くと、たまに紡錘車が展示してあることがありますが、どうやって使っていたのかはこの展示を見れば一目瞭然です。



 お寺の方が教えてくださったお陰で良いものも見れました。

 では引き続き、久留米市内をめぐりますよ。

 (つづく)

 

4.補足                             



 

5.参考資料                           


・現地説明板

巣山古墳/馬見古墳群|奈良県北葛城郡広陵町 ~珍しい出島状遺構を備えた超大型前方後円墳~

2021-04-07 00:58:37 | 歴史探訪


巣山古墳は馬見古墳群の中央群で中心的な地位にある墳丘長220mの超大型前方後円墳で、国の特別史跡に指定されています。

発見容易
説明板あり
駐車場あり
トイレは公園内各所にあり

お勧め度:

1.基本情報                           


所在地


奈良県北葛城郡広陵町大字三吉元斉音寺



現況


古墳

史跡指定


国指定特別史跡
指定日:昭和27年(1952)3月29日

出土遺物が見られる場所



 

2.諸元                             


築造時期


4世紀終わり頃(現地説明板より)

墳丘


形状:前方後円墳
墳丘長:220m(全国ランキング23位)、後円部径:118m、前方部幅:96m
後円部高:17m、前方部高:15m
外堤を含む全長:333m、全幅:245m
段築:後円部・前方部ともに3段築成
葺石:あり
埴輪:あり

主体部


竪穴系の埋葬主体が2基

出土遺物



周堀


周堀とその外側に周堤あり

 

3.探訪レポート                         


2020年9月5日(土) 



この日の探訪箇所
狐井城山古墳 → 築山古墳 → 新山古墳 → 牧野古墳 → 佐味田宝塚古墳 → 三吉2号墳 → 巣山古墳 → 狐塚古墳 → 倉塚古墳 → 一本松古墳 → ナガレ山古墳 → 乙女山古墳 → 池上古墳

 では、先ほどからチラチラ見えていた、巣山古墳の方へ行ってみましょう。



 巣山古墳は主軸をほぼ南北方向に取り、南側(写真右側)が後円部です。

 周濠に近づくと説明板がありました。



 築造時期に関しては説明板には4世紀終わり頃と記されており、中期古墳に分類する研究者もいますが、前期古墳から出土する車輪石や鍬形石が見つかっていることや、後述する通り、墳丘のデザインから考えて、私的には前期古墳に分類したいと思います(車輪石や鍬形石の編年と照らし合わせて考えが変わる可能性もあります)。

 まあ、前期とか中期とかは研究者個人の分類上の問題であまり本質的な話ではないですね。

 さて、この巣山古墳は説明板にも書かれている「出島状遺構」で有名です。



 造出とはまた違う趣の遺構で、独特な形状をしています。

 説明板では文字と写真による説明ですが、これだとよく分からないですよね。

 『巣山古墳 調査概報』(広陵町教育委員会/編)より巣山古墳調査位置図を転載します。



 このように3段築成となっていますが、後円部の最上段がかなり高いですね。

 形状だけをパッと見た感じでは前期古墳だと判断します。

 そして前方部の西側に変なものがくっついていますよね。

 変な物とか言うと被葬者に怒られそうですが、それの実測図も前述書から転載します。



 この図だと上の墳丘図から90度回転していますが、これが「出島状遺構」で、大変珍しいものです。

 私的には見た瞬間、「よすみ」(四隅突出型墳丘墓)を想起しましたよ。

 後円部側を見ます。



 前方部側を見ます。



 この位置から見えるのは、出島状遺構ではなく西側の造出です。



 巣山古墳が築造された場所は丘陵の東側斜面で、古墳の向こう側(東側)は地形が低くなっています。



 巣山古墳は、東側に向かって落ちている地形の途中に地山を削り出して構築しましたが、おそらく東側は盛土をしないと構築できないと思います。

 ところで、馬見古墳群は南北約7㎞、東西約3㎞の細長い丘陵を中心に点在する古墳の総称ですが、便宜上、北群、中央群、南群に分けて説明されることが多いです。

 厳密にはこの分類は往時の政治情勢を鑑みると正確な分類にはなりませんが、地理的に分かりやすいため、この分類で説明されることが多いわけです。

 その中で、墳丘長220mの巣山古墳は、すぐ南にある200mの新木山古墳とともに中央群を代表する超大型前方後円墳で、築造順は巣山古墳の方が早いです。

 さて、残り時間も少なくなってきましたし、下へは降りずに巣山古墳は今回はこの程度に留めておきましょう。

 いずれクラツーで馬見古墳群のツアーをやりたいので、そのときにまた下見で来れるでしょう。

 というか、朝からもう15㎞くらい歩いているのでそろそろ足がダメになってきて歩き回るのがつらくなってきた・・・

 とにかく今日は近鉄の駅までたどり着かないことには帰れませんから、重要な古墳を見つつ、なるべく最短ルートを歩いて駅まで向かおうと思います。

 (つづく)

 

4.補足                             



 

5.参考資料                           


・現地説明板
・『巣山古墳 調査概報』 広陵町教育委員会/編 2005年
・『シリーズ「遺跡を学ぶ」026 大和葛城の大古墳群 馬見古墳群』 河上邦彦/著 2006年


摩利支天塚古墳|栃木県小山市 ~史跡公園として整備するために発掘調査が進行中の大型前方後円墳~

2021-02-27 21:51:51 | 歴史探訪


 

摩利支天塚古墳は5世紀後半に下毛野を治めた王が眠る墳丘長120mの大型前方後円墳で、2020年1月からは大規模発掘が始まっており現在非常にホットな古墳の一つです。

発見容易
説明板あり
墳頂登頂可能
駐車場あり
トイレは資料館にあり

お勧め度:

1.基本情報                           


所在地


栃木県小山市飯塚362



現況


摩利支天尊

史跡指定


国指定史跡
指定日:昭和53年7月21日

出土遺物が見られる場所



 

2.諸元                             


築造時期


5世紀後半から6世紀初頭

墳丘


形状:前方後円墳
墳丘長:120.6m
墳高:
段築:前方部・後円部共に2段築成か
葺石:なし
埴輪:あり

主体部


不明

出土遺物


埴輪(人物埴輪など)

周堀


盾形二重

 

3.探訪レポート                         


2019年1月20日(日) 下毛野・古代史強化探訪⑬



この日の探訪箇所
長塚古墳 → 桃花原古墳 → 羽生田茶臼山古墳 → 羽生田富士山古墳 → 上神主・茂原官衙遺跡および浅間神社古墳 → 多功大塚山古墳 → 御鷲山古墳 → 下野薬師寺跡および下野薬師寺歴史館 → しもつけ風土記の丘資料館 → 甲塚古墳 → 国史跡摩利支天塚・琵琶塚古墳資料館 → 琵琶塚古墳 → 摩利支天塚古墳 → 寺野東遺跡およびガイダンス施設 → 小山市立博物館 → 乙女不動原瓦窯跡

 ⇒前回の記事はこちら

 先ほど琵琶塚古墳の墳頂から見えた摩利支天塚古墳へは歩いてやってきました。

 ちょうど墳丘の横っ腹が見える場所に来ましたよ。



 琵琶塚古墳からは歩いて3分くらいです。

 右手が前方部で左手が後円部。



 前方部側へ回ってみましょう。



 さきほどの琵琶塚と大きさはそれほど変わりませんが、墳丘に木が生えているせいか小さく見えます。



 立派な「摩利支天尊」の石柱があることから摩利支天が祀られているのが分かり、鳥居があります。



 あれ、でも摩利支天は「天」だから仏さまですよね。

 摩利支天「尊」だから神社でオッケー?

 私は神仏習合人間ですからこういうことは気にしません。

 振り返ると参道が伸びています。



 近辺の案内図。



 こちらは古墳の説明板。



 ここでは墳丘長は117mとありますが、さきほど見た資料館のパネルでは墳丘長は120.6mとなっていました。

 120.6mって栃木県で3位か?

 栃木には吾妻古墳と琵琶塚古墳以外に120mオーヴァーの古墳ってありましたっけ?

 前方後方墳の上侍塚や藤本観音山も数メートル足りないはず。

 そして摩利支天塚も二重周堀ですね。

 摩利支天塚は琵琶塚よりも前の古墳なのに墳丘の平面デザインは時代と逆行していて、古い摩利支天塚の方は後円部径より前方部幅の方が大きく、新しい琵琶塚は後円部径より前方部幅の方が小さいのです。

 こういう一般的な編年に当てはまらないのが栃木の古墳の面白いところかもしれません。

 そしてこの墳丘図をよく見てください。



 資料館のパネルにも書いてありましたが、前方部底辺のラインを見てください。

 底辺の中央が突出していますよね。

 つまりは、全国的に見ても珍しい剣菱形になっているのです。

 6世紀の前方後方墳でまれにみられる形状ですが、こういう形状になっている事実は分かっていても、なぜこういう形状にしたのかは分かっていません。

 ただし、継体天皇陵の今城塚古墳も以前は剣菱形と言われていたのが、後世の地崩れによるものと分かっていたり、全国的に見ると確実に剣菱形と言えるものがいくつあるのか不明で、2020年に出た『摩利支天塚古墳の測量・GPR 調査』(早稲田大学東アジア都城・シルクロード考古学研究所/編)には、「発掘の際に「剣菱形」と誤認した可能性が高い」と考えられ、「「剣菱形前方部」である可能性は限りなく低いと判断できる」とあります。

 それと、一般的な説明では、摩利支天塚の次に造られた琵琶塚から「下野型」の特徴である基壇を設けるようになったとされるのですが、墳丘図を見ると摩利支天塚の尾根は下野型と同様に「細尾根状」になっており、すでに下野型の設計思想は摩利支天塚の時点で始まっているのではないかと思います。

 では、墳丘に登ってみましょう。



 前方部の墳頂にも鳥居がありました。



 宝珠?



 前方部から下を見下ろします。



 前方部の高さは7m。

 後円部を見ます。



 こう見ても結構比高差がありますが、後円部は10mあり、とても後期古墳とは思えない激しい比高差があります。

 築造時期は早くて5世紀末ということですが、「末」とは言わず、もう少し早まる可能性を含めて「後半」でいいんじゃないでしょうか。

 後円部の裾の方を見ますが、墳丘には段築らしきものがハッキリしませんし、裾にも周堀らしきものはよく見えません。



 眺望。



 後円部墳頂に来ました。

 2階建てですかね?

 思っていたより立派なお堂があります。



 まずはお参りです。

 昭和16年1月の奉納額。



 「摩利支天尊」とありますね。

 建物内をちょっと。 



 うん、やっぱり結構な高低差だ。



 琵琶塚の前方部が見えますね。



 角度を変えて資料館方向。



 後円部法面のこの窪みは盗掘の跡かな?



 墳丘を降ります。





 琵琶塚同様、摩利支天塚も周堀跡が良く分かりません。



 では、資料館の駐車場へ戻りましょう。

 再び琵琶塚古墳。



 美しい古墳だなあ。







 真横に来ました。



 雷電號と琵琶塚古墳。



 さて、今日も早朝からたくさんの古墳を見ていますが、もう少し時間があるため、小山市内の遺跡をいくつか見てみようと思います。

 (つづく)

 

4.補足                             



 

5.参考資料                           


・現地説明板
・『摩利支天塚古墳の測量・GPR 調査』 早稲田大学東アジア都城・シルクロード考古学研究所/編 2020年

琵琶塚古墳|栃木県小山市 ~美しい古墳が多い栃木県の古墳の中でもポッチャリ系ではナンバーワン~

2021-02-25 20:33:52 | 歴史探訪


 

琵琶塚古墳は6世紀前半に築造された墳丘長124.8mを誇る栃木県で2番目に大きい前方後円墳で、国造時代より前の「下毛野の王」が葬られた古墳と考えられます。

発見容易
説明板あり
大きさは栃木県第2位
墳頂登頂可能
駐車場は資料館にあり
トイレは資料館にあり

お勧め度:

1.基本情報                           


所在地


栃木県小山市飯塚655



現況


古墳

史跡指定


国指定史跡
指定日:大正15年2月24日

出土遺物が見られる場所



 

2.諸元                             


築造時期


6世紀前葉

墳丘


形状:前方後円墳
墳丘長:124.8m
墳高:
段築:後円部3段、前方部2段(それぞれ最下段は基壇)
葺石:なし
埴輪:あり(埴輪列検出)

主体部


不明

出土遺物



周堀


二重

 

3.探訪レポート                         


2019年1月20日(日) 下毛野・古代史強化探訪⑫



この日の探訪箇所
長塚古墳 → 桃花原古墳 → 羽生田茶臼山古墳 → 羽生田富士山古墳 → 上神主・茂原官衙遺跡および浅間神社古墳 → 多功大塚山古墳 → 御鷲山古墳 → 下野薬師寺跡および下野薬師寺歴史館 → しもつけ風土記の丘資料館 → 甲塚古墳 → 国史跡摩利支天塚・琵琶塚古墳資料館 → 琵琶塚古墳 → 摩利支天塚古墳 → 寺野東遺跡およびガイダンス施設 → 小山市立博物館 → 乙女不動原瓦窯跡

 国史跡摩利支天塚・琵琶塚古墳資料館の見学を終え、実際の古墳を見てみますよ。

 まずは琵琶塚古墳からです。

 墳丘はきれいに整備されていて素晴らしい!



 トラックが停まっていますが、切り倒した樹木の搬出をしているようです。

 では、向かって右手の後円部側から見てみましょう。

 周堀の跡。



 琵琶塚は二重堀なので、これは内堀になります。

 後円部を見上げます。



 大きいですねえ。

 琵琶塚は墳丘長124.8mで、そもそもが大きな古墳ではありますが、さきほど資料館で墳丘図を見た通り、ポッチャリ体型で後円部が大きいため、後円部の裾から見上げると墳丘長以上のヴォリューム感があります。



 周堀跡を歩きます。



 栃木県のこの周辺には「下野型」と呼ばれる広い基壇を設けた上に細尾根のような墳丘を乗せる古墳が流行して、今日も朝から散々見てきましたが、6世紀前半に築造されたこの琵琶塚古墳がその嚆矢となるようです。

 一番下に基壇があって、その上に2段の墳丘が乗っているのが何となくわかりますね。



 こういう古墳は2段築成なのか3段築成なのか表現に迷いますが、私は基壇を含めて3段築成と呼ぶことにしています。

 では、ちょうど逆光になってしまいますが、後円部を登りますよ。



 墳頂には祠がありました。



 このまとめてある石は葺石でしょうか。



 でも下野型古墳はあまり葺石せず、琵琶塚も同様なため古墳とは関係のない石だと思われます。

 墳頂からくびれ方向を見ます。



 琵琶塚古墳はに西側に南流する思川と東側に南流する姿川に挟まれた台地の上にあります。

 西側の眺望。



 東側の眺望。



 只今作業中。



 後円部から前方部を見ます。



 やはり124mもあっても下野型ですから墳頂の尾根は細めに作られています。

 実はポッチャリではない?

 前方部の方へ行ってみましょう。

 振り返って後円部。



 前方部。



 前方部の先端から見下ろすと、下野型古墳の特徴である基壇が良く分かりますね。



 向こうには琵琶塚より古い世代の摩利支天塚古墳の森が見えます。



 前方部から後円部を見ます。



 雲一つない青空、に限りなく近い空!



 気持ちいい!

 東側は周堀の跡は分かりませんね。



 西側の方がまだ分かるかな。



 前方部のエッヂ部分を見下ろします。



 それでは、墳丘を降りましょう。

 今度は前方部側からのいつものアングル。



 いいねえ。

 説明板と標柱はこちらにありました。





 この説明板のスペックを見ると、墳丘長が資料館のパネル展示と少し違うとかそういう細かいことは抜きにすると、6世紀になっているのにまだ後円部径の方が前方部幅よりも少しだけ大きくて、古風な設計要素を残しているところが面白いです。

 全然関係ないですが、「思川」とか「姿川」って川の名前が素敵ですね。

 先ほども言った通り、後円部の径を大きめに作っているため、公園裾から見た時によりヴォリューミーに感じます。
 


 なお、栃木県内で最も大きい古墳は下野市の吾妻古墳で墳丘長は約128mですから僅差ですね。

 吾妻古墳はここから北へ3㎞ほどの位置にあり、6世紀後半に築造されていますので、下毛野の初代国造が眠る古墳は吾妻古墳かもしれませんが、琵琶塚古墳の被葬者とどのような繋がりがあったのか興味深いです。

 ではつづいて、このまま歩いて摩利支天塚古墳まで行ってしまいましょう。

 ⇒この続きはこちら

 

4.補足                             



 

5.参考資料                           


・現地説明板


稲荷前古墳群|神奈川県横浜市青葉区 ~鶴見川中流域を支配した首長たちの墓域~

2021-02-24 23:22:26 | 歴史探訪


 

稲荷山古墳群にはかつて前方後円墳・前方後方墳・円墳・方墳が合計10基と横穴墓が9基あり、多様な古墳があることから「古墳のデパート」との異名を持ちましたが、現在は前方後方墳の16号墳を含め3基の古墳が保存されています。

発見容易
説明板あり
墳丘登頂可能
駐車場あり
トイレなし

お勧め度:

 *** 本ページの目次 *** 

1.基本情報
2.諸元
3.探訪レポート
4.補足
5.参考資料

 

1.基本情報                           


所在地


神奈川県横浜市青葉区大場町156-10ほか



現況


古墳公園のような感じ

史跡指定


神奈川県指定史跡
指定日:昭和45年(1970)3月24日

出土遺物が見られる場所



 

2.諸元                             


築造時期



墳丘


16号墳
形状:前方後方墳
墳丘長:37.5m、後方部幅:15.5m、前方部幅:14m
墳高:
段築:
葺石:
埴輪:

主体部



出土遺物


底部穿孔壺形土器など

周堀



 

3.探訪レポート                         


2015年7月14日(火)



この日の探訪箇所
都筑郡家跡(長者原遺跡) → 稲荷前古墳群


 都筑郡家跡を見た後は、以前から気になっていた稲荷前古墳群もチョロッと見てみます。

 地図を頼りに古墳群に近接すると、おっと、ちゃんと駐車場がありますよ。

 普通車であれば数台停められます。

 しかしよくあることで、ちゃんと「稲荷前古墳群専用駐車場」と書いてあるのに、おそらくは関係ない人が停めているのではないかと思われます。

 駐車場に停まっている台数分の人間が古墳にいるということは、まず無いんですよね。

 というか、説明板の前ギリギリに停めるのやめて欲しい。

 写真を撮りにくくて仕方がないです。

 それでも無理に撮影。



 かつては丘の上に10基の古墳と3つの横穴墓群があり、現在は15・16・17号墳が保存されているということですね。

 なぜこの古墳群に惹かれるのかというと、何といっても前方後方墳があるからです。

 前方後方墳の16号墳が保存された3基のうちに入っているというのが嬉しい!

 古墳の配置図もありますよ。



 古墳の数は10基なのに15号墳とか16号墳とかあって数が合わないなあと思ったら、綺麗に連番になっているわけではないんですね。

 横穴墓の数は合計9基ですが探せばもっとありそうですね。

 現在みられる古墳は15~17号墳ということで、この丘の一番南側で、これらの古墳の直下に駐車場があります。

 付近にも横穴墓群がありますが、今日は時間の都合で行けません。



 それでは、丘の上にある古墳へ行ってみましょう。



 整備された階段を登って行きます。



 お、なんかそれらしきものが見えてきましたよ。



 おーっ、墳丘だー!



 さっそく取り付きますが、丘の上にいきなり墳丘がポコポコあって、いったい何号墳を見ているのかしら。

 登ってきた方を振り向きます。



 とりあえず行けるところまで行ってみましょう。

 もっとも北側にあって、少し形状が崩れているこの墳丘が方墳の15号墳でしょう。



 さきほどの説明板には「規模不明」と書かれていましたね。

 ということは、この大き目の古墳が前方後方墳の16号墳だな。

 前方部から後方部を見ます。



 そしてその南側にチラッと見えているのが、これまた規模不明な方墳の17号墳で、その先は地形が落ちていて丘が終わっています。



 墳頂から南西方向の眺め。



 多分、長津田方面じゃないかな。

 見えませんが眼下にが鶴見川が流れており、この古墳群は鶴見川水系の古墳ということになります。

 だいたい東側の眺望。



 だいたい北側の眺望。



 この丘はさらに北の方に続いているのですが、ここから北側は完全に住宅地と化しています。

 本当にこの3墳のみが保存されたというわけですね。

 いや、でもこんな住宅街にこれだけしっかりとした古墳が残っているというのは嬉しいです。

 16号墳を後方部側から見ます。



 墳丘長38mで、前期の前方後方墳では、40mくらいという古墳はよくあり、海老名市にある秋葉山古墳群の4号墳は37.5mということでほぼ同格、平塚の塚越古墳は45mくらいでちょっと負けてますがいい勝負です。

 つまり、稲荷山16号墳は古墳時代前期では規模から見ても相模地方を代表する古墳と言っても良いわけです。

 説明板がありますが、草に覆われています。



 草をどかしながら何とか撮影します。

 まずは文章による説明から。





 16号墳はこちらに37.5mとあり、そうなると秋葉山4号墳と正確な形の比較をしてみたくなりますね。

 規模不明と言われた15号墳は一辺が12mの方墳ということです。

 周溝らしきものは見えませんでしたが、一応あるんですね。

 16号墳の築造時期は4世紀後半ということで、出土した土師器を見て見ないと何とも言えませんが、もっと早い時期かもしれません。

 墳丘図。



 遺物の写真もありますが、この写真を手掛かりに築造時期を考えるのは難しいかも知れません。



 お、鶴見川上・中流域の古墳編年。



 これはマニアックですね。

 そして現在残っている3墳の配置図です。



 今日は天気も最高で墳丘の上は気持ちよい!



 神奈川県の最古級の古墳を探っていくと、既述した秋葉山古墳群の4号墳が最古級で、同古墳群の3号墳も甲乙つけがたいですが、3世紀半ばまで遡る可能性が高いです。

 秋葉山古墳群は相模川流域の王の墓ですが、それよりやや遅れて、金目川流域の王墓である塚越古墳やこの鶴見川流域の王墓である稲荷前16号墳が築造されたということになります。

 神奈川県は関東地方の他県と比べてそれほど大きな古墳は多くないのですが、その希少価値のある大型古墳の多くが破壊されてなくなっているという残念な状況を呈しており、あまり詳しいことは分からないのです。

 そして、関東の他県と比べてヤマトに近いというせいもあると思いますが、いち早くヤマト王権の直轄地になっていった様子が分かります。



 稲荷前古墳群は鶴見川水系の勢力ですが、鶴見川の下流には、3世紀後半から4世紀にかけて、川崎市の加瀬白山古墳や横浜市の観音松古墳といった100m級の大型前方後円墳が築造されます。

 その二つの古墳は多摩川右岸の古墳と見ることもでき、位置的に多摩川と鶴見川の2つの水系を支配していた可能性があり、稲荷前古墳群の被葬者は、そのどちらかの古墳の被葬者の支配下にあったのかもしれません。

 何しろその2墳も今はもうなくなってしまっており、本当に神奈川の古墳は良く分かりません。

 まあ、良く分からないとかいって諦めてはいけませんから、今後も調査を続行するつもりです。



 名残惜しいですが、帰らなければ。

 (了)

 

4.補足                             



 

5.参考資料                           


・現地説明板