前回に続いて、今度は山王廃寺跡の五重塔関連史跡と山王廃寺跡の出土物を紹介します。
山王廃寺跡は、7世紀後半ころに創建された東日本最古の本格寺院です。
伽藍配置は、奈良の法起寺と類似し、五重塔が配されていたようです。
伽藍配置図を再掲します。
西側に金堂、東に五重塔が配されていたようです。この五重塔の心柱の地面との接着部分を飾った根巻石とお釈迦様の舎利を収めた舎利孔のある塔心礎が見つかっています。
まずは根巻石です。
国指定の重要文化財です。
往時の再現が、総社歴史資料館にありました。
そして、塔心礎です。
輝石安山岩が作られていますが、かなり精巧な加工です。舎利孔もよくわかります。石を磨く加工技術も相当なものに感じます。
山王廃寺が、上毛野君のものかはわかりませんが、かなり有力な豪族の氏寺だったのでしょう。諸国に国分寺が建立されるはるか前に五重塔を配した大型寺院が群馬に伝来していました。
礎石もいくつか見ました。
次は、総社歴史資料館で見た出土物です。
まずは山王廃寺の瓦です。
奈良三彩や金銅製の装飾具なども見つかっています。
塑像も多数発掘されています。これは、神将像です。
以上で山王廃寺跡の紹介は以上です。ぜひ山王廃寺跡へお越しください。山王廃寺跡で発掘された主なものは総社歴史資料館と群馬県立歴史博物館で見ることができます。
ちなみに山王廃寺跡の周辺には、上野国分寺跡と国分尼寺跡があります。国分尼寺跡はまだ本格的な発掘調査も始まったばかりです。そして、上野国府跡の推定値も近くにあり、いま区画整理事業も伴って発掘調査が広範囲で進められています。
この地域は前橋市内の住宅地にあるので、遺跡包蔵地に暮らす人々の沢山の協力と負担のもとで私たちは出土物を見ることができることもよく分かりました。山王地域のみなさんには、心から御礼申し上げます。
次は、上野国分寺跡を紹介したいと思います。
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山王廃寺跡は、7世紀後半ころに創建された東日本最古の本格寺院です。
伽藍配置は、奈良の法起寺と類似し、五重塔が配されていたようです。
伽藍配置図を再掲します。
西側に金堂、東に五重塔が配されていたようです。この五重塔の心柱の地面との接着部分を飾った根巻石とお釈迦様の舎利を収めた舎利孔のある塔心礎が見つかっています。
まずは根巻石です。
国指定の重要文化財です。
往時の再現が、総社歴史資料館にありました。
そして、塔心礎です。
輝石安山岩が作られていますが、かなり精巧な加工です。舎利孔もよくわかります。石を磨く加工技術も相当なものに感じます。
山王廃寺が、上毛野君のものかはわかりませんが、かなり有力な豪族の氏寺だったのでしょう。諸国に国分寺が建立されるはるか前に五重塔を配した大型寺院が群馬に伝来していました。
礎石もいくつか見ました。
次は、総社歴史資料館で見た出土物です。
まずは山王廃寺の瓦です。
奈良三彩や金銅製の装飾具なども見つかっています。
塑像も多数発掘されています。これは、神将像です。
以上で山王廃寺跡の紹介は以上です。ぜひ山王廃寺跡へお越しください。山王廃寺跡で発掘された主なものは総社歴史資料館と群馬県立歴史博物館で見ることができます。
ちなみに山王廃寺跡の周辺には、上野国分寺跡と国分尼寺跡があります。国分尼寺跡はまだ本格的な発掘調査も始まったばかりです。そして、上野国府跡の推定値も近くにあり、いま区画整理事業も伴って発掘調査が広範囲で進められています。
この地域は前橋市内の住宅地にあるので、遺跡包蔵地に暮らす人々の沢山の協力と負担のもとで私たちは出土物を見ることができることもよく分かりました。山王地域のみなさんには、心から御礼申し上げます。
次は、上野国分寺跡を紹介したいと思います。
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