眺める空に描くもの

高齢者女子のおひとりさま暮らしノート

いのちのろうそく

2024-08-05 20:16:51 | 闘病記
私の病院での情報共有の評価は「淡々としている」だったそうだ。

入院してみると、実際の私のリアクションは「明るい」ので看護師さんは「あれ?」な感じだったとか。

検査結果では、どのようなリアクションを取るのが「正解」なのか、少しもわからなかったのが「淡々」の内訳だ。

…いやあ。こんなことになるなんてね。
そう思ったけど、どうリアクションをすればいいのだろう。

慌てる? 失意のどん底? 嘆く? 泣く?

どれも違うものの、「はあ。そうですか」「そうですよね」「いやまあ、わかってましたから」という気持ちを
下手に表現してみても、どれも近くならない気がしていた。

懸命に「はい」「わかりました」と首を縦に何度も振るだけだった。素直なイヌ状態。

おっしゃる通りにしますワン。選択肢はいろいろない。それしかない状況。

2回目のがん手術。しないつもりだったのにな。うまく全身に転移していて、「もう手遅れですね」と
言われるつもりだったのに。痛みのケアをしていただいて、なんとか「すぐに死ぬ」が目標。

1回目の手術の大変さを思うと、また、あんなに大変なことはしたくないが本音だった。

正確には今回は3目目。もうしません。もういやです。と言わなくてすむのは「手遅れ」に尽きる。

そのつもりだったのに、うまくいかずに、このままでは「生かされてしまう」ことへの茫然自失。

「想定外」です。うまく「死ねなかった」ことへの「情けなさ」が、素直なリアクションには
つながらなかった。

じゃ。あれさ。「いやあ。残念。死にぞこないましたわー」とか、笑ったらよかった?

1回目の手術のときは、手術のための手術が必要だった。手術の範囲を知るための手術をして、
結果。洗いざらい「摘出」する必要があって、広範全摘出。

だったら一度でよかったはず。と、もんくを言ってたな、心の中で。、
そして、また、がんになったら、もう手術はぜったーーーいにしないぞと決意したのになあ。

人生は思う通りにはならないもんです。

あ。ごめんなさい。もっと生きたいと願う人たちに失礼過ぎる。申し訳ない。

「生きたい」のに、「生きることができない」。
「生きてほしい」のに、「生かしてあげることができない」
そんな地団駄を踏みたい状況が想像できないわけではなくて。

1回目の手術があって、「生かされて」両親を在宅介護で看取ることができたのは、親孝行の
まねごとができたわけで。使命は全うできた気はするけれど。

今回はもう、家族もいないし、仕事に関しても、もはやリタイアしていてもおかしくないわけで。
「生かされる」ことよりも、『迷惑をかけたくない」という気持ちの方が強く、強く。

私、趣味で占いができるんですが、私の手相。「二重生命線」というものがあるんですね。
危機的状況でも生き延びることができる相らしく。そんなこんなで、今回もまた、「延命」しちゃう
「運命」だったのではないかと。「強運」が私の意図とは別に使われちゃって、茫然。
同じ「強運」なら、もっと違うことに発揮してほしかった気がする。←贅沢。

私なんかが延命してもなんだかなとは思うから、もしも、いのちの火を長いろうそくに替えて
あげることができたなら、十八世中村勘三郎さんにさしあげたいなと心から思います。

あのような、日本文化のリーダーとなる方が50代で亡くなってしまうなんて。もったいない。
本当に残念で仕方なかった。

特別なファンではなかったけれど、その功績くらいは私にもわかる。

落語の「死神」の最後のシーンを思い浮かべて、私のろうそく、勘三郎さんのものと取り替えて
あげかったと、半ば本気で思っている。

できないことはどうしようもないから、今は抗がん剤治療を頑張るしかない。
「生かされる」運があるのなら、やはり、それは全うするしかないものね。

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