眺める空に描くもの

高齢者女子のおひとりさま暮らしノート

同病仲間の新旧の話

2024-09-20 16:20:57 | 闘病記
あっつ、あっつ、死にそうとぼやきながら、本日も放射線治療に出かけて来ました。

もう、本当に暑さが酷い。ふうー。どこまで続くのかな?

まだ、毎日、あと1か月は通わないといけないけど、暑さで挫折しそうです。
今月は祝日があるから、その分は治療もお休みなので、ちょっと安心。

そういえば、放射線治療の予約は、基本的に毎日、ずーっと同じ時間の予約が入っています。

なので、お会いするのは同じメンバーということで、顔見知りになった方が、
話しかけてくださって、治療の状況のお話などさせていただきました。

Aさんはおそらく、同世代と思しき女性ですが、うかがうと、ご心配な状況ではなく、
かなり軽い病状で受診できたらしく、本当によかったなと、人さまのことですが、
うれしく感じました。Aさんは献血を40回もなさって来たとか、本当にすばらしい。
それだけ、今まで健康な生活をなさって来たんだろうなあと尊敬のまなざし。

私の方は血戦のお話をしたので、Aさんにも私の腕をじっくり観察されました。
「こんなに血管が見えてるのに採れないんですか?」と不思議そう。
それで、採れない理由をあれこれお話して、針痕があっちにもこっちにもすごいので、
「かわいそうに」と慰めていただきました。
ありがとうございます。てへ

病院のスタッフの方には愚痴を言えないので、なんだか、とっても元気が出ました♪

いつもひとりで闘病しているので、やはり、人さまとお話しできると、ストレスが
軽減されるなと実感でした。

「また、来週ね」と挨拶をされて、しばらくの間は治療仲間ができてありがたいなと。
あちらの方の治療回数が少ないので、さほど遠くなくお別れだとは思いますが。

最初のがん治療のときは、某有名国立大学病院に入院したのですが、当時は設備が
悪くて、古い設備の大部屋には6人分の病床が詰められていました。

しかも、入って来る患者さんはかなりステージが悪い、治療が困難な方が多いので、
「死を身近にした不安な方」が多く、朝から晩まで「死」について話をしている暗い
病室が多かったようです。

そんな中で、私のいる病室は、私がいろんな楽しい話をしてあげたり、歌を歌ったり、
姓名判断をしてあげたりするので、いつも明るい雰囲気。別の病室から遊びに来た
患者さんが「この部屋は明るくてうらやましい。私もこの病室に移りたい」などと
おっしゃっていました。

私たちの大部屋の前には個室があり、そちらにムスリマらしい女性が入院されていて
私が同室の方にせがまれて「カーロ・ミオ・ベン」を歌っていたら、その方が
あわてたようにお部屋から出ていらして、歌っている人を探している様子でした。

有名な曲ですから、その方もご存じだったのでしょう。
イタリア語の曲で私が歌詞を空で覚えている曲ですが、イタリアの方の前で歌っても、
「発音がきれい」と言われたので、ちょっと得意な曲で、その方のなぐさめに
なったのなら、うれしいなと思ったできごとでした。

そういえば、大学の先生に日本語、英語、スペイン語、イタリア語、フランス語が
自在に話せる方がいらして、いきなり、すべての言語で話しかけられて、目をシロクロ
させてしまったことがありました。

「あなたもイタリア語くらい話せないとね」と笑われてしまいました。
その先生はイタリア人だったと思います。

今にして思えば、たしかにもっと他国のことばを話せたら楽しいだろうなあと思います。

何しろ、母に徹底して罵られていたせいで、「バカだから勉強しても仕方ない」と、
思い込んでしまい、いろいろと後悔する人生の場面がありました。

今はどのような環境でも自己責任だったなあと反省。
今からでも頑張りますか(笑)

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