from 張暁舟ブログ
オリジナルテキスト 有所事事的人
張暁舟 中国有名なサッカー ジャーナリスト、各種音楽演出の計画兼ね音楽評論者
オスロに留学してる、中国唯一の前衛サックスプレやーである李鉄橋(Li1tie3qiao2)さんから手紙がもらいました。丁寧に私に芸術を好きな実業家と官員を仲良く、友達になろうとか、芸術を動かせるのはやはり彼らだと言われました。この話は私を悲しませました。数年前、私は何回もお金に困っていた友達に我々の中に誰かが先に金持ちになるべきだと言いましたが、数年掛けても、身辺には貧乏的な芸術家ばっかり、みんなは李鉄橋のように怖い顔して、夢中に前衛芸術を続けています。
勿論、例外なこともあります。4月、上海ロック音楽祭で崔健(cui1jian4)と彼の後援会と出会った。後援会の人たちは中国名門大学ーー北京大学卒、今は大ボス、幹部となりました。彼らのロックショーを楽しむ様子を見て、彼らの身分とつながりにくいですね。
崔健のファン達が学生から大ボス、幹部に成長してきました。多分、時代がこれで代わって行くと私はそう考えています。
十数年前、崔健は水害による被災者を救済のために、慈善公演を開こうとしたが、上から許可が取れませんでした。その理由は洪水を防ぐ、猛獣も防ぐ(REALCHINA:ロックは西方資産階級生活の産物だから、文化的な侵入は厳格的に規制されていた)
麗江雪山音楽祭で、崔健が彼の名曲「一無所有」を終曲として歌う前に、わざと「この曲を麗江地区のトップ指導者に捧げる」と説明し、「トップ指導者こそ麗江雪山音楽祭の主催者である」と感謝しました。ロックファンに対し、音楽を役人に捧げることはなんだか不気味なことでしたが、ファン達に理解もらいたいのはこれこそ歴史の進歩であること。愚かな対立より聡明的な協力した方がいいです。2002年麗江雪山音楽祭、2003年賀蘭山音楽祭、そして城ロック音楽祭は全て地元の政府がこれらの大型音楽祭の主催役を担当されました。城市トップ指導者は40歳、老崔より5歳若く、音楽が大好きな方であります。
先日、昆侖飯店で宋庄芸術祭記者会見を開きました。また、崔健より若い官員ーー北京通州の鎮党委書記と出会いました。芸術によく分かる方です。その方が崔健のそばに座って、フランスのバルビゾン派からニューヨークSOHO、創意産業から「芸術で鎮を振興する」まで色々なジャンルを話しかけました。まるで夢みたいな感じですね。昔、東村、通県に住んでいた芸術家の悲しい兼ねて悲惨な記憶ははっきり覚えています。少なくとも、今日そこに住む芸術家達は暫住証(暫定居住証)がない理由で暴行或いは押し出しを加えられないでしょう。