先日の新聞記事を読み返して
思う。「信じるということ」
について
わたし個人に関して言えば
誰のことも自分のことも
初めから信じていない。
幼少期からの確かな絶望は
遠い昔に、振り切れている。
そんな悲しい人間であるのと
同時に
『自分から信じる必要のないもの』
にすでに出遇っている、強さがある。
何も信じられない自分が
そのまま抱きとめられる世界。
深い闇は、闇のまま
おおきな光に包まれている。
思う。「信じるということ」
について
わたし個人に関して言えば
誰のことも自分のことも
初めから信じていない。
幼少期からの確かな絶望は
遠い昔に、振り切れている。
そんな悲しい人間であるのと
同時に
『自分から信じる必要のないもの』
にすでに出遇っている、強さがある。
何も信じられない自分が
そのまま抱きとめられる世界。
深い闇は、闇のまま
おおきな光に包まれている。
他を否定する意味でなく
私にとって『究極の教え』です。
人間の信じる信じないは
コロコロ変わるものですが
如来様より賜りたる『信心』は
疑う必要がありません。
この私を目あてに
完成されたものを頂くだけです(^-^)