ただいま妄想中

夢、かつリアルな頭の中身をどこへ。

ひとの生き様

2008-08-31 10:53:05 | Weblog
昨日。朝7:30すぎ~
2人のご門徒さんが、境内の草取りに来て下さった!

午後1:30~は、毎月16日と30日の例会があった。

16日は、親鸞聖人のご命日で
30日は、ここ説教所で伝道を続けた、前住職のご命日。

その両日を縁として、みなさんとお正信偈を読んで
若院の(相方)ご法話を聞いて、お茶をしながら語らうのであります

若院の話。草取りをしていたとき

自分から見た「蚊や蟻」は景色のひとつに過ぎないけれど。

「蚊や蟻」から見た自分は、なんと恐ろしい存在であるか。
草を引き抜いて、大切な水分源や、家を奪う。

自分では自分が見えない。

他のものを通して、初めて「わが姿」を知るのだと。

また若院が
あるご門徒さんから伺った話。

子供のころ
「なぜ手を合わせなければいけないのか?」

と尋ねたとき、前住職から

「目に見えないロープがあってね、
そこに必死にしがみついている私達だけれど、
その横で、ネズミさんがカリカリとロープを削っているんだよ。
ロープはいつ切れるかわからない、だから手を合わせるんだよ」

と教わったそうだ。

若院は、そのロープは「いのち」だけに限らず
わたし達が、必死になってしがみついている
家族やお金、名誉や財産、仕事、、etc.

いろんなものを表すと、付け加える。


子どもさんに「いのち」を伝えるのは
大人に伝える以上の難しさがある中で。

小さいときに聞いた話が、80歳を超えても
その方の中に、確かなものとして残っている。

すごいことであるなと、思いました。


また前住職は、命を終えるときに
「わしゃ、これからもっともっと忙しくなるのぅ」
という言葉を、遺したそうであります。

南無阿弥陀仏のお念仏をいただいた者は
お浄土に参って、仏となったら
めでたしめでたし、ではないのです。

この土に戻って来て

今度は、あらゆる命を救う仏として
わたし達のまわり「いまここ」ではたらき続けます

すごいことです。


お念仏者は、南無阿弥陀仏と出遇って「わが姿」を知り


阿弥陀様に願われながら
懺悔と感謝の日暮らしを経て、仏となる。

仏となって、今度は他のものを救いに走る。

わたし達の「思議」を超えた「真実真理」
これほどの「み教え」に出あえたこと

ただただ、嬉しくありがたく思うばかりです。

例会後、ご門徒さんが5人残られて、
4:30すぎまで境内の掃除をして下さいました

みなさん帰られた後、
おかあさんに『読売日本交響楽団・名曲コンサート』
のチケットを2枚もらったので

若院と一緒に、グラントワまで
オーケストラを聴きに行きました。
(写真は、以前撮ったグラントワです。石州瓦づくりで美しい

ピアノは「上原彩子さん」
チャイコフスキー国際コンクールピアノ部門で
日本人初、女性初の優勝者です

ものすごい表現力でありました

あの小さな体全体から溢れる、音楽。存在。

音楽なのか人間なのか
人間なのか音楽なのか

しかし、柔道で一本とってみたり
ピアノやバイオリンを弾いてみたり。

われわれ人間は、いろんなことをしてみる生き物ですなぁ

追伸:夜ご飯を食べずに、オーケストラを聴きに行った為
   あめ色のバイオリンが、美味しそうに見えました
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