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SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

戦国・江戸時代 武将 甲冑・刀剣・茶道具 博物館・美術館・城・茶室などを巡る拝見記。その他の雑記もあり。

2208 群馬県立歴史博物館 常設展示

2022-10-30 | 探訪
まだここ

群馬県立歴史博物館

伝新田義貞倚像

碁盤
関東管領・上杉顕定所用。

井伊直政所用 金小札黒糸威具足

朱漆塗阿古陀形筋兜
彦根藩井伊家家老・岡本半介所用

軍配
彦根藩井伊家家老・岡本半介所用

常設展示も見応えがありました。

2208 群馬県立歴史博物館 戦国上州の刀剣と甲冑

2022-10-26 | 探訪

群馬は高崎

群馬県立歴史博物館

戦国上州の刀剣と甲冑

短刀 銘 国光(号 大権現国光) 
鎌倉時代、相模の刀工・新藤五国光の作。
尾張徳川家伝来。その号から家康との繋がりを匂わせるが・・・
短刀 無銘 行光(名物 佐藤行光)
鎌倉時代後期、相模の刀工・行光の作とされる。
秀吉の家臣・佐藤勘右衛門堅忠が所持したことから佐藤行光と呼ばれる。
後に德川家康に渡り、家康から紀州藩主・徳川頼宜に与えられ、承応3年(1654)頼宣の三男・松平頼純に譲られて以降は伊予西条藩松平家に伝来した。
太刀 銘 正宗(名物 木下正宗)
鎌倉時代末期、相模の刀工・五郎入道正宗の作。
木下藤吉郎こと豊臣秀吉が所持したとされ、後に徳川将軍家に伝来した。
正宗の在銘作は短刀のみ四口がしられるが、本作は現存するただ一つの生ぶ茎在銘の太刀であると考えられているが近年まで行方不明であった事から、今後の研究が待たれるところ。
本庄繁長所用 鉄錆地六十二間小星兜
六十二間の小星兜で、眉庇や𩊱は後に改変されたもの。鉢裏に「上州八幡作」と銘がある。
本庄繁長は上杉謙信・景勝に仕えた武将。兜には長さ3cmにわたる刀傷があり「鬼神」と称された繁長らしい。

他には直江兼続の「愛」の兜や狭山藩北条家伝来の具足などを拝見 。
上州で作られた刀剣や甲冑、さらに相州伝まで多く拝見出来ました。

2207 美術館「えき」KYOTO 時間~TIME BOWIE×KYOTO×SUKITA リターンズ

2022-10-23 | 探訪
from Kyoto

美術館「えき」KYOTO

時間~TIME BOWIE×KYOTO×SUKITA リターンズ
期間:6月25日(土)~7月24日(日)
「2021年4月3日に開幕したものの新型コロナウイルス感染拡大により、会期途中で閉幕となったこの写真展は、その後寄せられたアンコールの声、そして今年がデヴィッド・ボウイ生誕75年、名盤「ジギー・スターダスト」誕生50年の年でもあることから、「時間~TIME BOWIE×KYOTO×SUKITA リターンズ 鋤田正義写真展」として、再び開催します。」(公式より)

こちらの展示は昨年も拝見しましたが今年も足を運びました。(昨年のレポはこちら
展示内容は特に変化していませんが京都とボウイの相性の良さを再確認しました。

イーノ展とボウイ展が徒歩でわずか数分の場所で行われた2022年初夏。
奇跡的なこの出会いに感謝です。

2207 京都中央信用金庫 旧厚生センター BRIAN ENO AMBIENT KYOTO

2022-10-19 | 探訪
from Kyoto

京都中央信用金庫 旧厚生センター

BRIAN ENO AMBIENT KYOTO
期間:6月3日(金)~9月3日(土)

「ヴィジュアル・アートに革命をもたらしたブライアン・イーノによる音と光のインスタレーション展」

作品は画像の4つの他に会場をシームレスに使った『The Lighthouse』がある。
『The Ship』はタイタニック号の沈没を題材に音楽が充実した作品。
『Face to Face』は世界初公開作品で、ランダムに生成された人の顔が次々と変化していく。

『Light Boxes』
LED技術を駆使した光の作品。

『77 Million Paintings』
それぞれの作品は椅子などに腰掛けながら鑑賞するのだが、特にこの作品はソファでゆったりと万華鏡の様に移り変わる光をリラックスして眺める事が出来る。

イーノといえばソロ作はもちろん、ロキシー・ミュージック、フリップ&イーノ、プロデューサーとしてトーキング・ヘッズやウルトラヴォックスそしてU2などの作品に携わっていますが、私にとってはやはりデヴィッド・ボウイと共に作った『Low』『"Heroes"』『Lodger』そして『1.OUTSIDE』になります。
ってことで次回はボウイだ!

2207 浅井歴史民俗資料館 浅井長政が駆けた戦国の湖北

2022-10-17 | 探訪
今回も長浜

浅井歴史民俗資料館

浅井長政が駆けた戦国の湖北 ー浅井氏ゆかりの寺社が物語る歴史ー
期間:7月13日(水) ~9月5日(月)

浅井長政所用 朱漆塗鉄六十二間筋兜
浅井長政が長浜の大安養神社に奉納したと伝わる兜で、兜鉢裏側の銘から室町時代末期の甲冑師・明珍信家作が天文7年(1538)に制作した事が分かる。
なお朱漆や兜の左右に付く黒熊毛の吹返しなどは後補である。
浅井長政所用 太刀 銘 長光
鎌倉時代、備前の刀工・長船長光の作。
浅井長政が長浜の湯次神社に奉納したと伝わる。
浅井長政所用 銘 備州長船祐定作 / 元亀三年十二月日
室町時代末期、備前の刀工・船祐定の作。
浅井長政が長浜の湯次神社に奉納したと伝わる。

浅井長政所用の兜や刀剣を拝見できて満足です。

さて資料館から国道365号方向へ行くとあるのが、
「道の駅 浅井三姉妹の郷」

お市の方と浅井三姉妹の像

中に入ると

上野樹里(江役)所用 打掛
大河ドラマ「江 ~姫たちの戦国~」のOPで着用していたもの

資料館とセットで是非どうぞ。

2207 長浜城歴史博物館 浅井長政と菩提寺・養源院

2022-10-12 | 探訪
滋賀は長浜

長浜城歴史博物館

浅井長政と菩提寺・養源院-浅井三代の興亡と江戸時代へ続く浅井氏の系譜-
期間:7月16日(土)〜9月5日(月)


浅井長政像
束帯姿で太刀を佩き、右手に笏を持って上畳に坐す姿の長政像。長政像は概ね徳勝寺本と高野山持明院本の二系統に大別されるが、そのどちらとも異なる。
寛永9年(1632)長政の孫にあたる東福門院和子の申し出により長政に従二位権中納言の官位を与える事となり、その背景のもと描かれたと考えられている。
弁才天坐像
養源院の「牡丹の間」の宝塔内に安置されている念持仏。室町時代の作で、長政の正室・お市の方から長女の淀や三女の江ら浅井家の女性に代々受け継がれ東福門院和子より養源院へ納められた。
都林泉名所図会
寛永11年(1799)に刊行された京都の名園を図絵で紹介する案内書。
養源院も紹介されており庭園は遠州作、客殿には伏見城の遺構である「血天井」が残り、板戸の絵は俵屋宗達筆とある。


2207 藤田美術館 「水」「 花」「 傳」その2

2022-10-09 | 探訪

今回も藤田美術館から

梶葉七夕蒔絵硯箱
小堀遠州所持

菊水文螺鈿蒔絵香合
蓋表には黒漆地に螺鈿や金貝で3つの菊花があしらわれ、その周囲に流水文を配している。菊水紋を家紋としていた楠木正成が所持していたという伝承をもつ。

桜狩蒔絵硯箱 尾形光琳作
本阿弥光悦の硯箱をもとに作ったという事を光琳が自ら箱に記している。

唐物肩衝茶入 銘 蘆庵
薩摩島津家伝来

中蓮華左右藤花楓葉図 本阿弥光甫作


寸松庵色紙 伝・紀貫之筆
名の由来は、堺・南宗寺の襖に36枚貼ってあった中から11枚を、佐久間将監実勝入手し、大徳寺の寸松庵に伝来したことに因む。

玄奘三蔵絵 第六巻
国宝。那爛陀(ナーランダ―)寺で饗応にあずかる玄奘三蔵。


2207 藤田美術館 「水」「 花」「 傳」その1

2022-10-05 | 探訪
大阪

藤田美術館

古瀬戸肩衝茶入 銘 在中庵
中興名物。堺の在中庵道休が所持したところからこの名があり、その後小堀遠州が所持した。

在中庵の次第と添状
添状は遠州筆で、飢饉救済の元手とするために在中庵を質に入れ、7千両を借り受けることができた旨を伝えている。

在中庵棚
在中庵を点前で使うための専用棚。遠州好みの七宝文が透かし彫りされている。

本手利休斗々屋茶碗
大名物、千利休所持で、利休より古田織部に与えられた。織部は朝鮮出兵の際にこの茶碗を質に出したが、結局買戻しを断念。それを弟子の小堀遠州が入手して織部を茶会に招待した。久々の再会に感激した織部は手元に残しておいた利休斗々屋の仕覆を遠州に与えたという。

茶杓(茶瓢) 珠光作
中国の象牙の茶匙を原型として作られた。竹茶杓の源流とも言えるもので筒も珠光作とされる。

竹茶杓 銘 藤の裏葉/東方朔 千利休作
2つの銘を持つ茶杓。江月宗玩の筒書きより、利休が豊臣秀吉へ献上し、その後に連歌師・里村紹巴が拝領したことがわかる。

竹茶杓 銘 筧 松平不昧作
筒には『新後撰和歌集』に載る二条為氏「すまは又 すまれこそせめ山里は 筧の水のあるにまかせて」が記される。

今回はなんといっても珠光の茶杓(茶瓢)でしょうか。同様の物は香雪美術館にもありますが、こちらは初見。

2206 草薙館 武将ゆかりの奉納刀

2022-10-02 | 探訪

今回も熱田神宮

草薙館
2021年10月4日に開館した刀剣専門の展示館。初来館です。

武将ゆかりの奉納刀
期間:5月25日(水)~6月27日(月)

脇指 無銘 号 あざ丸
鎌倉時代の作とされるが作者は不明。
「あざ丸」の名は元の所持者で熱田神宮に奉納した平景清の顔にあった痣が刀身に写ったことから。
後に熱田神宮の大宮司・千秋季光が所持していたが織田方として斎藤氏と戦い(加納口の戦い)戦死。斉藤氏の家臣・陰山掃部助が所持する所となった。その掃部助も大垣での戦いで両眼を射られる。何時の頃からか織田家家臣・丹羽長秀が所持していたが、眼の病気に悩まされる事となり熱田神宮に奉納する事となった。
前田慶次奉納 太刀 銘 末□
熱田神宮蔵。銘は「末」の下が判別されない為に作者は不明だが、その姿から鎌倉時代の作だと考えられている。
天正九年(1581)6月に尾州荒子の前田慶二郎が「末□」の太刀を奉納したとの記録があり、それがこの太刀だと考えられている。
刀 無銘 切付銘 文禄三年甲午七月七日織田越中守
南北朝~室町初期頃の作と考えられている備前刀。
奉納者の織田(中根)信照は織田信長の庶弟にあたる人物で、母親は熱田の商家の娘なのだとか。

他にはもちろん目玉の太郎太刀、次郎太刀があります。
更に太郎太刀、次郎太刀の重さを実感できる 体験コーナーもあります。

以上熱田神宮でした。