京都紫野

真珠庵

一休宗純を開祖とする大徳寺の塔頭。
方丈には曾我蛇足や長谷川等伯の障壁画があり、東庭は茶人の珠光作と伝わり「七五三の庭」と呼ばれる。また珠光遺愛の手水鉢の近くには紫式部産湯の井(井戸)がある。
書院「通僊院」は正親町天皇の女御の化粧殿を移築したものと伝わります。
その書院に付属する茶室が今回の目的の「庭玉軒」です
撮禁のため頂いた冊子より

(上:内蹲踞、下:内部)
この庭玉軒は通僊院に付属していた「御物見」を茶人の金森宗和が茶室に改造したものだそうで、宗和の好みを窺い知る事ができる茶室となっています。
そのひとつが「内坪」です。蹲踞がある内露地を部屋内に取り込んだもので、躙口を大きくしたような中潜りが有ります。
この「内坪」は茶室側に向かって斜めに上がっており、露地と茶室の高さをここで調整していようです。
茶室には躙口ではなく貴人口より入ります。内部は二畳台目。通口はかなり低く、点前座には色紙窓や雲雀棚といった織部好の意匠がみられる。
「内坪」は宗和自邸の茶室にもあったそうで、宗和が好んだのは確かなようです。ここでふと気になったのが、昨年訪れた松花堂にある茶室「梅隠」です。
「梅隠」は千宗旦の居宅に設けられていたものを、この庭園(松花堂庭園)に再現したものなのですが、ここにも中潜り・内露地・貴人口の「内坪」があります。
宗和と宗旦は同年代に京で活躍した茶人ですが、仲が悪かったとされています。その2人の居宅に同じものが有ったとすれば、これは面白い偶然ですね。

真珠庵

一休宗純を開祖とする大徳寺の塔頭。
方丈には曾我蛇足や長谷川等伯の障壁画があり、東庭は茶人の珠光作と伝わり「七五三の庭」と呼ばれる。また珠光遺愛の手水鉢の近くには紫式部産湯の井(井戸)がある。
書院「通僊院」は正親町天皇の女御の化粧殿を移築したものと伝わります。
その書院に付属する茶室が今回の目的の「庭玉軒」です
撮禁のため頂いた冊子より

(上:内蹲踞、下:内部)
この庭玉軒は通僊院に付属していた「御物見」を茶人の金森宗和が茶室に改造したものだそうで、宗和の好みを窺い知る事ができる茶室となっています。
そのひとつが「内坪」です。蹲踞がある内露地を部屋内に取り込んだもので、躙口を大きくしたような中潜りが有ります。
この「内坪」は茶室側に向かって斜めに上がっており、露地と茶室の高さをここで調整していようです。
茶室には躙口ではなく貴人口より入ります。内部は二畳台目。通口はかなり低く、点前座には色紙窓や雲雀棚といった織部好の意匠がみられる。
「内坪」は宗和自邸の茶室にもあったそうで、宗和が好んだのは確かなようです。ここでふと気になったのが、昨年訪れた松花堂にある茶室「梅隠」です。
「梅隠」は千宗旦の居宅に設けられていたものを、この庭園(松花堂庭園)に再現したものなのですが、ここにも中潜り・内露地・貴人口の「内坪」があります。
宗和と宗旦は同年代に京で活躍した茶人ですが、仲が悪かったとされています。その2人の居宅に同じものが有ったとすれば、これは面白い偶然ですね。