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SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

戦国・江戸時代 武将 甲冑・刀剣・茶道具 博物館・美術館・城・茶室などを巡る拝見記。その他の雑記もあり。

1801 真珠庵 庭玉軒

2018-03-28 | 探訪
京都紫野
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真珠庵
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一休宗純を開祖とする大徳寺の塔頭。
方丈には曾我蛇足や長谷川等伯の障壁画があり、東庭は茶人の珠光作と伝わり「七五三の庭」と呼ばれる。また珠光遺愛の手水鉢の近くには紫式部産湯の井(井戸)がある。
書院「通僊院」は正親町天皇の女御の化粧殿を移築したものと伝わります。

その書院に付属する茶室が今回の目的の「庭玉軒」です
撮禁のため頂いた冊子より
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(上:内蹲踞、下:内部)
この庭玉軒は通僊院に付属していた「御物見」を茶人の金森宗和が茶室に改造したものだそうで、宗和の好みを窺い知る事ができる茶室となっています。
そのひとつが「内坪」です。蹲踞がある内露地を部屋内に取り込んだもので、躙口を大きくしたような中潜りが有ります。
この「内坪」は茶室側に向かって斜めに上がっており、露地と茶室の高さをここで調整していようです。
茶室には躙口ではなく貴人口より入ります。内部は二畳台目。通口はかなり低く、点前座には色紙窓や雲雀棚といった織部好の意匠がみられる。

「内坪」は宗和自邸の茶室にもあったそうで、宗和が好んだのは確かなようです。ここでふと気になったのが、昨年訪れた松花堂にある茶室「梅隠」です。
「梅隠」は千宗旦の居宅に設けられていたものを、この庭園(松花堂庭園)に再現したものなのですが、ここにも中潜り・内露地・貴人口の「内坪」があります。
宗和と宗旦は同年代に京で活躍した茶人ですが、仲が悪かったとされています。その2人の居宅に同じものが有ったとすれば、これは面白い偶然ですね。

1801 古田織部美術館 織部はキリシタンか?

2018-03-25 | 探訪
京都
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古田織部美術館
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織部はキリシタンか?
期間:1月20日(土)~ 5月13日(日)
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竹茶杓 蒲生氏郷作
蟻腰の茶杓で、切止にソゲが見られる。
筒に「飛騨守氏郷 妙関」と銀文字で記されている。妙関とは石見浜田藩主・松平康福のこと。
竹茶杓 牧村兵部作
堂々とした形で、煤竹の茶杓。
胡麻竹で作られた追筒に「牧村兵部大夫殿作 仮筒」と記されている。
竹茶杓 瀬田掃部作
大ぶりで幅広のいかにも掃部作らしい形の茶杓。櫂先は尖りぎみ、中央に稜線が入り節に段がある。
筒には「瀬田武左衛門作 カモンコト」「筒 宗卜造」「竜玄院(花押)」とあるが、竜玄院の詳細は不明。

牧村兵部の茶杓は初めて拝見しましたが、本物であれば非常に珍しい。利休七哲では織部・三斎・瀬田掃部は比較的多くあり、氏郷も幾つか残りますが、高山右近は1本しかなく牧村兵部・芝山監物は不明。

1801 福岡市博物館 黒田家の刀剣と甲冑展

2018-03-21 | 探訪
今回も福岡市博物館
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黒田家の刀剣と甲冑展
期間:1月7日(日)~2月12日(月)
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黒田如水所用 黒糸威五枚胴具足
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朱漆塗合子形兜
本来上記具足には「白檀塗合子形兜」が添っていたが、如水より栗山利安に与えられた。
栗山利安の息子・栗山大膳利章の時「黒田騒動」が起き利章は盛岡藩南部家に預かりとなり、兜を持って盛岡へ旅立った。後に子孫が南部家に献上している。
「朱漆塗合子形兜」は貞享五年(1688)福岡藩主三代・黒田光之の命により作られた。
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上記五枚胴具足の鎧櫃。「如水公御冑」とある。
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黒田長政所用 黒漆塗南蛮鉢歯朶前立兜
慶長五年(1600)関ヶ原の戦い前に徳川家康より拝領した兜。「黒田家譜」によれば長久手の戦いで家康が着用したものと伝える。
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黒田長政所用 黒漆叩塗帽子形兜
長政が禅の師である大徳寺の春屋宗園の帽子(もうす)をもらい受け摸して作らせたもの。
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刀 二字国俊
鎌倉後期、山城の刀工・国俊の作。
茎に「黒田甲斐守所持之」とあり黒田長政の所持銘がある。
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大身槍 一国長吉
享保名物帳所載。戦国時代、山城の刀工・長吉の作。
黒田長政が初陣以来愛用したとされ、後に筑前一国の太守となった事により「一国」と命名された。
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金霰鮫青漆打刀拵
左が「圧切長谷部」右が「安宅切」の拵。黒田如水の愛刀「安宅切」の拵を模して「圧切長谷部」の拵が造られた。刀身の違いにより「安宅切」の拵の方が反りが強い。
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黒田忠之所用 茶糸威五枚胴具足
兜は父・長政所用の一の谷形兜を模したもの。忠之以降の歴代藩主も写しを作っている。
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短刀 銘 吉光 /金梨子地藤巴紋蒔絵合口拵
鎌倉時代中期、山城粟田口の刀工・藤四郎吉光の作。
徳川家康が誕生したばかりの黒田忠之に与えた。
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黒田光之所用 黒糸素掛威丸胴具足
兜は初代・黒田長政に倣った大水牛脇立兜。
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刀 行光 /黒漆塗打刀拵
鎌倉時代、相模の刀工・行光の作とされる。
三代将軍徳川家光より福岡藩三代・黒田光之が拝領した。
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黒田一成所用 紺糸威五枚胴具足
兜は鉄錆地置手拭形大小頭立兜。文禄・慶長の役で着用したとされる。
黒田一成は黒田二十四騎や黒田八虎に数えられた。
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黒田一成所用 銀大中刳大盔旗脇立頭形兜
銀箔押の脇立は1mを超える長大なもの。関ヶ原の戦いで着用したとされ、その際あまりに大きいために敵から旗指物と勘違いされ大砲を放つ目当てにされたという。
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野口一成所用 紺糸威二枚胴具足
兜は朱漆塗頭形刳半月脇立兜。天正15年(1587)黒田如水(または長政)により同じ黒田二十四騎の一人である母里太兵衛が黒の、一成が朱の半月脇立を使用するよう命じられている。

沢山の甲冑、刀剣を拝見出来ました。いやいや眼福眼福。


1801 福岡市博物館 黒田家名宝展示と新収蔵品展

2018-03-18 | 探訪
福岡
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福岡市博物館
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黒田家名宝展示
期間:1月5日(金)~2月4日(日)
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日本号
天下三名槍のひとつ。
元は御物で正親町天皇から足利義昭が拝領、その後の伝来は織田信長、豊臣秀吉、福島正則、黒田家家臣・母里太兵衛友信。
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圧切長谷部
国宝、享保名物帳所載。南北朝時代、山城の刀工・長谷部国重の作。
織田信長所持で黒田如水が拝領。福岡藩主黒田家伝来。
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黒田家家紋入鞍(前)
黒田家家紋の藤巴紋が入っており藩主より拝領したと伝わる。

お次は
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新収蔵品展
期間:1月7日(日)~2月12日(月)
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木像東照権現坐像
福岡藩二代・黒田忠之が創建した東照宮の御神体。
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黒田長政像
寛永五年八月四日付の賛を持つ。
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黒田長政像の賛部分。毛利氏の求めに応じ江月宗玩が着賛した。
毛利氏は母里氏の事と考えられ母里太兵衛の子・左近あたりの依頼によるものか。
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南方録
福岡藩士・立花実山が見出した千利休の秘伝書とされるもの。
堺・南宗寺集雲庵の住職南坊宗啓が著したとされるが、現在では実山の創作と考えられている。

次回も福岡市博物館。

1801 旧大阪商船ビル・大連航路上屋 見どころ学べる!目で観る刀の教科書展

2018-03-14 | 探訪
福岡は門司
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大連航路上屋
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見どころ学べる!目で観る刀の教科書展
特別展示
期間:1月12日(金)~14日(日)

刀 大倶利伽羅広光
享保名物帳所載。南北朝時代、相模の刀工・広光の作とされる。
伊達政宗が元和6年(1620年)に江戸城石垣修築の功により将軍徳川秀忠に拝領した。
刀 波游ぎ兼光
享保名物帳所載。南北朝時代、備前長船の刀工・兼光の作とされる。
伝来は上杉謙信・景勝、豊臣秀次、秀吉、小早川秀秋、松平忠輝、立花宗茂、柳川藩立花家伝来。
短刀 乱藤四郎
享保名物帳所載。鎌倉時代、山城の刀工・粟田口吉光の作。
伝来は室町幕府管領・細川勝元、足利将軍家、足利義昭所持の時、三好一党が義昭の居る本圀寺を取り囲み朽木元綱が救出、恩賞としてこの短刀を与えられた。江戸時代には阿部家伝来。
太刀 鄙田青江恒次
享保名物帳所載。鎌倉時代、備中の刀工・青江恒次の作。
駿河大納言忠長の家臣・日向(鄙田)半兵衛が所持した事によりこの名で呼ばれる。その後豊前小倉藩主・小笠原忠真の娘が福岡藩主・黒田忠之の嫡子である光之に嫁いだ際に婿引出として贈られた。以降は黒田家伝来。

次は常設展示より
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旧大阪商船ビル
期間:平成29年12月9日(土)~平成30年1月14日(日)

刀 同田貫上野介(正国)
戦国時代、肥後の刀工・正国の作。正国は熊本を領した加藤清正のお抱えとなり、「正」の字は清正から授かったもの。
加藤清正所持で文禄・慶長の役で使用した錆が残っている。後に岡山藩池田家に伝来した。
刀 正宗
鎌倉時代、相模の刀工・正宗の作とされる。茎に金象嵌で「道芝乃露 於大坂城 下賜 真田幸村」とある。
真田幸村が大坂城において豊臣秀頼より賜ったとされる。
太刀 行正
平安後期、薩摩の刀工・波平行正の作。「平治元年八月二日」と年号が刻まれている。
薩摩藩主島津家伝来で、明治38年(1905)日本海海戦を前に必勝祈願を託し東郷平八郎海軍大将に授けられた。

なかなか拝見出来ない刀剣を見てきました。それにしてもよく並んだな・・・(疲労困憊)

1801 名古屋市博物館 森川コレクション

2018-03-11 | 探訪
今回も名古屋
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名古屋市博物館
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森川コレクション 如春庵・鈍翁の自作茶道具
期間:1月5日(金)~2月25日(日)
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森川如春庵像 バーナード・リーチ筆
如春庵は愛知県出身の近代数寄者で本名は勘一郎。茶道の師であった下村西行庵の茶会に招かれ出合った光悦作黒楽茶碗「時雨」を所望し手に入れた。当時の年齢はなんと16歳だった。
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黒楽茶碗 銘 時雨 本阿弥光悦作
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赤楽茶碗 銘 あけぼの 益田鈍翁・森川如春庵作
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益田鈍翁像 原三渓筆
鈍翁は三井物産を創業した大実業家であり数寄者であった人物。40歳近く年下だった如春庵と親密な交友関係にあった。
作者の原三渓も実業家であり数寄者。この肖像画は如春庵が三渓より貰い受け鈍翁に賛を求めたもの。
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竹花入 銘 威雄 益田鈍翁作

その他の展示では
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太刀 銘 国泰
鎌倉時代末期~南北朝時代、肥後の刀工・延寿国泰の作。
仙台伊達家伝来。
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槍 銘「信高作 十」
桃山~江戸時代前期、初代・藤原信高の作。
織田信長より「信」の字を下賜されたと伝わる。

1801 熱田神宮宝物館 日本の聖地~伝世の神社宝物~

2018-03-07 | 探訪
2018年最初は名古屋
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熱田神宮宝物館
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新春特別展「日本の聖地~伝世の神社宝物~」
期間:1月1日(月)~1月30日(火)

最初は撮影可能なスペースにある「太郎太刀」・・・
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ってなんかちょっと短いと思ったら「次郎太刀」が展示されてました。
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大太刀 朱銘 千代鶴国安(次郎太刀)
刃長166.7cm。室町時代、越前の刀工・国安の作とされる。
切付銘により元亀元年(1570)8月に奉納された事が分かる。この年に近江で織田・徳川軍と朝倉・浅井軍が激突した姉川の戦いで奮戦した朝倉家の家臣・真柄直隆が用いた大太刀を「太郎太刀」そして子の隆基が「次郎太刀」を用いたとされる。

太刀 銘 長船住人長光 附 糸巻太刀拵
静岡浅間神社蔵。刃長70.6cm。鎌倉時代中期、備前長船の刀工・長光の作。
社伝によれば豊臣秀吉が小牧長久手の戦いの和睦に際して徳川家康に贈った。
刀 銘 大和国住則長
秋葉山本宮秋葉神社。刃長73.7cm。室町時代、大和国尻懸派の刀工則長の作。
「宝物目録」には足利尊氏奉納とある。
刀 銘 第一義
秋葉山本宮秋葉神社。刃長81.4cm。作者銘は無く切付銘「第一義」については不明。
「宝物目録」には加藤清正奉納とある。

この他にも国宝の短刀「来国俊」や応永5年土岐美濃守が南宮大社に奉納した太刀「康光」、徳川家康をはじめとする歴代将軍の書画、武田信玄・今川義元・織田信長・豊臣秀吉の朱印状などなど、てんこ盛りでした。

1712 古田織部美術館 織部と光悦Ⅱ

2018-03-04 | 探訪
京都
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古田織部美術館
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秋季展「織部と光悦Ⅱ」
期間:9月23日(土)~2018年1月14日(日)
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黒楽茶碗 銘 出額 道入造
胴は丸みをもち上部から極端に締められ口部にかけて再度広く開いた珍しい形の茶碗。胴には蛇褐釉が見られ景色となっている。銘はその丸く張り出した胴からの想起されたと思われる。
大瓢花入 本阿弥光悦造
通常の瓢花入は上部を切り取った形だが、この花入は上部の細い部分も付いており胴中央がくり抜かれている。背面に定家の和歌が銀文字で記されている。
赤楽茶碗 銘 有明 本阿弥光悦造
腰に丸みをもち胴には縦に箆目がついている。胴中央には黒釉のなだれが見られる。
今回の発表では、この茶碗を「光悦七種(異説)」「光悦十作」に挙げられる「有明」だと紹介されているのだが、まだまだ検討の余地が残されており結論を出すのは早計だと思いました。

今回は「有明」が目玉だった訳ですが、色々と???な感じです。
これにて2017年分は終了、次回から2018年です。