野外博物館
武蔵小金井
小金井市桜町3-7-1(都立小金井公園内)
http://tatemonoen.jp/index.html
─江戸東京たてもの園は、1993年(平成5年)3月28日に
開園した野外博物館です。
都立小金井公園の中に位置し、敷地面積は約7ヘクタール、
園内には江戸時代から昭和初期までの、
27棟の復元建造物が建ち並んでいます。
当園では、現地保存が不可能な文化的価値の高い歴史的建造物を移築し、
復元・保存・展示するとともに、
貴重な文化遺産として次代に継承することを目指しています。─
以前から訪れたかった、江戸たてもの園へ。
1時半過ぎに到着すると、暑かったからか、思ったほど人がいない。
という訳で、混んでいるときは建物に入るのに、入場制限があるほどらしいが、
今日は、どこもすんなりと入れて、超ラッキー。
↑前川國男邸
─日本の近代建築の発展に貢献した建築家前川國男の自邸として、
品川区上大崎に1942年(昭和17)に建てられた住宅です。
戦時体制下、建築資材の入手が困難な時期に竣工しています。
外観は切妻屋根の和風、内部は吹き抜けの居間を中心に
書斎・寝室を配したシンプルな間取りになっています。
[品川区上大崎三丁目/1942年(昭和17)]─
↑高橋是清邸
─明治から昭和のはじめにかけて日本の政治を担った
高橋是清の住まいの主屋部分です。
総栂普請(そうつがぶしん)で、洋間の床は寄木張りになっています。
2階は是清の書斎や寝室として使われ、
1936年(昭和11)の2・26事件の現場になりました。
[港区赤坂七丁目/1902年(明治35)]─
↑村上精華堂
─台東区池之端の不忍通りに面して建っていた小間物屋(化粧品屋)です。
昭和前期には、化粧用のクリーム・椿油や香水等を作って、
卸売りや小売りを行っていました。
正面は人造石洗い出しで、イオニア式の柱を持ち、
当時としてはとてもモダンな造りとなっています。
[台東区池之端二丁目/1928年(昭和3)]─
↑都電7500形
─都電は、それ以前に製造された7000形からは技術的な部分を、
8000形からはデザイン的な部分を取り入れたことから、
その中間をとってこの名称がつきました。
1962年(昭和37)に20両が製造され、すべてが青山営業所に配属されたため、
特定の路線でしかみることができませんでした。─
↑植村邸
─建物の前面を銅版で覆ったその姿は、〈看板建築〉の特徴をよくあらわしています。
外観は、全体的に洋風にまとまっていますが、
2階部分は和風のつくりとなっています。
[中央区新富二丁目/1927年(昭和2)]─
↑川野商店(和傘問屋)
─傘づくりが盛んであった江戸川区小岩に建てられた和傘問屋の建物です。
内部は1930年(昭和5)ころの和傘問屋の店先の様子を再現しています。
[江戸川区南小岩八丁目/1926年(大正15)]─
↑小寺醤油店
─大正期から、現在の港区白金で営業していた店です。
味噌や醤油、酒類を売っていました。
庇の下の腕木とその上の桁が特徴の
〈出桁造り(だしげたづくり)〉がこの建物のみどころです。
[港区白金五丁目/1933年(昭和8)]─
↑子宝湯
─東京の銭湯を代表する建物です。
神社仏閣を思わせる大型の唐破風(からはふ)や、
玄関上の七福神の彫刻、脱衣所の折上格天井など
贅(ぜい)をつくした造りとなっています。
[足立区千住元町/1929年(昭和4)]─
↓鍵屋(居酒屋)
台東区下谷の言問通りにあった居酒屋です。
震災・戦災をまぬがれた鍵屋は、1856年(安政3)に建てられたと伝えられています。
建物と店内は1970年(昭和45)頃の姿に復元しています。
[台東区下谷二丁目/1856年(安政3)]
↑上野消防署(旧下谷消防署)望楼上部
─1925年(大正14)/台東区
上野消防署(旧下谷消防署)で1970年(昭和45)まで使用され、
77年(昭和52)に解体された望楼。三脚四層式外廊型で、
当時の高さは約23.6メートル、展示しているのは、
上部およそ7メートルほどの部分です。─
万世橋交番↑
─デザインや建築様式から明治時代のものと思われます。
正式名称は須田町派出所。神田の万世橋のたもとにあり、
移築の時にはトレーラーでそっくり運びました。
[千代田区神田須田町一丁目/明治後期(推定)]─
今日はあまり時間が無かったため、ざっと見ただけだったので、
また、じっくりと見に来たいものだ。
武蔵小金井
小金井市桜町3-7-1(都立小金井公園内)
http://tatemonoen.jp/index.html
─江戸東京たてもの園は、1993年(平成5年)3月28日に
開園した野外博物館です。
都立小金井公園の中に位置し、敷地面積は約7ヘクタール、
園内には江戸時代から昭和初期までの、
27棟の復元建造物が建ち並んでいます。
当園では、現地保存が不可能な文化的価値の高い歴史的建造物を移築し、
復元・保存・展示するとともに、
貴重な文化遺産として次代に継承することを目指しています。─
以前から訪れたかった、江戸たてもの園へ。
1時半過ぎに到着すると、暑かったからか、思ったほど人がいない。
という訳で、混んでいるときは建物に入るのに、入場制限があるほどらしいが、
今日は、どこもすんなりと入れて、超ラッキー。
↑前川國男邸
─日本の近代建築の発展に貢献した建築家前川國男の自邸として、
品川区上大崎に1942年(昭和17)に建てられた住宅です。
戦時体制下、建築資材の入手が困難な時期に竣工しています。
外観は切妻屋根の和風、内部は吹き抜けの居間を中心に
書斎・寝室を配したシンプルな間取りになっています。
[品川区上大崎三丁目/1942年(昭和17)]─
↑高橋是清邸
─明治から昭和のはじめにかけて日本の政治を担った
高橋是清の住まいの主屋部分です。
総栂普請(そうつがぶしん)で、洋間の床は寄木張りになっています。
2階は是清の書斎や寝室として使われ、
1936年(昭和11)の2・26事件の現場になりました。
[港区赤坂七丁目/1902年(明治35)]─
↑村上精華堂
─台東区池之端の不忍通りに面して建っていた小間物屋(化粧品屋)です。
昭和前期には、化粧用のクリーム・椿油や香水等を作って、
卸売りや小売りを行っていました。
正面は人造石洗い出しで、イオニア式の柱を持ち、
当時としてはとてもモダンな造りとなっています。
[台東区池之端二丁目/1928年(昭和3)]─
↑都電7500形
─都電は、それ以前に製造された7000形からは技術的な部分を、
8000形からはデザイン的な部分を取り入れたことから、
その中間をとってこの名称がつきました。
1962年(昭和37)に20両が製造され、すべてが青山営業所に配属されたため、
特定の路線でしかみることができませんでした。─
↑植村邸
─建物の前面を銅版で覆ったその姿は、〈看板建築〉の特徴をよくあらわしています。
外観は、全体的に洋風にまとまっていますが、
2階部分は和風のつくりとなっています。
[中央区新富二丁目/1927年(昭和2)]─
↑川野商店(和傘問屋)
─傘づくりが盛んであった江戸川区小岩に建てられた和傘問屋の建物です。
内部は1930年(昭和5)ころの和傘問屋の店先の様子を再現しています。
[江戸川区南小岩八丁目/1926年(大正15)]─
↑小寺醤油店
─大正期から、現在の港区白金で営業していた店です。
味噌や醤油、酒類を売っていました。
庇の下の腕木とその上の桁が特徴の
〈出桁造り(だしげたづくり)〉がこの建物のみどころです。
[港区白金五丁目/1933年(昭和8)]─
↑子宝湯
─東京の銭湯を代表する建物です。
神社仏閣を思わせる大型の唐破風(からはふ)や、
玄関上の七福神の彫刻、脱衣所の折上格天井など
贅(ぜい)をつくした造りとなっています。
[足立区千住元町/1929年(昭和4)]─
↓鍵屋(居酒屋)
台東区下谷の言問通りにあった居酒屋です。
震災・戦災をまぬがれた鍵屋は、1856年(安政3)に建てられたと伝えられています。
建物と店内は1970年(昭和45)頃の姿に復元しています。
[台東区下谷二丁目/1856年(安政3)]
↑上野消防署(旧下谷消防署)望楼上部
─1925年(大正14)/台東区
上野消防署(旧下谷消防署)で1970年(昭和45)まで使用され、
77年(昭和52)に解体された望楼。三脚四層式外廊型で、
当時の高さは約23.6メートル、展示しているのは、
上部およそ7メートルほどの部分です。─
万世橋交番↑
─デザインや建築様式から明治時代のものと思われます。
正式名称は須田町派出所。神田の万世橋のたもとにあり、
移築の時にはトレーラーでそっくり運びました。
[千代田区神田須田町一丁目/明治後期(推定)]─
今日はあまり時間が無かったため、ざっと見ただけだったので、
また、じっくりと見に来たいものだ。
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