両親がいた頃は、31日の夕食が「お年取り」だった。鮭の粕汁煮とブリの砂糖醤油煮はかかせない料理の一つで、年越し蕎麦は「紅白歌合戦」が終わりになるころから新年の「ゴーン」という音を聞く時間をまたいで、食べた。
一人で生きるようになって、「お年取り」は初年度から無い。作れない、作る気がない、金がない、という理由である。が、年越し蕎麦だけは、食べた。あれは「緑のたぬき」でもいいし、湯でそば(タレ付き)を買ってきて、一分茹でるだけでいいものもあったので、これは続いた。
現在。よんどころない事情によりこの家に転がり込んで、事実婚状態で六年が過ぎたが、この家では、彼の父親が麺があまり好きではないという理由で、年越し蕎麦がなかった。家長を重んじるこの家では、麺好きである彼の母親も主人の好みを最優先にしていて、「食べましょうか」ということは一度もなかった。彼も当時は麺類をあまり好まなかったので、別段何も思わなかったらしい。
好きとか嫌いとかの問題ではなく、日本では「年越し蕎麦」を食べるもんだと疑わなかったあたしは、最初の年末に蕎麦が食えんことに非常に違和感を持った。それは三年ほど引きずったと思う。どのみち夕食の「お年取り」には120%腹におさめるので、蕎麦なんぞ食う隙間はない。
が、人は慣れるものである。
いつからか、この家では蕎麦を食わん、と認識したらしい脳はある年から「蕎麦」は食わないもの、を受け入れていた。
さて、年越しは蕎麦だけではない、と知ったのも二、三年くらい前である。四国のほうでは蕎麦ではなく、讃岐うどん。讃岐うどんの有名なところなのだから有り得ることなのだろうが、「日本では」「年越しは」「蕎麦」という三つ巴を疑っていなかっただけに、驚きはそうとうなものであった。
が。今年は新たな「事実」を耳にした。
「お年取り」ということをするのは、長野県だけである、とテレビ番組の「秘密の県民ショウ」なる番組で言っていたらしいのだ。
これには驚いた。この家での蕎麦無し年越し、讃岐うどん、に加わった新たな驚きである。それもまたすぐに慣れることも自覚している。
余談だが、年越し蕎麦、というのは、12月31日から1月1日にかけてズルズルと蕎麦を食べるのが、年越し蕎麦の食べ方だと思っていた。ゆえに、紅白が終わりかけるころから「ゆく年くる年」の「ゴーン」を聞くまで、時間をかけて食べていたのである。更に、二年参りも同様で、神社の前で31日から1日をまたぐように手を合わせ続けるものだと思っていた。
それを話して、彼に大爆笑をされたのは、なーに、ほんの去年のことである。
一人で生きるようになって、「お年取り」は初年度から無い。作れない、作る気がない、金がない、という理由である。が、年越し蕎麦だけは、食べた。あれは「緑のたぬき」でもいいし、湯でそば(タレ付き)を買ってきて、一分茹でるだけでいいものもあったので、これは続いた。
現在。よんどころない事情によりこの家に転がり込んで、事実婚状態で六年が過ぎたが、この家では、彼の父親が麺があまり好きではないという理由で、年越し蕎麦がなかった。家長を重んじるこの家では、麺好きである彼の母親も主人の好みを最優先にしていて、「食べましょうか」ということは一度もなかった。彼も当時は麺類をあまり好まなかったので、別段何も思わなかったらしい。
好きとか嫌いとかの問題ではなく、日本では「年越し蕎麦」を食べるもんだと疑わなかったあたしは、最初の年末に蕎麦が食えんことに非常に違和感を持った。それは三年ほど引きずったと思う。どのみち夕食の「お年取り」には120%腹におさめるので、蕎麦なんぞ食う隙間はない。
が、人は慣れるものである。
いつからか、この家では蕎麦を食わん、と認識したらしい脳はある年から「蕎麦」は食わないもの、を受け入れていた。
さて、年越しは蕎麦だけではない、と知ったのも二、三年くらい前である。四国のほうでは蕎麦ではなく、讃岐うどん。讃岐うどんの有名なところなのだから有り得ることなのだろうが、「日本では」「年越しは」「蕎麦」という三つ巴を疑っていなかっただけに、驚きはそうとうなものであった。
が。今年は新たな「事実」を耳にした。
「お年取り」ということをするのは、長野県だけである、とテレビ番組の「秘密の県民ショウ」なる番組で言っていたらしいのだ。
これには驚いた。この家での蕎麦無し年越し、讃岐うどん、に加わった新たな驚きである。それもまたすぐに慣れることも自覚している。
余談だが、年越し蕎麦、というのは、12月31日から1月1日にかけてズルズルと蕎麦を食べるのが、年越し蕎麦の食べ方だと思っていた。ゆえに、紅白が終わりかけるころから「ゆく年くる年」の「ゴーン」を聞くまで、時間をかけて食べていたのである。更に、二年参りも同様で、神社の前で31日から1日をまたぐように手を合わせ続けるものだと思っていた。
それを話して、彼に大爆笑をされたのは、なーに、ほんの去年のことである。