らき太な日常

『樹萄らき』のある日の出来事 

年末

2009-11-22 | Weblog
 両親がいた頃は、31日の夕食が「お年取り」だった。鮭の粕汁煮とブリの砂糖醤油煮はかかせない料理の一つで、年越し蕎麦は「紅白歌合戦」が終わりになるころから新年の「ゴーン」という音を聞く時間をまたいで、食べた。

 一人で生きるようになって、「お年取り」は初年度から無い。作れない、作る気がない、金がない、という理由である。が、年越し蕎麦だけは、食べた。あれは「緑のたぬき」でもいいし、湯でそば(タレ付き)を買ってきて、一分茹でるだけでいいものもあったので、これは続いた。

 現在。よんどころない事情によりこの家に転がり込んで、事実婚状態で六年が過ぎたが、この家では、彼の父親が麺があまり好きではないという理由で、年越し蕎麦がなかった。家長を重んじるこの家では、麺好きである彼の母親も主人の好みを最優先にしていて、「食べましょうか」ということは一度もなかった。彼も当時は麺類をあまり好まなかったので、別段何も思わなかったらしい。

 好きとか嫌いとかの問題ではなく、日本では「年越し蕎麦」を食べるもんだと疑わなかったあたしは、最初の年末に蕎麦が食えんことに非常に違和感を持った。それは三年ほど引きずったと思う。どのみち夕食の「お年取り」には120%腹におさめるので、蕎麦なんぞ食う隙間はない。

 が、人は慣れるものである。
 いつからか、この家では蕎麦を食わん、と認識したらしい脳はある年から「蕎麦」は食わないもの、を受け入れていた。

 さて、年越しは蕎麦だけではない、と知ったのも二、三年くらい前である。四国のほうでは蕎麦ではなく、讃岐うどん。讃岐うどんの有名なところなのだから有り得ることなのだろうが、「日本では」「年越しは」「蕎麦」という三つ巴を疑っていなかっただけに、驚きはそうとうなものであった。

 が。今年は新たな「事実」を耳にした。
 「お年取り」ということをするのは、長野県だけである、とテレビ番組の「秘密の県民ショウ」なる番組で言っていたらしいのだ。

 これには驚いた。この家での蕎麦無し年越し、讃岐うどん、に加わった新たな驚きである。それもまたすぐに慣れることも自覚している。

 余談だが、年越し蕎麦、というのは、12月31日から1月1日にかけてズルズルと蕎麦を食べるのが、年越し蕎麦の食べ方だと思っていた。ゆえに、紅白が終わりかけるころから「ゆく年くる年」の「ゴーン」を聞くまで、時間をかけて食べていたのである。更に、二年参りも同様で、神社の前で31日から1日をまたぐように手を合わせ続けるものだと思っていた。

 それを話して、彼に大爆笑をされたのは、なーに、ほんの去年のことである。
 
 
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骨肉

2009-11-22 | Weblog
 河原のほうへドライブに行くと、川の音と岩場あり紅葉ありの山がキレイだと思う。
 飼い主が一服している間、水際を散歩する。
「お!」
 当たり前のように、そこに野生の生活があったりする。
 専門家でもなく、頭もよくないので、それがどのくらい前のものかは見当もつかないが、完全に肉を食べつくされ、頭蓋骨くらいしか残っていないシカの死骸を見つけた。その周辺に少しだけ毛皮が残っている。
 襲われたのか、力尽きてから食われたのかはわからないが、そこに自然の当たり前がある。
 チョンと突いてみると、骨はけっこう乾いている。なんだか、テレビで見ている野生番組の気分だ。
 鷲掴みもなんだし、目の部分に指を突っ込んで掴むのも何だか可哀そうだしと思い、両手で頬を包むように持ち上げた。
 数歩あるいたところに切り株があって、ふかふかの苔が生えている。
 そこに頭蓋骨をそっと乗せ、デジカメでパシャ!
「何やってんだ、おまえ」
と、飼い主。わかってんのに、わざわざ聞く。
「写真、撮ったの」
「変態」
 確かに。少し遠いところで怖い気はあるが、当たり前の自然なことだと思うと、怖さより、その骨がカッコイイと思うほうが強くなっている。
 骨がカッコイイというより、自然に生きて死んでいった生涯の記録みたいに見えるから、その骨がカッコイイと思う、のかもしれない。

 でも、と、思う。
 骨もカッコイイけどさあ、
 本当は肉のほうがよっぽど食べたいんだよね。
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アバター

2009-11-03 | Weblog
 だりあさまのブログにお邪魔している時に気になっていた、アバターなるもの。無料でもできるとお聞きし、挑戦してみた。
 このブログでは見られないと思うけれど、だりあさまのブログに上手く出ましたら、拍手ご喝采、というところ。

 コンスタントにここを更新できないことで、一つの貴重な出会いを自分の手で潰してしまったようだ。
 大切なお友達との運命の出会いを棒に振ってしまったようで、悲しい。
 やっぱし、体力があってマメじゃないとダメかな、なんて思った。
 そして、こんなノロマな奴でもいいよ、って、ずっと変わらずに見守ってくださっている方々に涙が出てくるほど感謝の気持ちもぶわっと湧き上がっている。
 なんだか、あらためて、言葉にしたくなってしまった。
 見捨てずに交流してくださっている皆様、本当にありがとうございます。
 こんなんですが、とろとろペースでも進んでいきたいと思いますので、これからもよろしくお願いいたします。
コメント (2)
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