想風亭日記

人里離れた「想風亭」にて、旧事(ふるごと)を読み、黒犬を友とする日々

いまさらながらに

2008-04-16 10:51:45 | Weblog
はーい、はーい、と駈けてゆくのだ。
(くんくん)親分が(アルファ)親分のところへ。



今にして思えば‥‥
といまさらながら思うことが
たびたび、ある。

どうしてそのとき
立ち止まって、「思う」ことを
「考え」なかったのだろう

いまさらながら、という表現は
じつにいやしいいいわけのひびきが
することに、今朝、気がついた

彼は、後悔などしない
いつも、素直が身上で
まっすぐに、かけていくのだ
思うことを、なおざりにせずに
思うことを行うだけの毎日だ。
それでいいわけだ。

人がそれをしないわけは
人には、すこしばかりの知恵があり
その知恵で判断しているのか
脳の経験則で判断しているのか
わからないが
いまさらながら、と何日置きかに
つぶやくことになる。

(山梨で110番した少女を想って)

みんなで春の仕事

2008-04-15 08:11:19 | Weblog
ベイビーはこれでも手伝っているわけです。
雪が融けてふたたび薪の片付けと整理整頓なのだ。
周囲に草が生い茂る前にやってしまうべ。

走り回りすぎて、前足が ちょっと痛いんだけれど、
ハウスって言われたくないから手伝うよ。



U氏とN氏はなかなかいいコンビです。どうしてかって?
アルチザン的な仕事人U氏と
湘南から都心のオフィスへ電車通勤する毎日で
ペーパーより重いものは持たない典型的リーマンN氏なわけで
足して二で割ると、不足を補ってちょうどよいことに。
だんだん腕を上げてニバイ、ニバイになることを希望して
やまないうさこです
N氏は野性味をつけ、愛娘に自慢できることをめざしてるのだ。
ふたりはいい感じで、テキパキ。
仲良しなら、イインダヨ~ン。



ねずみ師は秘密兵器で効率的に薪を運びます。
高価な機械だけど、これだけ活躍すると元がとれます。
隣に別荘を建てたSさんちに薪を運んであげたこともあるし
大雪のときは除雪車がくる前に出動して道を作るし
大水害で道路が壊れたときは、ほとんどの大仕事を
これで解決したというすぐれもの。
この中で過ごす時間がながいので、
これはつまり、ねずみ師の愛車のようです。



使った道具はメンテナンス。
職人道です。



ベイビーは、手持ち無沙汰のN氏に
ちょっと同情的なのよ、これはそーゆー態度です。


柔らかな雨2 ハナウタ篇

2008-04-14 01:04:51 | Weblog
      ベイビーは、ハナウタが聞こえると
      しっぽブンブンさせて、やってくる。

木の芽がふくらんだ
窓のさきの木の芽

木の芽のさアきに
雫が一つ生まれた

うまれた雫
雫がまあるく光った

光ったと思ったら
きらきらきらりと落っこった

落っこったと思ったら
またひとつ生まれた

木の芽 木の芽
木の芽のめぐりに雨が降る
        (童謡詩「春の雨」作:若山牧水)

 よくハナウタを歌う、かってに節をつけて。
 ご機嫌なのかといえば、そうと限ったことではなく
 たぶん、我を忘れている感じに近い。
 人は他人がいるから我を思うわけで、
 他者を意識しないとき、我もまた消えている。
 そんなときは、ハナウタである。

 るるるるーららーりりりー、りらりりりーとか
 文字にするとナンだが、けっこうメロディアス。
 まあ、どっかで聞いて記憶にあるような節がつながって
 オリジナルなような、そうじゃないようなのを口ずさみつつ
 何かする。何もしていないときは歌わない。
 料理だったり、掃除だったり。
 そう、歩いているときはよく歌っている。
 もちろん東京じゃなくて、森ン中です。



今日みたいな日は、牧水の詩集なんかいい。
ぱっと開いた頁に、森の景色にぴったりの歌があったんだな。
「春の雨」
この詩は曲はついていない。
ってことは各々、気分に合わせて節をつけて歌おうぜ。

雨をみつめていると、最初はいろんなことを思い出したりする。
だけど、雨にけむってぼーっとかすんだ木々を
眺めるともなく見ているうちに、
頭に浮かんだことが滲んで消えて
いい気持ち、やわらかな、何かに包まれるような
ここちになってくる。

芝生の上に、小鳥がやってきた。
雨んなか、歌いながら。
土の上でなにかついばんでる。
飛び去って、木の上で、また歌ってる。
雨んなか、けっこう楽しそうです。
ふふふん 
 




柔らかな雨

2008-04-13 16:34:39 | Weblog
このところ、よく雨が降ります。

週末、金曜日にちょっと晴れ間があったけれども
土曜日からまた少し雲が多くなってきて
日曜日は朝から、しとしとやわらかな雨。

まだ肌寒い空気のなか、ちょっとでも陽が射すと
その温みがうれしいです。



クンクン親分は、やっと咲いた水仙のそばで
あやしい行動をとがめられて、ステイ中なのだ。
カメラをかまえると、なんだかな~、ジジ臭い顔を
するね。ふんべつ臭いというか…
似合わないなあ、ったく、ぜんぜーん。



芙蓉の芽が、ちょっと背が伸びた!
白い大きな花が咲く予定なんだけど
八月まで無事に育つことを祈るばかりである。
なにせ、雨、風、どちらも大がついて
やってくるから。それも頻繁に。
春が来たと思ったら、次はそういう季節が
すぐにやってくる。
やわらかな雨の降るこの季節、
この森はつかのま、やさしい顔をします。

糸を紡ぐ話から‥加工品etc.を語る

2008-04-11 01:33:47 | Weblog
ふわふわの綿花を丸く集めて、それをひっぱって
捩って糸が紡がれていく。
綿からいったいどうやって糸ができるのか。
撚っていくって、どういうことなのか。

それが、かねてから素朴な疑問であった。
おなじように、蚕の繭玉から絹糸が紡がれるのも
なぜあれが糸になり、それが一反の布となり
それが身体を被い飾る着物になるのか。
だれがそれを思いついたのか。
すごいことだ!

と、かねてから素朴な疑問の一つとして
わたくしの脳内に眠っておりました。

機織りは神話の最も重要な場面として登場する。
蚕を育て繭をとるのは、新しいことではなく
最も古い仕事である。

古代文明が発展した地には、必ず布の文化がある。
これまた、不思議。
○型からー状のものを引き出し、□にしたり◇したり
していくという発想を、人間はするらしい。

そういう感覚がまったくないわたくしは、起源が
知りたくてしかたがないのである。
アーティストという類の人、特に造形にかかわる人は
そういうことを思いつくのがあたりまえなんだろうけど。
平面的なわたくしには、ありえないことだから。

で、ねずみ師を訪ねる。
モシモシ。

玉から糸を撚っていく順序を聞き、ふんふんとうなずく。
~長いから略~


           ↑考える犬(晩メシ関係について考察)
話はどんどんと発展した。

三味線の白い部分は子供を産んだことのない雌猫の腹の皮。
三味線の糸は絹糸を油でコーティングして固く強くしたもの。
どうしてネコ皮なわけさ!!!
どうしてそういうことを思いついたのさ!?

さ~、いろいろ試すんだろうね。
牛皮、ふだん使ってるでしょ。革って書いてるけどね。
水気を含むと固くなるから、油を塗る。匂いも他のよりしないから
多用されてきたんだろう。牛革ってあたりまえに財布とかカバンとか
靴とか、平気だろ? あれだって、皮だからね。

豚革ってのもあるし、子羊の財布ってのは高級品ですよ!
(と、うさこが知ったかぶり)

若い頃、急に気になりだして布カバン、布バックっていうの
あれに持ち替えたことがあったね。
動物の皮だってことが気になるとなるもんなんだ、
なんだかむやみとね。

へー、そうっすか。
そうだよ、考え出したら、食欲だってなくなるしな。
へー、‥、あたいは肉系、最初から苦手ですから食欲はないっす。
布バックはちょっと、持ってないですけど、かわいいっすよ。

無駄にするところがないんだよ、って本来はゴミを出さなかった。
祈ってますもんね、インディアンとかアイヌとか。
みんなそうさ、だって命をいただくからね。

と、ちぐはぐな会話が交錯しつづけ、
どんどん広がりまして、
ねずみ師のエコって、社会現象とは関係ないところに
あることに気づきました。

知識ではなく感じるところから始まる
それが思想、なんだなあ。

              PS:ふるごと更新しました。