終盤に於ける狂気の暴発と、ダニエル・デイ=ルイスの凄まじい演技に唖然としたのも束の間、まるで断ち切られるように映画は終わる。
黒いスクリーンに文字のみの古典的エンドクレジット。そして流れるブラームスのヴァイオリン協奏曲。
暫し呆然とシートに座り続けるうち、いつしか目からは涙が溢れ出していた。
感動とは違う、打ちのめされたような感覚。
場内が明るくなるまで涙は止まることなく、脳裡では作中に描かれたプレインビューの人生すべて、彼の言動すべてが、一枚の絵のように、いや絵巻物のように甦って、ぐるぐると回り続ける。
何という人生だろう。何という映画だろう!
『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』は、石油王となった一人の男の人生を通してアメリカの暗黒面を描いた作品と言われる。しかし、実際そこに描き出されていたのは、ただひたすらに「ダニエル・プレインビュー」そのものだった。
同じポール・トーマス・アンダーソン監督の『マグノリア』のように視点も場面も目まぐるしく転換するようなことはなく、カメラは西部の荒涼たる風景をじっくりと捉え、そこに生きた一人の男の姿を重厚に描き出す。
人間を嫌悪し、それと反比例するかの如くに野心と欲望を募らせ、それらを充たしながら、彼は幸福にはなれない。そして彼は幸福になれない自分自身を知っている。否、彼は幸福になどなりたくはなかったのだ。
たとえ成功しているかに見える時でも、心のどこかで彼は破滅を求めている。破滅とその果ての孤独、むしろ孤絶にしか安住できない。
ただひとり愛した存在を自ら切り捨て、長年の宿敵、或いはアルターエゴでもあった相手を叩き潰して、ようやく彼は安堵できる。
本当に何という人生だろうか。
彼を見て連想したのは、ジョン・ヒルコート監督によるオーストラリア映画『プロポジション 血の誓約』の登場人物、アーサー・バーンズ(ダニー・ヒューストン)だった。
この作品については、当ブログにも何回かレビューを上げたことがある。
"The Proposition"(1)
"The Proposition"(2)
The Propositionの俳優たち
『プロポジション-血の誓約-』
自ら理解しつつ制御できない衝動に駆られるミザントロープ。周囲のものすべての運命を巻き込んで、破滅への道をひた走る男。
アーサーを見た時、私はそこに、演じるダニー・ヒューストン自身の父親であったジョン・ヒューストンの影を直感した。
そして『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』が、意識的にジョン・ヒューストンの監督作品(特に『黄金』)を応用もしくは引用していることは、既に何人かの評者によって指摘されている。
『黄金』は未見だが、その監督作品と言うよりジョン・ヒューストン自身が、アメリカ映画に於いてもはや神話的存在となっているのかも知れない。
そして、ダニエル・プレインビューという男も、今後間違いなく映画史上の神話的存在となるだろう。
演じるダニエル・デイ=ルイスの演技を単に「熱演」だとか、まして「怪演」などと呼ぶのは誤っている。
登場シーンから、そこに存在するのはプレインビューそのもの。土と石油にまみれて地面を掘り続ける男の肉体そのものだ。ほっそりとした美しい手をシャベルや鶴嘴を握る手に変え、また発声も、本来の高めの美声によるクイーンズイングリッシュを想像できないほど、野太く変えている。
その肉体で、彼はプレインビューと彼の人生を描き出す。作り上げる。プレインビューを「生きて」いる。
基本的にはきわめて繊細に、時に大芝居で(この部分だけを取り上げての評は、評者がそこで思考停止に陥ったとしか思えない)彼はひとつの役を完璧に演じたが、なおかつ演技を超えた何かがそこにはあった。
単なる素人演技やナマな動きや感情の漏れなどを「演技を超えた」と呼ぶのは間違っているし、実に安直だと思う。
稀代の演技派が持てる熱意と技術の全てを注ぎ込んでひとつの役を作り上げ、演じ切った後に、それを超えたものが立ち現れる。そこにこそ人は感動するのだ。
そして、初めに書いたように、彼の演技が真に完成するのは、エンドクレジットが始まってからである。
「終わったよ」
とプレインビューは呟く。
そう言って、芸術家は最後の一筆、または鑿の一削りを終えて、それを置く。
その時やっと、観る側は全てを目にすることが可能になるのだ。
ダニエル・デイ=ルイスが絶賛され、各映画賞を総なめにしたのは、多くの人が「何か途方もないものを見てしまった」驚きを表明した結果だろう。その「途方もないもの」とは、この名優の到達した境地それ自体であったかも知れない。
これを見た後では、全ての俳優の演技が、もはやルーティンワークにしか見えなくなってしまうのでないか。それほどのものを彼は見せてくれた。
ダニエル・デイ=ルイス、1957年4月29日ロンドン生まれ。
そう、今日は彼の誕生日なんですね。おめでとうございます。
次にスクリーンでお姿を見られるのはいつのことやら。
数年に一度現れては、大絶賛を受けて全てかっさらって行く──これではまるで、映画界のカルロス・クライバーですよ。
たまには少し軽めの作品にも顔を出してくれれば、と思います。
書ききれなかった感想の続きは下記で。
『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』感想拾遺
『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』公式サイト
大絶賛ですね、という表現でも生易しい?
アカデミー前にヴィゴやジョニデがノミネートされて浮かれたけど、結局は「受賞を逃して残念でした~」
なんて言ってましたけど、この映画を見れば納得せざるを得ないです。
別件ですが、クリスチャンのボブ・ディランを見てきましたがかなりヨカッタです。時間が短かったのが残念なくらいです。
こちらこそ、トラバ受けて下さいましてありがとうございます。
この映画とダニエルの演技については、「すごいもん見た!」としか言えません。
でも『ノーカントリー』と間を置かずに観るのは、なかなかヘビーでした。
『アイム・ノット・ゼア』も近々鑑賞予定です。ボブ・ディランをあまり知らなくても大丈夫でしょうか?
レイチェルさんは、ヒュー様とデイジー君のファンでいらっしゃるんですね!私も2人とも大好きです。ヒュー様が司会を務めるトニー賞授賞式なんぞ、録画してまで見たぐらい(笑)。デイジー君にいたっては、「Better than S●x」(苦笑)のDVDを持っているほど。2人が共演を果たした「ヴァンヘル」も、内容はダメでしたが2人の演技は好きでしたねえ。
「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」と「ノーカントリー」は、根底でどこか通ずるものがあるかもしれません。救いがないラストにしても、私たち観客がこの世界に大きな不安を抱いてることを暗示しているような気がしました。TBさせていただきますね。
ほんとに、すでにしてクラシックという感じの映画でしたよね。
こちらからも貼らせてくださいね。
いきなりのTBをお受け頂き、またそちらからもお送り下さいましてありがとうございます。
実は豆酢さんの御宅へは以よりこっそり伺っていて、数々の映画レビューや絵本紹介をずっと愛読しておりました。
このたび勇気を出してTBを送らせて頂きましたが、わざわざこちらまでお越し頂き恐縮の至りです。
また、ヒューやデイジーもお好きとのことで嬉しくなりました。しかし、日本未公開のデイジー出演作の中で、なぜBTSを……
そして、映像で見られるヒューの「代表作」って、実は2004年及び2005年のトニー賞司会なのでは?と思ったりします。
ゼア・ウィル・ビー・ブラッドとノーカントリーは、或る意味、対となる作品だと思います。昨年度の各賞をこの二作品が分け合ったのも納得です。
こういう映画を作ることができて、それぞれ評価も高いという所に、アメリカ映画界の底力を感じました。
長々と失礼しました。またそちらへもお邪魔させて頂きます。
当方から貼らせて頂いたTBもどうやら届いたようで安堵しました。
本当に堂々の大作映画で、これを越える作品、演技は暫く現れないだろうと思います。