
昨日の記事が非公開のままだったので、先ほど(約一日経ってから)公開しました。
今日は朝から良い天気。でも早い時間にアラームを仕掛けていたのに、結局寝坊してしまいました。
昨夜作ったコンビーフキャベジをトーストにのせて朝ごはん。溜まっていたものを大量に洗濯しました。
Eテレの【日曜美術館】の正倉院特集が面白かったです。美しい宝物の保存の良さにも驚きます。一度はちゃんと現地で見てみたいのですが……
今日は近隣のイベントにでも行ってみようかと考えていましたが、買い物などもしたかったので、結局は午前中に駅周辺まで行くことにしました。
気温は上がったけれど湿度は低く、秋らしい爽やかなお天気で、半袖Tシャツに長袖ブラウスでちょうどいい感じでした。
まず公民館で気になるおしらせやチラシなどをもらい、図書館で本を返却。今日は何も借りず、幾つかの雑誌の新刊に目を通しました。
それから書店やスーパーなどで買い物。スーパーで食料品のまとめ買いをしたら、荷物がすごく重くなり、帰り道が大変でした。やっと涼しくなってきたことだし、散歩など意識して出歩くようにしないと、体力は衰える一方ですね。

ちなみにこれはショッピングセンターに掲示されていた「TAMA映画祭」のポスター。この二作以外にも映画祭参加・上映各作品のポスターがいろいろ貼られていました。今や多摩地域限定イベントではなく、国内の映画祭として歴史もステータスもあるものとなった映画祭、授賞式には受賞作品の監督や出演者も多数登壇予定です。
興味ある作品の上映に日程が合わなかったりもしますが、何か観られれば良いなと思います。
帰宅後、着て行ったものなどを洗うため、再び洗濯機を回しました。お昼は買ったかしわめしおにぎりとサラダ。録画したままになっていた【歴史探偵】を観ながら食べました。
その後はぐったり横になり——ぐったりしっぱなしでした。やはり体力の低下を感じます。
早めの晩ごはんはソース焼きそば。麺は一玉ですが野菜多めにしたのでかなり量が増え、今日は半分だけ食べることにしました。
6時からはEテレで久しぶりに放送された【カールさんとティーナさんの古民家村だより】新作を視聴。新たな移住者や海外からのお客様も訪れる古民家村の秋の風景が描かれましたが、それは昨年の秋のことだったようです。放送されるのはいつも大体1年くらい前の様子ですね。いつのことにせよ、見ているとホッとする番組です。
続けて【ソーイング・ビー7】再放送を流し見して、シャワーも早めに。
シャワーの後、7時半からはNHKで今夜も【ブラタモリ】。「東海道五十七次の二日目」です。取り上げられたのは京都の淀宿と淀城。城は秀吉が茶々(淀殿)のために築いたものではなく、江戸時代になってから伏見城を廃城にして新たに建てられたもの。復元映像など見て、その広大さと壮麗さに驚きました。
そして8時からは大河ドラマ『光る君へ』。サブタイトル「川辺の誓い」。
前回の終わりでも描かれたように、道長と明子の息子顕信が突然比叡山にて出家。道長も驚くが、顕信の母・明子は道長を責め立て、嘆き悲しみ寝込んでしまう。
そのころ三条天皇は女御・妍子を中宮、一条天皇中宮の彰子を皇太后、円融天皇皇后・遵子を太皇太后をするとの宣命を下すが、その直後、長年連れ添った愛妻である女御・娍子を皇后に立てる。この「四后」並び立つ前後の帝と左大臣道長の陰険な駆け引き、娍子立后と妍子の内裏参入をあえて同じ日にするなどの道長の画策など、宮廷内の人間模様はドロドロです。俊賢さんの言うように、顕信くんはこんな世界から一抜けできてむしろ良かったのでは?
しかし、帝の御渡りがないこともあっての妍子の散財やら、顕信の受戒に参列しようとしたら、下馬しないことをとがめられて比叡山の僧どもの投石に遭うなど、道長の心労は絶えない。「下馬しない者には石を投げて良し」という『殴り合う貴族たち』で再三語られていた当時の暗黙の掟に、ちゃんと言及があってちょっと楽しかったです。但し馬から降りなかったのは、この時すでに体調が悪化していたのではないかという説もあります。
まひろの許を訪れて、一条帝と彰子を『源氏の物語』があったように、三条帝と妍子のためにも何か新しい物語は書けないかと持ちかける道長だが、まひろは「人は物語のようには動かない」と答える。やはり道長は「物語」の政治利用しか考えていなかったのか、と思ってしまいますね。
何かあるたび、まひろこと藤式部の局に愚痴りに(?)来る道長だったが、心労がたたったのか、やがて病に倒れる。
帝に再三辞表を提出するも「慣例として」受け入れは拒否される。また、左大臣が床に伏している間に、宮中では怪文書までもが出回っていた。「左大臣の病を喜ぶ者」として何人かの公卿の名が挙げられる中に、実資、隆家、そして道綱の名も。実資と隆家は困惑しつつも静観の構え。一方、道綱は「なんでオレ!?」と仰天、釈明のため土御門殿で療養中の道長の許を訪れ、倫子に追い返される。
まあ道綱さんがそんなことするわけないということは、視聴者も、そして道長もわかっていますよね。
その頃、まひろは実家に戻り、彰子様からの「帰って来て」コールにも応じようとしない。『源氏の物語』を書き終えた後、もはやすることもないと思っていたまひろに、娘の賢子は「書かない母上は母上じゃないみたい」と言う。かつては「書く」ことのために自分を放置する母を責めた賢子も、今は母の生き方を理解しつつあった。どうやら好きな人(双寿丸)もできて成長した娘の姿に、出家でもしようかと口にするまひろ。
「雲隠」を最後に、作者自身も雲隠れしたような状況ですが、この「雲隠」の巻欠番の理由については諸説あるようです。初めからタイトルだけの巻だったとか、当時の宮中で影響を及ぼし過ぎたがゆえに廃棄されたとか。
そんなまひろの許に、道長の従者・百舌彦が訪れる。道長が病の床に伏し、回復もはかばかしくない、生きる力を与えられるのはまひろ様しかいない、と——
宇治の別邸で療養中の道長の許を密かに訪ねるまひろ。二人は宇治川の川辺で語り合う。
権力闘争に倦み疲れ、まひろに誓ったような良き国を作ることも叶わず、このまま命を終えた方が良いのかもしれないと真情を吐露する道長。ならば自分も共に行くと答えるまひろ。『源氏の物語』を書き終えた自分も、この世での役目はもうない、と。
「おまえはおれより先に死んではならぬ——死ぬな」
「ならば道長様も生きてくださいませ。道長様が生きておられれば、わたしも生きられます」
まひろの言葉に声を上げて泣く道長——
改めてお互いをかけがえのない大切な存在だと確認し合った二人。「ソウルメイト」がその「誓い」を新たなものにしたのですね。二人の心の奥底にある想いは、幼き日の「三郎とまひろ」から何も変わることはなかったのです。
宇治から戻った後、まひろはまた新たな「物語」を書き始める。光る君が世を去った後の物語——世に言う「宇治十帖」の誕生である。
——というわけで、藤式部が源氏物語を書き終えてから宇治十帖を書き始めるまで、主人公二人の心情と乖離せず描かれる見事な流れでした。
付記:光る君なき後の物語として、いきなり宇治十帖が書かれたわけではなく、その前に「匂宮三帖」と呼ばれるパートがあり、まひろが書き始めたのはその部分だそうです。
この先も道長の宮中での闘いは続くわけですが、この新たな誓いを胸に、二人がどんな後半生を歩んで行くのか……残り後2ヶ月足らず。最後まで目が離せません。
大河の後は【クラシック音楽館】。97歳のマエストロ・ブロムシュテットが今年7月、オーストリアの聖フローリアン修道院で指揮したブルックナーの9番。とても力強く格調高い演奏でした。後半は2016年のN響を指揮してのベートーベン「田園」。これも良いものでした。
その後は『坂の上の雲』再放送。日清戦争には勝利したものの、味方にも犠牲を生じ、慕ってくれた部下を失い、また敵将・丁汝昌も凄絶な自死を遂げるという結末に至り、心折れる秋山真之。広瀬からは海軍を辞めることは許さぬと言われ、また東郷平八郎との語らいによって、指揮官とは何かということを改めて考え始める。
その頃、従軍記者として大陸に渡っていた正岡子規も、戦後の清国の民衆に対する日本軍の横暴に強く反撥、嫌悪するが、彼もまた陸軍医長・森林太郎こと鷗外との出会いによって、新たな道を模索し始める。
広瀬はロシアに渡り、主人公たちの「青春」の終わりと共に、そろそろ日露戦争編が始まります。