私は、ここ半年以上 文らしい文を書いておりません。
まあ、それ以前も まともな文は書いておりませんが・・・(苦笑)
それには一応 訳がありまして・・・
去年の末の大掃除がキッカケでした。
掃除を始めようと最初に手にしたプラスチックのケースが原因です。
そこには、私が十年以上にわたって集めた新聞のスクラップが山ほどありました。
懐かしくて掃除をする手も止まりました。
ハサミで綺麗に切り取ったモノではなく、手でちぎり取った新聞の切れ端です。
しかし、そこには私にとって宝とも言える活字の山がありました。
二、三枚手にして読んでみました。
コラムやエッセイ・・・どれも短い文章でも心を打つものでした。
素晴らしいコラムなのにイニシャルしか作者の印(しるし)がないもの、またそれさえもない無名の名作。
そんな作品なのに、文章の構成や無駄のないつくりで表現したい事柄を見事に活字で伝える。
私の文章が非常に幼稚にみえて恥ずかしいでした。
その時に決めました。
まともな文章を書けるまでは、書くのはやめようと。
ここに、その時に読んだ最初のコラムを引用しておきます。
私の住む地元紙、中日新聞の記事です。
このコラムを読んで、自分なりの感じたことも書いてみましたが、
文章が幼稚なのでバッサリ切り捨てました。(爆笑)無念。。。。(;_ _)/|
「時間の不思議」
中日新聞 編集局長 加藤幹敏
<そっくりな三兄弟が、一つの家に住んでいる。一番上はいない。これからやっと現れる。
二番目もいないが、こっちはもう家から出かけた後。
三番目のチビだけが、ここにいる。
でも、チビがいられるのは、一番上が二番目に変身してくれるから。
さて、三兄弟の名前は?>
日本でも多くのファンを持つ童話「モモ」に出てくる、なぞなぞだ。
無垢な女の子モモは、額にしわを寄せて考え見事に解いてみせる。
長兄の名は「未来」、次兄は「過去」、そして末弟チビは「現在」。
三人は「時間」という家に住んでいる-。
時間というものは、実に不思議である。
「現在」は確かに「ここにいる」けれども、決して立ち止まりはしない。
「チビをよく眺めようとしても、見えるのはいつもほかの兄弟だけ」と、なぞなぞも言う。
「未来」から「過去」への変身のスピードも、場面によって随分違う。
人を待つわずか五分間が、ひどく長く感じられるときもあれば、
何かに夢中になっていると、数時間が一瞬のように思える。
私が最近とみに痛感しているのが、時の流れの速さ。
一年、二年があっという間だ。
忙しいと言うのなら、遊びに熱中した子供のころも、とても忙しかった。
それなのに、子ども時代の方が時間ははるかにゆったり流れていた。
「年をとって、生きることに慣れたからさ」と話した人がいる。
そうかもしれない。だが、それだけだろうか。
童話「モモ」は、「時は金なり。節約せよ」と唆して(そそのかして)人々から時間を奪い、
あくせく働かせる時間泥棒たちを、モモが退治する物語。
ドイツの作家ミヒャエル・エンデが、時間について深い洞察を込めた哲学書であり、現代文明批判の書でもある。
彼は、子供たちに答えて こう語りかけている。
「時間を節約するために、いろいろなものが発明されている。コンピューター、ロボット・・・。
それにもかかわらず人は昔より時間がないんだ。詐欺と言えるかもしれない。
進歩というけれど、人は幸せにもならないし、このままいけば破滅してしまう」
私は、このコラムを読むまで 童話「モモ」という作品を知りませんでした。
完全にノーマークでした。
小学生向きの作品らしいですが、読んでいたら少しは賢くなったかな?
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