「どっちでも好きなほう選んでいいよ」なんて言ってもらうと
好奇心のカタマリで覗き込みはするけれど
あ、わしはいいよ、もっと欲しがるヒトにあげてよ。そういって逃げちゃう。
「どれか一つに決めろ」とか言われると
地団駄踏んで挙句に放り出してやっぱり逃げ出したくなる。
2つの喰いものを2人で分けるんだったら半分ずつにすれば
2人とも2種類の味が楽しめていいのにね。
わしは選択肢の中からたった一つを選ぶという状況がもっとも苦手で。
1つしか選べないくらいなら1つも選ばないほうがマシだ!
くらいな捨て台詞を吐くヤツなのでした。
なぜ一つしか選んではいけないのか?
「二兎追うものは一兎をも獲ず」
という言葉も確かにあるが。
2つでも3つでも時間をかけてゆっくり経験してゆけばいいじゃないの。
あきらめる必要なんてないんじゃないの。
「選手と飛行士と学者」になりたかったかつて少年の夢は
いまでは当時描いていたものとはすっかり程遠くなってしまって
現実という囲いにあきらめさせられがちだけど。
形は違っても自分を愉しませる方向での夢のかなえ方ってあると思うんだよね。
アストロノーツには才能やチャンスがあったってなれない超難関なのだろうけど、
たとえば宇宙を想像し物語をひとつ思いつくことも
もしかしたら宇宙への一歩かもしれないし、
想像の中では誰だって主役だ。
夢を実現させるエネルギーや夢をかなえるための努力をおろそかになどするべきではないけれど、
夢にブレーキをかけるような野暮なことだけはすまい、
と思う。
特にヒトが夢を語っているときにはね。
ヒトが生きてゆくことってのは一瞬一瞬ごとに選択肢を突きつけられているようなものだとは思う。
けれど。そうであっても。
チャンスは何度でもやってくる。
時間軸はらせんなのだから。(その証拠に時代も流行も再び巡るっしょ?)