ココロニハナオ

全速力で過去を追想するのだ。
記憶はどこまで遡れるのか?

小笠原にゆくの巻。3/6

1994-08-30 05:22:04 | 旅の記憶:trans-
94.8.30(Tue)

メシを握って島の南に向かう。父島にはほとんど平地がないのでアップダウンのキツイ道がひたすら続く。焼けるアスファルトをサンダルでポテポテ進む。寄り道、道草。

ジャングル(そう呼んでも良かろう)を抜け、最後の一山を越えると、これまでにない原始の海が広がっている。ここを東京都と言うのは反則のような気がする。同じ船に乗り合わせたあれほどの人数を一体どこに隠したのか。大きな島でもないのに。

海に漂っていると視界には空しか映らないので、宙に浮いてるような気分だ。ひとたび海に潜ると大小のカラフルな魚たちが脇をすり抜けてゆく。追いかけてはみたものの追い付けるはずもなかった。気にすべき時間などなかった。いつ帰るかを決断することは難しかった。ふっと力を抜く度にその場に融けていくのがわかる。少しだけ不安になった。

今日一日で20km歩いていた。疲れた。頭痛。シャワーを浴びてメシを喰ったらバタンQ。8~9pm。
小一時間寝たら体調が回復した。この島への同調が完了したようだ。

10pm頃からタルホの『弥勒』の続きを読んでいたら貧乏話が出てきた。
物質的に満ち足りていると精神が鈍ってしまう気がしてきた。頭が妙に冴えてきた。今日は精神的にとても満ち足りた日だ。貧乏旅の良さを、楽しさを思い出してきた。ポカラ(ネパール)の日々を想う。

旅先で、珍しいことを体験したり、手に入れたりすることも楽しい。それ以上に自分の内側にあるものを発掘し、思考の連鎖ゲームで遊ぶことがうれしく愉しく感じる。

珍しい経験も出会う人々も自分自身で創り出したものなのかもしれないと感じる。

求めたいものをどこからでも感じ取れる精神状態にする、そうしやすくしてくれるのが旅。

全ては自身の内に在る。

アルコホールが抜けてるのにこんなにも満たされている夜は久しぶりだ。

小笠原にゆくの巻。2/6

1994-08-29 05:22:04 | 旅の記憶:trans-
94.8.29(Mon)

朝、何度か船内放送で意識だけ起きたが気にせず寝続けた。
腰が痛くなったのと空腹感のためにやっと10:30amに起き上がり、顔を洗ってデッキで飯を喰いながら日光浴。しかし30分で陽射しの強さに参って日影に逃げ込む。
海の色がすっかり変わって手を浸せば染まりそうなアオ。飛び魚が銀色の機体を輝かせた。見渡す限り海しかないのに水の上を鳥が飛んでいる。

昼飯を喰い終わった頃、進行方向左手に小笠原母島諸島最北端の島が見えてきた。その断崖絶壁の島は、このもっとも自然な場所にあって、未来派の海上都市の様相を呈している。

30時間近く船に揺られ、ようやく2度目の父島上陸を果たした。
まずは帰りの船の確認。そう、これから先のことは一切決めていないのだ。しかし夏期休暇は9/5(Mon)までと決まっている。普通に「おがさわら丸」9/1発に乗れば9/2には帰り着けて2、3日休みは続く。
だが、貨物船「共勝丸」に乗れるチャンスは今回しかないかもしれない。「共勝丸」のスケジュールは天候次第、と非常にあいまいであるが次回は父島発9/2~9/5東京(8:30am頃)着だと言う。迷った。9/5には予定があったし・・・。

結局「今しかできないこと」の誘惑に負けて、「共勝丸」に乗せてもらうことにした。

申し込むとき、居所は未定である旨を伝えると、「キャンプしてると警察にとっつかまるぞ」と脅かした上で宿のクチを聞いてくれた。
おかげで安い自炊宿「タマナ荘」(1泊3000円、調理用具一式完備)に落ち着くことが出来た。宿のおばちゃんは別の所に住んでいるらしく、なんの干渉もしないので実にお気楽である。それでも小綺麗にしてあるので結構当たりである。
小笠原において、飛び込みで宿を見つけるのは困難と言われていたが、やっぱりなんとかなるもんである。なんだか新たな下宿先に引っ越してきたようなうれしさがわいてくる。

さて米の買い出しである。タイ米は1kg50円、と安かったが、やめとこ。米を炊く準備を終えてから再び食料の調達。宿の自転車は自由に使っていいということなので助かる。

船が着いたばかりなので物資は豊富で島の人達も買い物に気合いが入っている。しかし野菜などの生鮮品は高い。さて何を喰おうか?さんざん迷ったがトマトカレーに落ち着いた(これは最終日まで、スープの形にはなったものの、残っていた)。ナス4本トマト2コタマネギ3コキャベツ1コカレールー6皿分1箱トマトピューレ1ビン、そんなところで次は缶ビール6本(うちオリオンビール!!2本含む)を仕入れる。
何人かで再びこうやって自炊する旅行というも楽しいだろうな。

今日は他に客がいないので、お一人様のみである。扇風機の回る音と虫とヤモリの声がかすかに響くのみ。

今夜もタルホがやけに面白い。読んでるうちに哲学が始まって思考が冴える。
お一人様はお気楽である。でも気楽な分だけさびしくなる。そんな気分の夜ではあった。

・「止むを得ずに為している時くらい人間の強いことはない」

東京から1000km離れた亜熱帯の村
ヤモリは”キュ キャッ キャッ キャッ キャッ キャッ キャ”と鳴く。

小笠原にゆくの巻。1/6

1994-08-28 05:22:04 | 旅の記憶:trans-
94.8.28(Sun)

前の晩、結局旅の準備など出来ず、徹夜仕事明けに軽く飲んだ日本酒のために気がついたら眠ってしまっていた。

朝6:30頃自然に目が覚めたのでぼけぼけした頭で旅の準備をし始める。この時点でまだ行く先が決まっていない。
小一時間も行く先を考えあぐねて小笠原に決めた。しかし、下手すると船に間に合わないかもしれない時刻となっている。とりあえず、鞄に適当に詰め込んだ荷物を背負ってバス停まで急ぐ。

まだバスが来るまで3分位時間があると思ってコンビニで朝飯を買っているとバスがやって来た。そして目の前で行ってしまった。次のバスで駅に着いたらまた目の前で電車のドアは閉まった。柏発は8:38になった。10:00に船は出てしまう。間に合うのか?

浜松町の駅から竹芝桟橋までダッシュしたこともあって、息を切らせながらも9:40頃どうにかチケットを手に入れることが出来た。父島へ行ける。
しかし問題はまだ1つ残っている。帰りのチケット代を差し引くと2万円しか残らない。ここから宿泊料を差し引いたら、一日2千円で過ごさなければならない。父島には銀行がない。今から浜松町の銀行に行く時間もない。
うむ、今日は朝から絶好調である。(苦笑)

いろんな期待と不安を抱かせながら、客船「おがさわら丸」はどんよりとした海を泡立たせながらとっとと桟橋を離れるのであった。

船では最初ぶらぶら歩き回っていたが、ウッキウキの連中がうっじゃうじゃいるデッキは疲れるので、しばらくヒルネで過ごした。

16:00頃腹が減って目覚め、デッキに出る。
9月から発行予定の『海月通信』の構想を練る。タルホを読んでメルヒェンに心和ませる。海の色が変わっていた。

夕陽を意識して眺めるのは1年ぶりかもしれない。

25:00。
21:00に床に就いたせいか夜中目が覚めてしまった。
タバコを吸いにデッキに上がったら月があった。下弦の月。周りには海とこの船しかないから月がすごくはっきりとしている。星は星座を結びきれないほどたくさんある。黒い海に月の光が銀色の帯を投げつけている。月と星は船に合わせて揺れながらどこまでも追いかけてくる。