ココロニハナオ

全速力で過去を追想するのだ。
記憶はどこまで遡れるのか?

ユーラシア大陸一周の巻。3/154

1990-08-16 07:06:04 | 旅の記憶:trans-
90.08.16(thu) はれ 3日目 ナホトカ(→ハバロフスク);ソ連

昨日は大揺れだった。
船酔いと酒酔いが混ざり合ったのが襲ってきてあと一歩でやばいところだった。
その前に眠ってしまったのでなんとか大丈夫だった。

今日はいよいよ上陸の日。
なんとなく落ち着かない。

やっと着いた!と思ったら下船に時間がかかった上、
両替しすぎたり高いトランスファーに乗っけられたり大変だった。
初っ端から勉強になった。

ハバロフスクまでの列車は突然、何の前触れもなく発車した。

マツシタさん、ナカムラくんの2人とミシマさんと同じコンパートメントになる。

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ユーラシア大陸一周の巻。2/154

1990-08-15 07:06:04 | 旅の記憶:trans-
90.08.15(wed) くもり 2日目 (横浜;日本→津軽海峡→ナホトカ;ソ連)

朝は寒くて目が覚めた。冷房効きすぎ。

朝食後、ロシア語講座があるそうなのでのぞいてみる。
生の発音が聴けたのはいいが聞き取れない。
結局覚えたのはスパシィーバ(ありがとう)だけ。

プールに入った。
太陽が出ていなかったので水がムチャクチャ冷たかった。

夜、お別れパーティーが開かれた。

眠るのがもったいなくて1時までシャンパンを飲んでいた。

今日は津軽海峡を通過した。


ユーラシア大陸一周の巻。1/154

1990-08-14 07:06:04 | 旅の記憶:trans-
90.08.14(Tue) はれ 1日目 横浜;日本(→ナホトカ;ソ連)

*補記*
乗船チケット、ソ連国内滞在予定計画書にのっとったスケジュール表、VISA等、旅をするのに必要なすべてのものは前日まで揃っていなかった。
出航当日の朝。
ソ連旅行取り扱い専門業者の担当者より関内駅ホーム上で手渡される。
出発から既に綱渡り。
***

11:11am(ナホトカ時間13:11am)横浜港出航。
『ブルーライト横浜』が流れてきたのには笑った。

しばらくして昼食になったがあまり食欲はなかった。冷房が効きすぎて船内は寒いくらい。

4人部屋で同室になったのはコイズミ、ミシマ、マツムラの三氏である。
マツムラさんは商用でナホトカまで行くそうだが露語が話せるので簡単なヤツをいくつも教わった。それから師匠と呼ぶことにした。

ありがとう:スパシーバ
please:パジャルスタ
こんにちは:ドラス(ト)チェ
たのみます:プロシュ
これは露語でなんといいますか:チト エータ パロスキ
~を下さい:ダ(ワ)イチェ
よい:ハラショ
もう一度(一つ):イッショ(ラス)
いくら?:スコルブストイ/スコリコストイ(ト)

教えてもらっても使わなければ忘れてしまうから「どんどん使いなさい」と言われたけれどなかなか度胸がなくてダメだった。ミシマさんと二人で誰かに話し掛けようと船内を歩き回ってはみるものの、いざとなるとまったく話し掛けられない。

そうこうしているうちにWelcome Partyが始まった。

師匠に露語がどうしても使えないと言うと、ではBarにでも行ってまず露語で注文することからやってみましょうということになってわれわれ4人はBarのカウンターに向かったのであった。

「とりあえずビール」
なんとかわかってもらえたが値段がわからない。何回か聞きなおすのだけれど全く聞き取れない。(初めてであがっていたせいでもある)
結局最後にはメニューを見せてもらい周りの日本人に教えられて300円を(日本円で)支払った。

師匠を囲んで飲みながらカウンターを行ったり来たりして露語で注文する。
なかなか楽しい夜になった。

気が付くと周りには誰もいなくなってカウンターもシャッターが下りていた。

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