最新の画像[もっと見る]
- 有本恵子さん55回目の誕生日 10年前
- 反ヘイト名乗る「男組」幹部ら8人逮捕 右派系男性への暴行容疑 10年前
- ミニスカ乗務員 ようやく離陸 丈10センチ伸びました 10年前
- さよなら京阪テレビカー 歴史映した59年に幕下ろす 11年前
- 担任「やりすぎんなよ」 大津自殺 暴力見た生徒が証言 12年前
- 実名報道を 12年前
- 平岡法相 自民の追及に激高=衆院予算委が紛糾 13年前
- 両陛下 市街地跡に黙礼 避難所見舞う 13年前
- 天皇、皇后両陛下 避難所訪問 13年前
- 天皇陛下がお言葉=国会 14年前
旧大須賀町の忠霊殿の草刈りをしながら、「遺族会を通じての奉仕も、私の代で終わりだ。若者には、この作業は興味がない」と会員のМさんは言う。
戦死者への追悼は、我々の世代では祖先祭りになり変わっている。米国式の国家による永代追悼にはなっていない。
戦死者は、国が存続し発展するための貴重な犠牲者であるという考えはこの国にはないようである。
尊い犠牲者のことは、我が国では子供・若者にも教えられていない。
鎖国時代と同様に、排他的であることが、自国の独立の唯一基礎となっているのであろう。
我々はどこから来たか、何者であるか、どこに行くかの内容は語られることはない。
過去の出来事は素早く風化し、未来の内容は不透明に見えている。
ただ、目の前の現在だけが信じられ、刹那は永遠と考えられている。
この国には、この世界のグランド・デザイン、マスター・プランは考えられていない。
哲学がないから、新しい社会の建設努力はどこにも見当たらない。ただ、世の中の修復と繰り返しの連続である。
<日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族衰退の過程は見て取れる。その一例を以下に掲げる。
私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/