本人にひとつも非がないのに、身内のせいで叶わなかった家購入計画。
昨年初冬から中古物件探したり、信用情報確認したり、あの手この手で購入の手立てを探ったり、現実の厳しさに打ちのめされ心を痛めながらも、いちばん堪えている本人の傍らで、諦めないようにおせっかいを焼いてきた。
現実は変えようがなく、できることに目を向けて気持ちを切り替え、まずは、今の環境からツーランクアップを図ろうと促して、再度の物件探し。
家賃はきつくなるものの、環境としては文句の無い立地に見つけたマンションの審査も無事通ったとの連絡に、安堵する。
あの、狭くて、文字通り足の踏み場も無いような部屋から引っ越し、ゆとりある暮らしを叶えて欲しい。熱を注いでいる水槽とか、ギターとか、管理整理できる。
ベッドと、テレワーク用デスクも、プレゼントさせてほしい。
大学時代に、仕送りもできず、大変な思いさせたお詫びの気持ち。
学費の支払い、大学卒業後の引っ越しで自分の蓄えがほぼゼロになったときは、悲しかった。
お金がないって、こんな悲しいもんなんだと思った。
どうにも仕事が合わなくて辞めようと思った時期でもあった。
けど、お金がない、働かないことにはどうしようもない、どうにかこうにか仕事続けて、辛いと思いながらもよくここまできたな。あのときから、13年。
3年前からは、本当に自分らしく生きたいと、退職を考えながらもここまでこれた。
おかげで、今、いくばくか、長男に援助できる経済力がある。
精神的な支えや、知恵の、おせっかいも焼ける。
改めて、仕事続ける選択して良かったし、この先わからないけど、働く意義として、自分のためだけじゃなく、親としてできることをするためにも仕事は続けたほうがいいなと、考えが変わった。
ふたりのうち、ひとりの親には、あと三年あまり、代償として月々の家賃援助を約束させた。
そして私は、親として経済的にも不甲斐なくてできなかったあの頃の穴埋めをさせてもらいたいとつよく思う。
今後、契約、退去、引っ越し等々、滞りなく進むよう伴走するつもり。
やっぱり、暮らしの拠点は、大切だ。離れていても、安心できる暮らしをしてほしいと母は願う。
そんなこんなの、わらしべ6年目初日、長男の引っ越し先が決まった日となった。